2020年5月30日、フロリダのケネディ宇宙センター。ファルコン9ロケットの白い機体に、一筆書きのような赤い四文字が描かれていました。NASA。ただし、丸い記章ではありません。28年前に「殺された」はずのロゴ、通称「ワーム」です。
午後3時22分、ロケットは飛行士2人を乗せて空へ駆け上がりました。アメリカの大地から有人宇宙船が飛び立つのは、2011年のスペースシャトル退役以来。その歴史的な一便の機体に、ワームは帰ってきました。
「連邦のデザインを立て直せ」という大号令
話は1970年代初頭にさかのぼります。アポロ計画は終わり、スペースシャトルの初飛行はまだ何年も先。輝かしい話題を欠いたNASAは、世間の関心が薄れていくのを感じていました。
時のニクソン政権は、全米芸術基金(NEA)と組んで連邦機関のデザインを底上げする計画を進めていました。連邦デザイン改善計画。郵政公社から国立公園局まで、45を超える省庁の視覚表現が点検と作り直しの対象になります。各センターがめいめいに作ってきたNASAの見た目も、当然この網にかかりました。
声がかかったのは、ニューヨークの小さな事務所でした。リチャード・ダンとブルース・ブラックバーンの二人が前年に立ち上げたばかりの「ダン&ブラックバーン」。1974年、設立から1年そこそこの新興スタジオが、国家機関の全面改装という大仕事を引き受けます。後にブラックバーンは、駆け出しゆえの売名も兼ねて「捨て値で」請けたと振り返っています。
彼らが守ろうと決めたのは、たった一つ。「NASA」という名前そのものでした。
クロスバーを消した四文字
完成したロゴは、徹底して削ぎ落とされていました。赤一色。曲線とまっすぐな線だけでできた、なめらかな四文字。AとSのつながりは一続きの線になり、二つのAからは横棒(クロスバー)まで消えています。途切れない一本の線——その流れるような形が虫の動きを思わせたことが、「ワーム(みみず)」という愛称の由来です。
ちなみに、この蔑称めいた呼び名を最初に口にしたのは、新デザインを嫌った古参の職員たちでした。
NASAの上層部も、当初は難色を示します。Aの横棒がないことが、どうにも受け入れがたかったようです。「私たちは(本人たちのいないところで)笑いました。あまりに馬鹿げて思えたからです」とブラックバーンは語り、そのうえで上を説得する作業にかかりました。

ダン&ブラックバーンの仕事は、ロゴ一つにとどまりません。便箋からスペースシャトルの機体塗装まで、ありとあらゆる場面での使い方を一冊にまとめあげました。グラフィックスタンダードマニュアル。リングバインダーに綴じられたこの規格書こそ、ワームの設計思想の本体でした。「これは飾りのバッジではなく、統合された包括的なデザイン計画です」とダンは言い切っています。
1975年、ロゴは正式採用されます。導入を決めたのは、当時のNASA長官ジェームズ・C・フレッチャーでした。
ある朝、便箋とともに届いた死刑宣告
ワームの天下は17年で終わります。
1992年4月、新しいNASA長官が着任しました。ダニエル・ゴールディン。チャレンジャー号の事故から数年、ハッブル宇宙望遠鏡の鏡の不具合も記憶に新しいころで、現場の士気は地に落ちていました。立て直しの切り札として送り込まれた人物です。
その年の5月22日、ゴールディンはラングレー研究所へ降り立ちます。NASAの記録によれば、同乗していた人物が格納庫のワームを見て、「なぜこんなひどいロゴを使っているんだ」と漏らしたそうです。やがて研究所長ポール・ホロウェイが、ワームをやめてミートボールを取り戻すよう進言しました。
ゴールディンはその日のうちに、ミートボールの復活を全機関へ通達します。長く正式ロゴだったワームは、こうして公式の座を追われました。
廃止のやり方は、あまりに唐突でした。多くの職員は、説明書きのない新しい便箋が本部から届いて、初めて旧ロゴの抹消を知ったといいます。NASAの主任歴史家ビル・バリーは、当時の空気を「みな激怒していた」と表現しています。
ゴールディンの「ワーム狩り」は徹底していました。1997年ごろには機関を挙げた一掃運動が始まり、消し残しを見つけると激高したと伝わります。1998年には、制服からも機材からもワームは姿を消しました。

復活したのは、月着陸の時代を彩った記章「ミートボール」です。1959年にジェームズ・モダレリが手がけた、青い球に白い星をちりばめ、航空を象徴する赤い帯を走らせたあのデザイン。NASA創設の翌年から使われてきた、由緒ある顔でした。
地中のワーム、28年
公式の場から消えても、ワームは死にきれませんでした。
NASA本部の御影石には、その文字が刻まれたまま残っていました。土産物のTシャツやグッズには、ひっそりと生き続けます。デザインの世界では、むしろ伝説として崇められるようになりました。
象徴的だったのが、2015年の出来事です。ジェシー・リードとハミッシュ・スマイスという二人のデザイナーが、市販されたことのなかったグラフィックスタンダードマニュアルを一冊の本に仕立て直そうと、クラウドファンディングを立ち上げました。目標は15万8千ドル。集まったのは、8,798人から94万1,966ドル。目標の6倍近い金額です。
なぜ、廃止されて20年以上たつ規格書にこれほどの熱が集まったのか。ワームがもう、一つの時代の気分を背負う記号になっていたからでしょう。リードとスマイスは前年にも、ニューヨーク地下鉄の伝説的な規格書を同じ手法で復刻していました。アメリカのグラフィック遺産を掘り起こす連作の、二作目がNASAだったわけです。
大繁殖、ふたたび宇宙へ
潮目が変わったのは2020年でした。
4月2日、NASAは「新しい有人宇宙飛行の時代の高揚を伝えるため」、ワームを復活させると発表します。舞台はSpaceXのファルコン9。冒頭で触れた、あのロケットです。
復活を後押ししたのは、当時の長官ジム・ブライデンスタインでした。1980年代に少年期を過ごした世代で、「80年代、NASAのロゴといえばワームだった」と公言するファンです。皮肉な対称——ミートボールを懐かしむ長官がワームを葬り、ワームを懐かしむ長官がそれを蘇らせました。
5月30日、飛行士のボブ・ベンケンとダグ・ハーリーを乗せたロケットが、打ち上げ台「39A」から飛び立ちます。赤いワームは機体だけにとどまりませんでした。宇宙服に、テスラの送迎車に、発射台のゲートに。気づけば現場のあらゆる表面に這い回っていました。ある宇宙専門メディアは、ロケット一機から始まった登場がいまや大繁殖だ、と面白がって伝えています。
ミートボールが正式記章である立場は変わりません。けれど、二つのロゴはふたたび共存することになりました。
美術館に収まった「殺されたロゴ」

ワームの父の一人、ブルース・ブラックバーンは、復活の翌年に世を去りました。2021年2月1日、コロラド州アーバダ。82歳でした。
娘によれば、ブラックバーンは自分のデザインがロケットで宇宙に帰ったことに驚き、そして喜んでいたといいます。彼はワームのほかに、アメリカ独立200年祭のシンボルとなった星もデザインしていました。コインにも切手にも公共の建物にも溢れた、もう一つの代表作です。「人生には一生に一度の機会があるというでしょう。私はそれを二度もらった」——生前、彼はそう語っていました。
そして2025年。ニューヨーク近代美術館(MoMA)が、ワームを永久収蔵品に加えました。ロゴタイプそのものと、NASAから寄贈されたグラフィックスタンダードマニュアル。展覧会「Pirouette: Turning Points in Design」では、ブラックバーンの遺族が寄せた文字の習作スケッチも並びました。
一人の長官の気分で抹殺された四文字は、半世紀をかけて、現代美術の殿堂に収まったことになります。死と再生を経て、ワームはもう、誰かの一存で消せるものではなくなりました。
Q&A
- なぜ「ワーム」と呼ばれるのですか?
- うねる一筆書きのような文字の形が、虫の動きを思わせたからです。もともとは新デザインを嫌った古参職員が揶揄して付けた蔑称でしたが、いつしか愛称として定着しました。
- なぜ1992年に廃止されたのですか?
- 新長官ダニエル・ゴールディンが、職員の士気を高める狙いで月着陸時代の「ミートボール」を復活させたためです。チャレンジャー号の事故やハッブル望遠鏡の不具合のあとで、古き良き記章へのノスタルジーが力を持ちました。
- 「ミートボール」と「ワーム」、いまはどちらが正式ですか?
- 正式な記章は1959年制定のミートボールです。ワームは2020年に二次的なロゴとして復帰し、現在は両者が併用されています。
- ワームの規格書(グラフィックスタンダードマニュアル)は手に入りますか?
- 2015年に二人のデザイナーがクラウドファンディングで復刻版を制作しました。目標15万8千ドルに対し、8,798人から94万1,966ドルが集まっています。ハードカバー本として刊行されました。
- 設計者は復活を知っていたのですか?
- ブルース・ブラックバーンは2021年に亡くなりました。娘によれば、彼はロケットでの復活に驚き、自分のデザインが宇宙に帰ったことを喜んでいたといいます。
参考文献
- 30 Years Ago: Daniel Goldin Sworn in as NASA’s Ninth Administrator(NASA)
- https://www.nasa.gov/history/30-years-ago-daniel-goldin-sworn-in-as-nasas-ninth-administrator/
- Museum of Modern Art Exhibits NASA Worm(NASA)
- https://www.nasa.gov/get-involved/art-program/museum-of-modern-art-exhibits-nasa-worm/
- NASA brings back its iconic worm logo(Fast Company)
- https://www.fastcompany.com/90485834/nasa-brings-back-its-iconic-worm-logo
- NASA’s ‘worm’ logo is back. But why did it disappear?(CNN Style)
- https://www.cnn.com/style/article/nasa-worm-logo-scn/
- NASA marks new era of spaceflight with resurgence of ‘worm’ logo(Space.com)
- https://www.space.com/nasa-worm-logo-spacex-demo-2.html
- Reissue of the 1975 NASA Graphics Standards Manual(Kickstarter)
- https://www.kickstarter.com/projects/thestandardsmanual/reissue-of-the-1975-nasa-graphics-standards-manual
- Bruce Blackburn(Wikipedia)
- https://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Blackburn
基本データ
- 名称
- NASAロゴタイプ(通称「ワーム」)
- 設計
- リチャード・ダン、ブルース・ブラックバーン(ダン&ブラックバーン)
- 制定
- 1975年(設計は1974年)/NASA長官ジェームズ・C・フレッチャーが導入
- 廃止
- 1992年/NASA長官ダニエル・ゴールディン
- 復活
- 2020年/NASA長官ジム・ブライデンスタイン、SpaceX「Demo-2」ミッションにて
- カラー
- 赤
- 規格書
- グラフィックスタンダードマニュアル(1975年/2015年に復刻版を刊行)
- 旧ロゴ「ミートボール」
- ジェームズ・モダレリ設計、1959年(現在の正式記章)
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