メーヴェの飛行
『風の谷のナウシカ』(1984)の序盤、メーヴェに乗ったナウシカが風の谷の上空を旋回する。地上から見上げる住人たち。彼女の白い上着の裾と短い髪が、後ろへ流れる。地表にいる人々の襟元やスカートが、同じ方向に押されてふくらむ。
このシーンに風そのものは描かれていない。当然だ。風は空気の流れなので、目に見えない。
それでも、観客はこのシーンで風を「見ている」。服の裾、髪の流れ、人々の襟元の動き。これら断片的な手がかりから、観客の脳は「いま風が右から左へ、毎秒数メートルで吹いている」と無意識に再構成する。
宮崎駿の映画は、この再構成を観客に何度も強いる。空気の流れを直接描く代わりに、空気の流れに反応する物体を執拗に描く。草、髪、布、煙、葉、紙片、土ぼこり。これらが揺れ、傾き、ふくらみ、なびくことで、観客は風を見る。
この手法はアニメーションでしか成立しない。実写なら扇風機を回して被写体に風を当てれば終わる。一方アニメーションでは、一枚一枚の絵に風の影響を計算して描き入れなければならない。描く側の労力は実写の何十倍にもなる。それなのに、なぜ宮崎駿はこの労力をかけ続けるのか。
風を描くのは、宮崎にとって装飾ではない。空気の動きが見えるということは、その空気の中に立っている人間の状態も見えるということだ。寒いのか、急いでいるのか、飛ぼうとしているのか。風の描写は、そのまま人物の描写になる。そしてこの描き方の根を、宮崎は東映動画に入った新人時代、十歳年上の先輩から受け取っている。
スタジオの名前は、戦闘機の名前から
「スタジオジブリ」という名前は、第二次大戦中のイタリアの偵察機「Ghibli(ギブリ)」に由来する。Ghibliとはアラビア語で「サハラ砂漠からの熱風」を意味する。宮崎は自分のスタジオに、武器の名前であり、同時に風の名前である言葉を冠した。
これは趣味の表明であると同時に、宣言でもあった。風が物語の主役になるアニメーションを作る、という宣言である。
実際、宮崎の長編はほぼすべて風と関係している。デビュー作『風の谷のナウシカ』はタイトルそのままだ。『天空の城ラピュタ』では空中海賊の飛行船が雲を切り裂き、『魔女の宅急便』では新人魔女キキが箒で空を渡る。『紅の豚』はアドリア海の風、『もののけ姫』では森を吹き抜ける気流、『崖の上のポニョ』では海嘯と暴風、『風立ちぬ』では帽子を奪い去る一陣の風がヒロインとの出会いになる。
風は宮崎作品で、いつも何かを起こす役を担っている。空気が物語を動かす起点になる。Yale大学の文学研究者ポール・ノースは、この効果を「set dancing(踊らせる)」と呼んだ。アニメーションのセルそのものが輪郭の中で揺らぐ。髪は形に出入りし、服も同様に。草と葉は決して静止しない──。
宮崎以前の量産アニメーションでは、こうした「動かさなくてもいい部分」は、コストを下げるために動かさないのが一般的だった。宮崎はその逆を行った。

大塚康生という入口
宮崎駿が東映動画に入社したのは1963年。同じスタジオには、彼より10歳年上のアニメーター、大塚康生がいた。
大塚は東映動画第一期生で、日本初のカラー長編アニメーション『白蛇伝』(1958)の動画を担当していた。アニメーター志望者の指導役を任されていて、新人だった宮崎は彼の指導下に入る。
宮崎は後年こう語っている。「アニメーションの面白さを教えてくれた人、アニメーターの眼でものを見始める──その入口を教えてくれた人」(DVD『大塚康生の動かす喜び』2004年)
「入口」という言葉の選び方が面白い。技術を教わった、と言わずに、見るための窓を開けてもらった、と言う。
大塚自身は元々アニメーターになるつもりではなかった。山口県で育ち、麻薬取締官事務所に勤務しながら政治漫画家を目指していた。1956年、26歳のときにアニメーションへ転向する。
しかし大塚の絵を支えていたのは、子供のころからの観察癖だった。山口県小郡町の機関庫に通い詰め、蒸気機関車の精密スケッチを大量に描いていた。機関士と話を交わし、駆動系の仕組みを観察し続けた経験から、彼は「作動原理に基づいて絵を描く」という発想を身につけていた。
動くものを描くとき、外側の形をなぞるのではなく、内側の仕組みを理解してから描く、という発想だ。蒸気機関車のピストンとロッドの位置関係を理解していれば、車輪が転がるとロッドの先がどう動くかが描ける。ロッドが動けば、煙突の煙の出方も変わる。

大塚はこの「仕組みから描く」発想を、後輩のアニメーターたちに論理的・分析的かつ平明に説いた。映像研究家の叶精二によれば、大塚に指導を受けた人物は「枚挙にいとまがない」。
1965年、初めて長編映画の作画監督に抜擢された大塚は、当時無名だった高畑勲を演出に指名する。さらに新人動画にすぎなかった宮崎をメインスタッフに昇格させた。この異例の人事から生まれたのが、興行的には失敗したものの後に日本アニメ史の転回点と評価される『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968)だった。
その後、1978年放送のテレビシリーズ『未来少年コナン』で宮崎が初めて演出を任されたとき、彼は条件として大塚を作画監督に呼ぶことを要求した。大塚は当時シンエイ動画の役員職にあったが、「宮さんを支えたい」と言ってその役員職を実質的に投げ出し、全26話の作画監督を引き受けた。
宮崎が確立した演出スタイル──奥行きのある立体的空間、ダイナミックなアクション、空中戦、巨大生物との格闘。これらはすべて、東映動画時代に大塚が得意としていた領域である。
宮崎は大塚の技術を吸収しながら、それを別の方向へ展開していく。風の表現は、その展開の中心にある。
ディズニーの12原則と、Follow Through
風の描き方の話に入る前に、世界のアニメーション全体を支えている文法に触れておきたい。
1981年、ディズニーのベテランアニメーター、Frank ThomasとOllie Johnstonが共著で『The Illusion of Life: Disney Animation』を出版した。576ページの大著で、Disneyが1930年代から積み上げてきたアニメーション制作のノウハウを「12の基本原則(Twelve Basic Principles of Animation)」として整理したものだ。
12原則のひとつに「Follow Through and Overlapping Action(追従と重なり合う動作)」がある。
これは、物体が動いて停止するとき、そこに付属している部分──髪、服、布、尾、緩んだ筋肉──が、本体の動きより遅れて動き続ける、という現象を作画で再現する原則だ。キャラクターが急に走り出すと、髪は一瞬遅れて後ろへなびく。急に止まると、髪は前へ揺れ戻る。
服も同じ。腕を上げるとき、腕より遅れて袖が動く。回転すれば、スカートは慣性で逆方向にねじれる。

これらの動きは物理学の慣性の法則そのものだが、観客は意識的に分析しているわけではない。こうした遅延が描かれていないと、「絵が硬い」「ロボットみたいだ」と感じる。
宮崎と大塚は、もちろんこの原則を熟知していた。しかし彼らがやったのは、Follow Throughを単なる「キャラクターの動きの自然さを保つための補助技術」として使うことではなかった。
風を描くために、Follow Throughを主役に据えたのだ。
ディズニーの古典的アニメーションでは、ヒロインがピタッと止まれば髪も少し遅れて止まり、そこで動きは終わる。一方、宮崎作品では、ヒロインがピタッと止まった後も髪は揺れ続ける。本人の動きとは無関係に、周囲を吹いている風が髪を揺らしているからだ。
Follow Throughは本体の動きへの反応ではなく、見えない外力(風)への反応として描かれる。観客は、髪の揺れ方の中に「本体の動きで揺れている部分」と「風で揺れている部分」を区別して読み取る。この読み取りが、空気の存在を絵の中に出現させる。
草、髪、布──三種の風指標
宮崎作品で風を表現する主要な「指標」は、おおまかに三つある。
一つ目は草地。『風の谷のナウシカ』『となりのトトロ』『風立ちぬ』『君たちはどう生きるか』──宮崎は丘の上に立つキャラクターと、丘を覆う草を、何度も何度も描いてきた。
草地のアニメーションが難しいのは、草の一本一本が独立した動きをすることだ。風が一方向に均一に吹いていても、地面の凹凸や草の高さで気流は乱れる。手前の草が右に倒れているとき、奥の草はまだ静止していることがある。
宮崎作品では、草の傾きをすべて同じタイミングで揃えない。位相をずらし、束ごとに動かす。風の波が斜面を渡っていくのが見える。
二つ目は髪。ナウシカ、キキ、シータ、サン、千尋、ポニョ、菜穂子──宮崎ヒロインたちの髪は、ほとんどの場面で何かしら動いている。
『風の谷のナウシカ』で、ナウシカが王蟲の群れに向き合う直前、彼女の髪が空中に浮き上がる場面がある。物理的にはおかしい現象だが、ここで宮崎は「次の瞬間、何かが起きる」というドラマを、髪の浮遊で予告している。
このような「Dramatic Wind」と呼ばれる演出は、その後の日本アニメで定型化していく。決定的瞬間の直前に風が髪を持ち上げ、観客の緊張を引き上げる、という型だ。中国アニメ『羅小黒戦記』のアニメーター、シャオロンは、長い髪の揺れがサイン曲線(sin curve)で動く、と若手アニメーターに教えている。長髪のキャラクターが風になびくとき、頭頂部に近い根本から毛先へ、波が伝わっていく。
三つ目は布。マント、スカート、シャツの裾、スカーフ、旗。宮崎作品はとにかく布をひるがえす。
『天空の城ラピュタ』でシータが空から落ちてくる場面では、彼女の服が下から押し上げられて膨らみ続ける。重力で落ちる速度と、空気の抵抗で膨らむ服。その対比で「落下」という出来事の重さが伝わる。
布の動きは、本体の重心とは別のリズムを持つ。宮崎作品ではこのリズムが意図的にずらされていて、本体が直線的に動いていても布だけは弧を描く。

56,078枚の手描き
『風の谷のナウシカ』は1984年3月公開、製作期間9ヶ月、予算約100万ドル相当。使用された原画と動画は合計56,078枚、色数は263色。平均すれば一日あたり約200枚という作画速度を、9ヶ月間続けた計算になる。
主要原画には金田伊功と中村たかしの名前がある。
金田伊功は1952年生まれ。1969年公開の『空飛ぶゆうれい船』を観たとき、当時の宮崎駿の作画に衝撃を受けたことがアニメーター志望の出発点だった。それから15年後、彼は宮崎作品にメインスタッフとして参加することになる。
金田の特徴は「金田パース」と呼ばれる極端な遠近感の演出だった。手前の物体を誇張して大きく描き、奥を強烈に縮める。ロボットアニメで磨かれたこの技法は、メーヴェの飛行シーンや空中戦の躍動感の源泉になっていた。
中村たかしは『風の谷のナウシカ』で序盤の王蟲暴走シーンを担当した。ペジテのブリッグとトルメキアのコルベットが雲海で対峙するシーンも彼の仕事だ。風に乗ってメーヴェを操るナウシカが、地上を走るユパと交差する構図とタイミング──息を呑むほど素晴らしい、と後のアニメーターたちは口を揃える。
宮崎は監督として、これら個性の強いアニメーターたちを起用し、その作画を「制御」しながら作品を完成させた。後年の庵野秀明(『新世紀エヴァンゲリオン』監督)は、若手時代に『ナウシカ』で巨神兵のシーンの作画を任され、宮崎から徹底的に修正を受けた経験を語っている。
風立ちぬ──風は物理から歴史へ
宮崎は2013年公開の『風立ちぬ』を、長編引退作のつもりで作った(後に撤回するが)。タイトルは堀辰雄の1938年の同名小説からの引用で、堀の小説は冒頭にポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』(1920)の一節を掲げている。
Le vent se lève!… Il faut tenter de vivre!
直訳すれば「風が立つ……生きようとしなければならない」。堀はこれを「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳した。文法的には「めやも」は反語で「生きようか、いや生きまい」となるはずだが、堀はあえてこの破格な訳を当てて、「葛藤を含んだ生への意思」を表現したと言われる。
宮崎の映画では、主人公・堀越二郎と菜穂子の出会いの瞬間に、二郎の帽子が風で飛ばされる。それを菜穂子が掴み、「Le vent se lève」とフランス語で言う。二郎が「Il faut tenter de vivre」と返す。
帽子を奪う風。それは関東大震災を背景にした出会いの場面で、観客にとっては「ロマンチックな偶然」として処理される。だが映画全体を通して見ると、この風は次々と災厄を運んでくる。震災、結核、戦争、敗戦。
ポール・ノースは、宮崎の初期作品の風が「私たちを踊らせる」物理的な力だったのに対し、『風立ちぬ』の風は「歴史」だと指摘する。技術が進歩する風、ナショナリズムが台頭する風、戦争に巻き込まれる風。物理法則のように、行きと帰りで釣り合うことのない、不均衡な力。
二郎が設計したゼロ戦は、軽量化を追求するために銃を外そうとする。だが、軍部は銃を増やすために更なる軽量化を求める。これが宮崎の言う「engineerのジレンマ」だ。技術者は「これは可能か」を問う。「これをすべきか」は問わない。
風はこのジレンマの象徴として、映画の中で吹き続ける。

何が継承されたか
宮崎の風の描き方は、その後の日本アニメに深く浸透している。
新海誠の『天気の子』(2019)では雨と風が物語の主役を担い、京都アニメーションの『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006)以降のシリーズでも、風で揺れる髪や制服のリボンが、感情の表現として活用されている。
ゲームや3DCGの世界にも、その影響は広く見られる。Blenderのアニメスタイル草地アセットには「Studio Ghibli Inspired」と冠した有料素材が多数販売されており、3Dソフト上でジブリ風の風の表現を再現するためのテクニックが共有されている。
しかしこれらの後続作品は、宮崎の風を完全には再現できていない。技術は模倣できるが、宮崎の風には「主観」が乗っている。ナウシカが感じている風、二郎が望んでいる風、千尋が乗っている風。それぞれが違う質感を持っている。
このことについて、宮崎自身は次のように語っている。「表現方法というものは、表現したいものがあって、はじめて技術がついてくるものなのです。技術だけがあって、表現したいものがない、なんてことはあり得ないんです」(『出発点 1979〜1996』徳間書店、1996年、p.174)
風を描くために風の技術を磨いたのではない。風の中で生きる人間を描くために、風が必要だったのだ。
大塚康生が宮崎に手渡したのは、「物の仕組みを内側から理解する眼」だった。その眼は、機関車のロッドの動きを見ることもできるし、髪の毛と空気の関係を見ることもできる。眼が育てば、何を描いても風が立つ。
宮崎はその眼を、半世紀以上にわたって、観客に貸し続けている。
Q&A
- なぜ宮崎駿のヒロインの髪は、立っているだけで揺れているのか?
- 本人の動きに対する反応ではなく、周囲の見えない空気の流れに対する反応として描かれているためです。ディズニー流のFollow Through(追従動作)が「キャラクターが動いた結果として髪が揺れる」のに対し、宮崎作品では「キャラクターが静止していても風で揺れる」状態が常態として描かれます。観客は無意識に「いま空気が動いている」と読み取ることになります。
- 「Dramatic Wind」という言葉は誰が定義したものですか?
- 明確な学術的定義者はいません。海外のアニメファン界隈で「劇的瞬間の直前にキャラクターの髪や服を風が持ち上げる演出」を指す通称として広まったもので、Tropeとして整理されました。出典は宮崎作品とされており、特に『風の谷のナウシカ』の王蟲対峙シーン直前の髪の浮遊が代表例とされます。
- 大塚康生が宮崎に教えた最も重要なことは?
- 大塚自身が幼少期に蒸気機関車を観察して身につけた「作動原理に基づいて絵を描く」という発想です。動くものを描くとき、外側の形をなぞるのではなく、内部の仕組みを理解してから描く。この発想は機械にも生物にも適用でき、宮崎の風表現にもそのまま転用されました。気流の物理を理解していれば、その気流に置かれた髪や布の動きは自ずと決まります。
- 『風立ちぬ』のキャッチコピー「生きねば。」の出典は?
- 堀辰雄が訳したポール・ヴァレリーの詩「風立ちぬ、いざ生きめやも」の後半部分の現代語訳であると同時に、宮崎駿自身の漫画『風の谷のナウシカ』最終巻最後のコマに登場する言葉からの引用でもあります。鈴木敏夫プロデューサーが選び出したと宮崎は語っています。
- 宮崎は本当にすべての原画を自分で描いているのですか?
- すべてではありませんが、キーとなる原画は宮崎自身が描き、他のアニメーターの原画も徹底的に修正します。『ポニョ』では約17万枚の動画のうち、宮崎本人が描いた原画が大量に含まれており、これは大規模アニメ制作現場としては世界的に異例の作家性の高さです。
参考文献
- 『風立ちぬ』から『君たちはどう生きるか』へ:宮崎駿と盟友・大塚康生の58年(叶精二/nippon.com)
- https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01161/
- Current Genres of Fate: Wind in Miyazaki(Paul North/3 Quarks Daily)
- https://3quarksdaily.com/3quarksdaily/2016/07/current-genres-of-fate-wind-in-miyazaki.html
- Twelve basic principles of animation(Wikipedia英語版)
- https://en.wikipedia.org/wiki/Twelve_basic_principles_of_animation
- Hayao Miyazaki interview(Roger Ebert/2002年)
- https://www.rogerebert.com/interviews/hayao-miyazaki-interview
- 大塚康生(Wikipedia日本語版)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/大塚康生
- 風立ちぬ (2013年の映画)(Wikipedia日本語版)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/風立ちぬ_(2013年の映画)
- Animating principle: The Wind Rises and the genius of Miyazaki(New Statesman)
- https://www.newstatesman.com/culture/2014/05/animating-principle-wind-rises-and-genius-miyazaki
- 『風の谷のナウシカ』庵野秀明、なかむらたかし、金田伊功……超人気アニメーターを起用した宮崎駿はどう”制御”した?(Real Sound)
- https://realsound.jp/book/2023/07/post-1369387.html
基本データ
- 監督・アニメーター
- 宮崎駿(1941年1月5日生/東京都出身/東映動画→Aプロダクション→日本アニメーション→テレコム→スタジオジブリ)
- 師事した先輩
- 大塚康生(1931年7月11日生・2021年3月15日没/島根県生まれ・山口県育ち/東映動画第一期生)
- 主要参加作品
- 『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968/作画監督:大塚康生/演出:高畑勲)、『未来少年コナン』(1978/演出:宮崎駿/作画監督:大塚康生)、『風の谷のナウシカ』(1984/監督:宮崎駿)、『天空の城ラピュタ』(1986)、『となりのトトロ』(1988)、『風立ちぬ』(2013)
- 『風の谷のナウシカ』制作データ
- 1984年3月11日公開/製作期間9ヶ月(1983年5月31日〜1984年3月6日)/原画・動画合計56,078枚/使用色数263色/予算約100万ドル相当
- アニメーション理論の典拠
- Frank Thomas, Ollie Johnston『The Illusion of Life: Disney Animation』(1981/Abbeville Press/576頁)。12の基本原則を体系化
- 『風立ちぬ』タイトルの典拠
- 堀辰雄『風立ちぬ』(1938年発表の中編小説)。その冒頭に引用されたポール・ヴァレリー『海辺の墓地』(1920年)の一節「Le vent se lève!… Il faut tenter de vivre!」を堀が「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳した
- スタジオジブリの命名
- 1985年6月設立。名称はサハラ砂漠からの熱風を意味するアラビア語”Ghibli”に由来し、第二次大戦中のイタリア軍偵察機”Caproni Ca.309 Ghibli”の名前としても使われていた
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