アドルフ・ヴェルフリの白恐怖|紙の隅々を音符と数字で埋め尽くした男

アドルフ・ヴェルフリの白恐怖|紙の隅々を音符と数字で埋め尽くした男

目次

月曜朝の鉛筆一本

スイス、ベルン郊外のワルダウ精神病院。月曜の朝になると、独房に住むひとりの患者のもとに新しい鉛筆が一本と、印刷されていない新聞紙が二枚届けられた。それが彼の一週間分の支給品である。患者の名前はアドルフ・ヴェルフリ。1864年生まれ、1895年からこの病院の住人だった。

ヴェルフリはその二枚の紙に、信じがたい速度で線を走らせた。クリスマスに病院から贈られる色鉛筆の箱は二、三週間ともたなかった。鉛筆が尽きるたび、彼は包装紙を集め、ほかの患者から紙片を譲り受け、看守と取引した。獲得した紙のすべての面、上下左右の縁から中心まで、一片の余白も残らないように、音符を、数字を、文字を、装飾的な縁取りを描き込んでいく。

紙のなかで生まれた小さな隙間さえ、彼は許さなかった。二つの小さな穴をぽつりと打ち、その周囲をふくらませて、ヴェルフリは「鳥」と呼んだ。隙間に住まわせるための、彼だけの生き物だった。

「白恐怖」という言葉

ラテン語に horror vacui という言葉がある。直訳すれば「空白の恐怖」。ギリシャ語ではケノフォビア。もとは美術用語ではなく、アリストテレスの自然学から来ている。「自然は真空を嫌う(natura abhorret a vacuo)」――宇宙はすきまを許さない、密度の濃いものが希薄なところへ押し寄せて埋めてしまう、という古代の物理観だ。

この概念を美術批評に持ち込んだのは、オーストリアの美術史家アロイス・リーグル。1893年、彼はイスラム装飾を論じるなかで、表面を余すところなく覆い尽くす意匠の傾向を horror vacui と呼んだ。のちにイタリアの批評家マリオ・プラッツが、ヴィクトリア朝の家具と室内装飾の過剰さを揶揄するためにこの言葉を使う。装飾を執拗にちりばめる衝動への、やや冷たい眼差し。

20世紀に入ると、この衝動は退場を迫られる。1908年、ウィーンの建築家アドルフ・ロースが「装飾と犯罪」を書き、過剰な装飾はもはや文明の証ではなく後進性の表れだと宣告した。バウハウス、デ・スティル、国際様式――白くて、平らで、余白の多いデザインがやってくる。

ところが、近代がモダニズムへ向かおうとしていた、ちょうどその時期。ベルンの病院の独房で、ひとりの男が反対方向にひたすら歩いていた。

二枚の新聞紙で宇宙をつくる

ヴェルフリは1908年、ある途方もない仕事に取りかかる。生まれてから死ぬまで、いや、それを大きくはみだす全生涯を、自分でもう一度書き直すという計画だった。題して「揺りかごから墓場まで」(1908〜12)。続いて「地理と代数の本」(1913〜16)、「歌と踊りの本」(1917〜22)、「ダンスとマーチのアルバム本」(1924〜28)、そして死の直前まで描き続けた「葬送行進曲」(1928〜30)。完成した手稿は45巻、総ページ数およそ25,000ページ、挿絵1,600点。一人の人間が独房のなかで作り上げたとは思えない規模だ。

物語の主人公は彼自身。最初は子供のドゥーフィ(ヴェルフリの幼名)。それが「騎士アドルフ」になり、「皇帝アドルフ」を経て、最後には「聖アドルフ二世」になる。聖アドルフは宇宙規模の戦いに加わり、銀河と惑星のあいだを行き来する。彼が手にした紙の上は、もうワルダウの独房ではなく、ヴェルフリ自身が皇帝にして神である新しい宇宙だった。

絵のつくりは独特だった。中央に建築や人物、地図や風景が配置され、その周囲を装飾的な縁取りが何重にも取り囲む。縁取りのあいだには、音符のような記号が走る。五線譜ではなく六線譜。なぜ六本なのかははっきりしないが、研究者の推測では、彼が少年時代に村の教会で見た18世紀の古い聖歌集が六線譜を使っていた、というのが有力な説だ。ヴェルフリの記譜は最初こそ装飾の延長だったが、次第に本物の作曲に変わっていく。ワルツ、マズルカ、ポルカ。村祭りや軍隊行進で耳にした音楽が、紙の上で踊っていた。

そして彼は、その曲を実際に演奏した。段ボールを丸めて作った手製のトランペットを構え、独房のなかで鳴らした。

モルゲンターラー医師の発見

1907年、若い精神科医ヴァルター・モルゲンターラーが研修医としてワルダウへ着任する。彼はこの異様な絵を描く患者に強く惹かれ、その制作過程を綿密に観察した。鉛筆をどう使うか、紙をどう確保するか、なぜ縁から描き始めるのか。1921年、モルゲンターラーは一冊の本を出版する。『精神病者としての芸術家(Ein Geisteskranker als Künstler)』。

これは医学書としても美術書としても画期的だった。精神病院の患者の作品を、症状の標本ではなく一人の芸術家の創造として真正面から論じた最初の本である。当時、精神病者の絵は「症例」として収集されることはあっても、「作品」として鑑賞される対象ではなかった。モルゲンターラーはその境界線をひと押しした。

本のなかで医師は、ヴェルフリの工房の日常を淡々と記す。月曜の朝、新しい鉛筆と紙が渡される。色鉛筆は箱で渡されるが二、三週間で消費される。あとは交換、譲渡、廃材の収集で乗り切る。すべての白い面積を、紙の縁にいたるまで埋め尽くす。それを医師は患者の症状と呼ばずに、特定の美的衝動として描写した。

ヴェルフリは絵と引き換えに鉛筆と紙をもらった。訪問者には小品を渡し、画材と取引した。自分の作品の市場価値を、彼は本能的に理解していたらしい。

ブルトンとデュビュッフェの目

モルゲンターラーの本は、ベルンの病院の外へヴェルフリを連れ出した。最初に強く反応したのはパリのシュルレアリスト、アンドレ・ブルトンだ。彼はヴェルフリを「20世紀でもっとも重要な3人の芸術家のひとり」と書いた。シュルレアリストたちにとって、訓練を受けず、市場も意識せず、ただ内側からあふれる衝動で描く人物は、無意識への直通の通路に見えた。

戦後、もう一人の画家がヴェルフリにとどめを刺す。ジャン・デュビュッフェ。彼は1948年、ブルトンや作家のジャン・ポーランたちと「コンパニー・ド・ラール・ブリュット」を設立する。アール・ブリュット――「生(なま)の芸術」。美術学校にも美術市場にも触れず、模倣に毒されていない人々の作品。デュビュッフェの定義によれば、その作り手たちは「素材も、主題も、リズムも、模様の作り方も、すべてを自分の内側から取り出す」。

ヴェルフリはその範例だった。1949年、パリのギャラリー・ルネ・ドルアンで開かれた最初のアール・ブリュット展に、彼の絵は当然のように並んだ。本人はすでに19年前に世を去っていた。1930年11月6日、ワルダウ。最後の本「葬送行進曲」のフィナーレ、3,000曲近い歌の完成を惜しみながらの死だった。

余白を埋める、三つの相

ヴェルフリの「白恐怖」を、別の二人の作家の隣に置いてみる。

バルセロナのアントニ・ガウディ。サグラダ・ファミリアの内部に立つと、平らな面はほとんど存在しない。柱は途中で分岐して樹木のように枝を伸ばし、天井は石の森になる。鐘塔は植物や動物や聖人で覆われ、表面は最後の一センチまで意匠化されている。アール・ヌーヴォーの建物について、ガイドブックが時折 horror vacui の語を使う。すべての面を装飾で満たすこと――確かに、ヴェルフリの絵と通じる気配はある。

ただし動機は違う。ガウディの装飾は「自然は真空を嫌う」のではなく、「自然は無駄なく満ちている」という観察に近い。骨や貝、葉の葉脈、樹冠の枝分かれ。神が作ったとされる構造をひたすら模写し、賛美しようとした結果として、空白がなくなる。埋めたいから埋めたのではなく、自然をなぞったら余白が消えた。

長野県松本生まれの草間彌生は、また別の道を行く。10歳ごろから幻覚を見るようになった。光の閃光と、無数のドットの広がり。世界がドットに覆われ、自分も飲み込まれて消えていく感覚。テート・モダンに残る彼女の言葉に、こうある。「ドットは太陽の形をしている。世界の全エネルギーの象徴であり、生きていることの象徴。月の形でもある。穏やかで、丸く、柔らかく、色を持ち、無意味で、無知である。ドットは動きとなる。ドットは無限への道だ」。

彼女がキャンバスを覆うのは、幻覚を制御するためだ。襲ってくるドットを、自分の手で描き直す。1977年から東京の精神科病院に自主入院し、そこを生活の拠点としながら制作を続けている、というのも、ヴェルフリと符合する。違うのは、草間にとってドットは敵でもあり救いでもある両義的な存在だという点。彼女はドットと格闘し、和解し、最終的には「自己消滅(self-obliteration)」へ向かう。ヴェルフリの絵には和解の気配は薄い。ただひたすら、領土を確保し、聖アドルフ二世の宇宙を拡張していく。

ガウディの「白恐怖」は神の模倣。草間の「白恐怖」は幻覚への抵抗と和解。そしてヴェルフリの「白恐怖」は、奪われた人生をもう一度自分の手で書き直すための、領土宣言。

余白のない宇宙、余白だらけの時代

20世紀のデザインは、おおむね余白を勝者の側に置いた。スイス・スタイル、北欧デザイン、ジョブズのアップル。引き算は知性の証であり、何も置かない勇気こそモダンの徳目とされた。

ところが、画面の話に切り替えてみる。スマートフォンを開けば、通知バッジ、メニュー、アイコン、広告、おすすめ、無限スクロール。ピクセル単位で広告が差し込まれ、UIは「次の何か」で常に埋まっている。我々はこの百年で、空白を称揚する文化と、空白を許さない経済を、両方とも極限まで育ててしまった。

ヴェルフリが新聞紙の余白に二つの穴を打って「鳥」と名づけた仕草は、いまの画面に並ぶプッシュ通知に少しだけ似ている。違うのは、ヴェルフリが自分の手で埋め、自分のために描き、自分の宇宙を作っていたこと。我々の画面の隙間を埋めているのは、誰の手か。

ヴェルフリの没後、彼の作品はワルダウ病院内の博物館に置かれていた。1972年、スイスの伝説的キュレーター、ハラルド・ゼーマンがドクメンタ5でヴェルフリの25,000ページを国際美術界に紹介する。これをきっかけに、1975年、ベルン美術館(Kunstmuseum Bern)を拠点としてアドルフ・ヴェルフリ財団が設立された。作品の大半は同館に移され、現在まで研究と展示が続いている。25,000ページの宇宙は、ばらされてしまえばただの紙の山だ。けれども一枚を取り出して目を近づけると、縁取りの内側で六線譜が走り、小さな穴のまわりに鳥がいて、聖アドルフ二世が惑星のあいだを行き来している。

余白を恐れることは、デザインの美徳の対極にある。ただ、その恐れが何を駆動するかを見ておくのは、白い余白を慈しむ仕事をする側にとっても、無駄ではない気がする。

基本データ

人物名
アドルフ・ヴェルフリ (Adolf Wölfli)
生没年
1864年2月29日 – 1930年11月6日
出身地
スイス、ベルン州ボーヴィル村
活動拠点
ベルン、ワルダウ精神病院 (1895年〜1930年)
代表作
「揺りかごから墓場まで」(1908-1912)、「葬送行進曲」(1928-1930)
総作品
全45巻・約25,000ページ・挿絵約1,600点
分類
アール・ブリュット、アウトサイダー・アート
主な所蔵
ベルン美術館 (アドルフ・ヴェルフリ財団による管理、1975年〜)、コレクション・ド・ラール・ブリュット美術館 (ローザンヌ)
発見者
ヴァルター・モルゲンターラー医師 (1907年ワルダウ着任)
評価の端緒
1921年『精神病者としての芸術家 (Ein Geisteskranker als Künstler)』
キーワード
horror vacui (白恐怖)、聖アドルフ二世、六線譜、紙のトランペット
関連概念
アール・ブリュット (ジャン・デュビュッフェ提唱、1945年頃)

Q&A

アドルフ・ヴェルフリの作品は今どこで見られますか?
ベルン美術館 (Kunstmuseum Bern) がもっとも大きな所蔵元です。1975年に同館を拠点として設立されたアドルフ・ヴェルフリ財団 (Adolf Wölfli-Stiftung) が遺作を管理しており、年間を通して入れ替え展示が行われています。ローザンヌのコレクション・ド・ラール・ブリュット美術館にも作品が所蔵されています。日本では大型の常設展示はありませんが、過去にBunkamuraザ・ミュージアムなどでアール・ブリュット関連の企画展が開かれてきました。
「鳥」と呼ばれた隙間の穴は、どんな絵に出てきますか?
ヴェルフリの絵のほとんどに登場する独特のモチーフです。装飾的な縁取りや音符のすきまに、ぽつんと二つの点が打たれ、その周りに楕円形の輪郭が引かれている部分が「鳥」。本人がそう呼んだことを医師ヴァルター・モルゲンターラーが記録しています。文字どおりの鳥の形ではないので、初見では見落としやすいですが、慣れると一枚の絵に何十羽も住んでいるのが見えてきます。
ヴェルフリの音楽は本当に演奏できるのですか?
はい、できます。1976年、研究者のシェル・ケラーとペーター・シュトライフが、1913年ごろの楽譜の一部を分析・演奏しました。ワルツ、マズルカ、ポルカといった舞曲が中心で、スイスの民俗音楽に近い旋律です。ただし後年の「葬送行進曲」は通常の記譜法ではなく、音節と数字を混ぜたヴェルフリ独自の記法で書かれていて、演奏は容易ではありません。デンマークの作曲家ペア・ヌアゴーは1979年に展覧会を見て深く影響を受け、ヴェルフリの生涯を題材にしたオペラ『神聖なるサーカス』を作曲しています。
アール・ブリュットとアウトサイダー・アートは違うものですか?
もとは同じ概念です。1945年ごろにジャン・デュビュッフェが「アール・ブリュット(生の芸術)」というフランス語を作り、美術教育や市場と無縁の作家の作品を指しました。1972年、イギリスの研究者ロジャー・カーディナルが英語圏向けに「アウトサイダー・アート」と訳して以来、英語圏では後者の呼称が広まりました。厳密にはアール・ブリュットの方が範囲が狭く、デュビュッフェの定義に忠実です。
ヴェルフリと草間彌生は本当に系譜として結びつけられますか?
草間自身がヴェルフリの直接的な影響を公言したことはありませんが、両者を「強迫的な反復」「精神症状と創作の不可分性」「精神科病院での制作」という観点で並べる美術批評は数多くあります。両者を同じ展覧会で扱った例もあり、「反復」「集積」「自己の拡張と消滅」をキーワードに並べると、半世紀以上を隔てた二人の作家が同じ問題に取り組んでいたことが見えてきます。

参考文献

Adolf Wölfli – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Adolf_W%C3%B6lfli
Adolf Wölfli Foundation (公式サイト)
https://www.adolfwoelfli.ch/en/work
Foundation – Adolf Wölfli (財団設立経緯)
https://www.adolfwoelfli.ch/en/translate-to-english-stiftung
Adolf Wölfli | Swiss Outsider Artist – Britannica
https://www.britannica.com/biography/Adolf-Wolfli
Adolf Wölfli – American Folk Art Museum
https://collection.folkartmuseum.org/people/27/adolf-wolfli/objects
Horror vacui (art) – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Horror_vacui_(art)
Yayoi Kusama: Obsessed with Polka Dots – Tate
https://www.tate.org.uk/art/artists/yayoi-kusama-8094/obsessed-polka-dots
Art Brut – Collection Pictet
https://www.collection.pictet/selection/art-brut

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