中心のない地図|バックミンスター・フラーがダイマクションで描いた地球

中心のない地図|バックミンスター・フラーがダイマクションで描いた地球

目次

1943年3月1日に発売された『LIFE』誌の読者は、誌面のなかほどで奇妙な指示に出会った。三角形と正方形のかたちに印刷された世界地図を、はさみで切り抜き、糊で貼り合わせるようにと書かれていた。組み立てると、十四面の立体ができる。それは地球儀でもなければ、見慣れた平面地図でもなかった。広げ方を変えるだけで、北極を中心にした地図にも、太平洋を中心にした地図にも、ユーラシア大陸を真ん中に据えた地図にもなる。誌面はこれを「ダイマクション・ワールド」と呼んだ。設計者は四十七歳のR・バックミンスター・フラー。建築家でも数学者でもなく、肩書のつけにくい人物だった。

はさみで切り抜く世界

戦争は二年目に入っていた。読者がはさみを動かしながら気づいたのは、メルカトル図法のときには遠く離れて見えた大陸が、思いがけない近さで隣り合っているという事実だった。アラスカとシベリアは指で触れられそうな距離にあり、グリーンランドは縮んで本来の大きさに戻っていた。地図は、世界の見方を変えるための玩具として配られた。

メルカトル図法が描いた「優位な大陸」

一枚の紙に球体を写しとる作業は、つねに妥協を含む。1569年にゲラルドゥス・メルカトルが発表した投影法は、航海のためには優秀な道具だった。羅針盤の方位を直線として読み取れたからである。しかし副作用も大きかった。緯度が高くなるほど面積が引き伸ばされ、グリーンランドは実際の三倍ほどに膨れあがり、南極大陸は紙の下辺に細長い帯として張りついた。

そこに二十世紀の地政学が重なる。教室の黒板に掛けられた地図では、ヨーロッパが画面中央に据えられ、北半球の国々が分厚く描かれていた。世界は文字どおり「上下」を持ち、ある国の上に別の国があった。第二次世界大戦中、アメリカの軍事戦略家のあいだでも、メルカトル図法が太平洋の距離を歪めて伝えることが問題視されはじめていた。アラスカとカムチャツカは、地球儀で見れば隣家のような近さなのに、平面地図では大洋を挟んだ遠隔地に見える。

フラーが疑ったのは、図法そのものよりも、地図に「中心」と「上下」を持たせる発想だった。中心を置けば、その周縁ができる。優先される国と後回しにされる国ができる。彼の問いはきわめて素朴で、それゆえ厄介だった。世界に、そもそも上下はあるのだろうか。

立方八面体から二十面体へ

1943年版のダイマクション地図は、立方八面体への投影だった。十四枚の面のうち八つが三角形、六つが正方形で、ひとつの面に乗る大陸の形を最小限の歪みで保つように工夫されている。フラーは1944年2月に米国特許を出願し、1946年1月29日に特許第2,393,676号を取得した。同じ年、海事誌『The American Neptune』に「Fluid Geography(流動する地理学)」と題した論考を寄稿し、海軍士官として太平洋を航海した自身の経験を引きながら、なぜ海と空のつながりを優先する地図が必要なのかを論じた。

それでも完成形には届かなかった。立方八面体は、どうしても大陸を分断する箇所が残った。フラーは別の多面体を試しつづけ、十年以上の試行錯誤の末に二十面体(イコサヘドロン)にたどり着く。1954年、改訂版「Airocean World Map(エアーオーシャン世界地図)」が発表された。二十枚の三角形に分割された地球は、広げ方によって、すべての大陸がほぼ連続した「ひとつの島」として現れる。陸地は世界のどこも分断されず、青い海に浮かぶ一塊の大地として読める。

二つの版のあいだの差は、技術的な改善にとどまらない。1954年版は、フラーがしばしば口にする「Spaceship Earth(宇宙船地球号)」の構想と完全に響き合っていた。地球は閉ざされた一つの船であり、乗組員に上下はない。

もっとも、地図学の正統な系譜のなかで、フラーの試みが熱心に迎えられたわけではなかった。地図には「上」があり「正面」があるべきだという慣習は、二十世紀半ばにはまだ揺るがなかった。読みにくく、教科書には載せにくい。商業出版にも乗りにくい。それでも、米軍内部では極地上空を通る最短ルートを示せる地図として一部で参照され、思想家やデザイナーのあいだでは、別の世界像を提案する装置として静かに広まっていく。

強制収容所から地図製作者へ――貞尾昭二

1954年版の制作には、フラー自身と並んで重要な役割を果たした人物がいる。日系アメリカ人建築家、貞尾昭二(しょうじ・さだお)である。

貞尾は1927年1月、ロサンゼルスで生まれた。両親は日本からの移民。第二次世界大戦が始まると、家族は西海岸の他の日系人と同じく、アリゾナ州ヒラリバーの強制収容所に送られた。彼は収容所のなかで高校を終え、施設管理を担当するクエーカー教徒の職員のもとで作業をするうちに建築への関心を抱いた。1945年にボストン大学に進学する許可が下りたものの、入学早々に米陸軍に徴兵される。配属先はドイツで、四年間、軍の地図製作者として働いた。緯度と経度を扱う日常が、後の地図への関わりの素地となる。

復員兵援護法(GIビル)を使ってコーネル大学に編入した貞尾は、1952年に客員教授として赴任してきたフラーと出会う。フラーは年長の友人イサム・ノグチを通じて貞尾を頼りにするようになり、1954年版ダイマクション地図の改訂作業をともに進めた。フラーはのちに、貞尾に宛てた1965年の手紙でこう書いている。「君は、私が自分の人生の目的を追求するうえで、デザイン・サイエンスのパートナーとして真剣に共に歩めると感じた最初の人間だ」――以後、二人はモントリオール万博(1967年)米国館の巨大ジオデシック・ドーム(現Biosphère)など、数々のプロジェクトを設計事務所Fuller & Sadaoとして手がけることになる。

地図に「中心」をなくすという発想を、強制収容所を経験した日系アメリカ人と、海軍士官あがりの発明家が共同で形にした。この組み合わせ自体に、ダイマクション地図の思想が含まれているように思える。

ジオデシック・ドームと同じ思考

フラーが地図と並行して取り組んでいたのが、三角形を組み合わせて球面に近づけるジオデシック・ドームの研究だった。1954年に特許を取得し、後に世界各地で三十万以上の構造物に応用された。一見、地図と建築は別物に見えるが、根は同じ場所にある。

ジオデシック・ドームは、球を多くの小さな三角形に分割し、面ごとの応力を均一に分散させる構造である。荷重は中心に集中せず、構造体全体に等しく流れる。ダイマクション地図も同じ発想で、地球の表面を二十枚の三角形に均等分割し、歪みを面のあいだに散らした。どちらにも「中心」と「中心への過負荷」を避ける設計思想が貫かれている。

フラーは1969年の著書『宇宙船地球号操縦マニュアル』に、有名な一節を残している。「宇宙船地球号には、ひとつ際だって重要な事実がある――取扱説明書がついてこなかったということだ」。地図を読み替えることは、彼にとって、その操縦マニュアルを自分たちで書きはじめる作業だった。

ジャスパー・ジョーンズが塗り潰した地図

ダイマクション地図は美術の領域にも染み出している。1967年、ジャスパー・ジョーンズはモントリオール万博の米国館――フラー設計のジオデシック・ドーム内部――に、自身の最大作となる絵画『Map(Based on Buckminster Fuller’s Dymaxion Airocean World)』を展示した。22枚のパネルからなり、全体で高さ約4.5メートル、幅約9メートル。フラーから提供された原図を投影し、ジョーンズはエンコースティック(蝋画)と油彩で塗り直していった。

ところが、ジョーンズはモントリオールで完成形を初めて見たとき、自分の作品がフラーの地図そのものに近づきすぎていると感じた。会場から戻った絵に、彼は1971年まで手を入れつづけ、木炭を蝋の上に重ね、明確な国名や境界線を曖昧にし、地図というよりも「皮膚」のような触覚的な表面に変えていった。1971年の改訂版は、現在ケルンのルートヴィヒ美術館の所蔵となっている。フラーが描いた「分割されない地球」を、ジョーンズは画家の手で塗り潰しなおした。事実の地図から、ふたたび謎の地図へ。

半世紀後の日本から――鳴川肇のAuthaGraph

ダイマクション地図の系譜は、二十一世紀の日本で意外な続きを得た。建築家・鳴川肇(なるかわ・はじめ)が1999年に考案した投影法「オーサグラフ(AuthaGraph)」である。球面を96の三角形に等分し、四面体に投影してから長方形に展開するこの地図は、面積比をきわめて忠実に保ちながら、長方形の用紙に収まる。鳴川自身がインタビューで、フラーのダイマクション地図から発想を得たと語っている。

オーサグラフは2011年に日本科学未来館の常設地図に採用され、2016年10月にはグッドデザイン大賞を受賞した。大賞の歴代受賞リストには介護機器や交通システムが並ぶなかで、地図が選ばれたのはこの年が初めてだった。選考委員は「いかに地球を正確に表すか」という古い問いに対する、現代日本からの応答として評価した。

オーサグラフは、フラーが残した「中心の置き換え」という発想までも受け継いだ。長方形の地図はタイル状に並べることができ、どこを中心に切り出しても破綻しない。日本を真ん中に置くこともできれば、南極を中央に据えることもできる。地図はもはや、世界を眺める唯一の正面を要求しなくなった。

視点の公平性、その先

スマートフォンの地図アプリを開くと、現在地が画面の中心に置かれる。ピンチアウトで縮小し、ピンチインで拡大する。視点はユーザーごとに違い、固定された「世界の中央」は存在しない。データ・ビジュアライゼーションの分野でも、ネットワーク図やフロー図において、特定のノードを中心に据えない「分散型レイアウト」が一般的な選択肢になっている。

フラーの地図は、1920年代に若き発明家が描いた「one-town world(ひとつの町の世界)」というスケッチから始まり、海軍士官の航海経験、強制収容所を経た若い建築家との出会いを経て、紙の上に結晶した。中心を取り払うという思想は、地図の上では完成しなかった部分もある。緯度経度の縦書きが読みにくいとか、北がどこを向くのか直感的に分からないとか、実用面の弱点は今も残る。それでも、地図が世界の中心を決めなくてもよいのだと、はじめて手のひらの工作で示してみせた点で、ダイマクション地図は無傷でいる。

切り抜くたびに違う中心が現れる紙の地球儀を、いま手に取ってみる。机の上で広げ方を変えると、見慣れた世界はそのつど別の顔になる。フラーが読者に手渡したかったのは、地図ではなく、たぶんその手の動きそのものだった。

基本データ

名称
ダイマクション地図 (Dymaxion Map) / フラー投影法 (Fuller Projection)
考案者
R・バックミンスター・フラー (1895–1983)
共同制作者(1954年版)
貞尾昭二 (1927–2019)
初出
1943年3月1日『LIFE』誌「Life Presents R. Buckminster Fuller’s Dymaxion World」
完成版
1954年「Airocean World Map」
米国特許
第2,393,676号(1946年1月29日取得)
投影法
多面体投影(1943年版:立方八面体/1954年版:二十面体)
主な特徴
大陸を分断しない/「中心」と「上下」を持たない/広げ方によって異なる中心の地図に変形可能
関連語
Spaceship Earth、One Island Earth、Fluid Geography、Geodesic Dome
派生
AuthaGraph(鳴川肇、1999年考案/2016年グッドデザイン大賞)

Q&A

ダイマクション地図は実用的に使えるのですか?
全地球を一望できる用途には強いものの、特定の地域を読み取るには向いていません。北が常に同じ方向を指すわけではなく、ナビゲーション用途では他の図法が優先されます。フラー自身、教育的・概念的なツールとして使うことを想定していました。
1943年版(立方八面体)と1954年版(二十面体)はなぜ二つあるのですか?
1943年版は出発点に過ぎず、立方八面体ではどうしても大陸の分断が残りました。フラーは十年以上の試行錯誤を続け、貞尾昭二との協働で1954年に二十面体ベースの「Airocean World Map」を完成させます。現在「ダイマクション地図」と呼ばれているのは、ほぼこの1954年版を指します。
鳴川肇のオーサグラフはダイマクション地図とどう違うのですか?
オーサグラフは球面を96の三角形に分け、四面体に投影してから長方形に展開する方法です。フラーの地図と違って長方形の用紙にきれいに収まるため、書籍や壁掛けに使いやすくなっています。タイル状に並べて任意の地点を中心に切り出せる仕組みは、フラーの「中心の置き換え」の発想を、より使いやすい形に実装したものといえます。
貞尾昭二(しょうじ・さだお)はどんな経歴の人物だったのですか?
1927年ロサンゼルス生まれの日系アメリカ人建築家です。第二次世界大戦中はアリゾナ州ヒラリバーの強制収容所に送られ、復員後はGIビルを使ってコーネル大学で建築を学びました。フラーの長年のパートナーとして、ダイマクション地図のほか、1967年モントリオール万博米国館のジオデシック・ドームなどを共同設計しました。イサム・ノグチとも長年協働し、ノグチ美術館の元ディレクターでもあります。2019年11月3日、東京で92歳で亡くなりました。
フラーは地図学者ではないのに、なぜ地図を作ったのですか?
フラーは肩書のつかない発明家ですが、22歳で米海軍に入隊して通信士官や砲艦の艦長を務めた経験があり、海軍時代の航海経験から「Fluid Geography(流動する地理学)」という発想を得ました。地図への関心は技術的というより哲学的なもので、地球全体を一望する視点を確立することが、宇宙船地球号という思想の前提でした。

参考文献

Dymaxion map – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Dymaxion_map
Dymaxion Map – Buckminster Fuller Institute
https://www.bfi.org/about-fuller/big-ideas/dymaxion-map/
Shoji Sadao, Quiet Visionary – Buckminster Fuller Institute
https://www.bfi.org/2019/11/11/shoji-sadao-quiet-visionary/
Shoji Sadao – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Shoji_Sadao
AuthaGraph projection – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/AuthaGraph_projection
Accurate world map scoops grand prize at Good Design Awards 2016 – Dezeen
https://www.dezeen.com/2017/01/13/accurate-world-map-scoops-grand-prize-at-this-years-good-design-awards/
“Seen and not looked at:” Jasper Johns’s Embodied Geography – Constellations (University of Pittsburgh)
https://www.constellations.pitt.edu/content/seen-and-not-looked-jasper-johns-s-embodied-geography
Biography – Buckminster Fuller Institute
https://www.bfi.org/about-fuller/biography/

コメント (0)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です