カリフォルニア州ロングビーチの引退者向け住居で、ラス・ヒース(Russ Heath)は社会保障の小切手とチャリティの食事支援に頼って晩年を過ごしていました。DCコミックスの『All-American Men of War』や『Sgt. Rock』で戦闘機と兵士を描き続けたペン入れの名手です。80代半ばの彼は自分の人生を題材にした短いコミックストリップを描いた。2012年に発表されたこの一枚は、2014年、ネット上で大きな反響を呼んだ。チャリティ団体「Hero Initiative」の援助で暮らす日々を綴り、その中でロイ・リキテンシュタイン(Roy Lichtenstein, 1923-1997)の『Whaam!』に触れた。コマの中に書かれたテキストはシンプルでした。「Royはこれで400万ドル稼いだ。俺はゼロだった」。
リキテンシュタインの「ドット」。印刷の網点を巨大化して絵画にした、ポップアートの代名詞。それが世界中の美術館に並んだ60年のあいだに、原画を描いた漫画家たちにはほぼ一円も入りませんでした。話はここから始まります。

抽象表現主義の巨人たちと、ある日の挑発
1961年、ロイ・リキテンシュタインは30代の終わりに差し掛かっていました。1960年からラトガース大学美術学部の助教授で、画家としてはまだ無名。ニューヨークの画壇はジャクソン・ポロックの飛沫とウィレム・デ・クーニングの厚塗りが支配していて、若い画家は皆、絵筆をふるって内面を表現することを期待されていました。リキテンシュタインも例外ではなく、それまでの作品は半抽象的な筆触で、ミッキーマウスやバッグス・バニーをぼんやり描いた習作などを残しています。それで食べていける気配はありませんでした。
転機の説は複数あって、どれが本当の引き金だったかは特定しきれていません。シカゴ美術館の解説資料は3つの起源説を挙げています――幼い息子たちからの絵の挑戦、バブルガムの包み紙との偶然の出会い、同じラトガース大学で教えていたアラン・カプロー(Allan Kaprow)との会話。最も流布しているのは息子説で、当時5歳から7歳だった息子(David HoytとMitchell)のどちらかが、ミッキーマウスのコミックブックを父親に突き出してこう言ったとされる。「父さん、これと同じくらい上手く描ける?」
挑発か軽口かはわかりません。とにかくリキテンシュタインはキャンバスに向かい、子供向けの絵本『Donald Duck Lost and Found』の1ページを再現することにします。釣り糸を引いたドナルドダックが釣り針を自分の尻尾に引っ掛けていることに気づかず、ミッキーが背後で笑う場面。「Look Mickey, I’ve hooked a big one!!」と書かれた吹き出し付きで。
これが『Look Mickey』(1961、油彩、121.9×175.3センチ)。現在はワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アートに収蔵されています。ベンデイ・ドット、吹き出し、漫画コマからの直接的な引用――のちに彼の代名詞となる三つの要素が、この1枚で初めて同居しました。
1879年の印刷技術が美術館に入るまで
ベンデイ・ドットは、リキテンシュタインの発明ではありません。1879年、アメリカの印刷技師ベンジャミン・ヘンリー・デイ・ジュニア(Benjamin Henry Day Jr., 1838-1916)が特許を取得した印刷の階調表現技法です。父親はニューヨーク・サンを創刊した出版人。息子のジュニアは、安価に陰影とグラデーションを再現する方法を編み出して特許化しました。
仕組みは単純で、紙面に等間隔のドットを敷き詰めて中間色や陰影を擬似的に再現する。点の密度を変えれば濃淡が出る。シアンとマゼンタの点を重ねれば紫が見える。離れて見れば滑らかな面、近寄れば点の集合。新聞挿絵、それから1890年代のサンデー・コミックスへ。20世紀半ばのアメリカでは、ベンデイ・ドットはコミックブックの「肌の色」そのものでした。マーベルやDCの戦争漫画でも、登場人物の頬の赤らみは赤いドットの密度で表現される。読者はその点を意識すらしません。印刷の解像度の問題として、点は溶けてピンクの頬に見えるからです。

リキテンシュタインがやったのは、その点を引き伸ばすことでした。コミックブックでは溶けて見えないドットを、48×69インチ(約122×175センチ)の油彩キャンバスに拡大して塗り直す。点の存在が目に見えてくる。印刷というメカニズムそのものが、主題に変わりました。
『Look Mickey』のドットは、すべて手描きです。翌1962年からは穴の開いた金属スクリーンを使うようになりますが、それでも一点ずつ筆で塗っていく。マシンを真似る手仕事。この倒錯がリキテンシュタインのポップアートの核です。スコットランド国立美術館の解説資料によれば、彼は1962年に「以前は手描きしていたベンデイ・ドットを作るために、穿孔金属スクリーンを初めて使用した」と記録されている。
コマから物語を剝ぎ取る
ベンデイ・ドットの拡大が見えてきたのは、コミックという文脈から1コマを引き剥がしたからでした。
漫画の1コマは、前後のコマがあって初めて意味を持ちます。物語の流れの中で、登場人物の感情、戦闘の経過、ロマンスの行方が伝わる。ところがリキテンシュタインはコマを1つだけ取り出し、4畳ほどの壁面に引き伸ばす。前のコマも、後のコマもない。
『Drowning Girl』(1963、ニューヨーク近代美術館蔵)では、波に飲まれかけた若い女性が涙を流しながら心の中でこう叫んでいます。「I don’t care! I’d rather sink—than call Brad for help!」――そんなのどうでもいい!ブラッドに助けを求めるくらいなら沈むほうがマシ!。誰がブラッドなのか。なぜ彼女は溺れているのか。鑑賞者は知らされません。物語は消え、漫画らしさだけが残っている。
リキテンシュタイン自身は1963年、批評家ジーン・スウェンソン(Gene R. Swenson)のARTnews誌11月号のインタビューで、こう述べています。「ポップアートは『アメリカン・ペインティング』と呼ばれているけれど、実際には『インダストリアル・ペインティング』なんだ。アメリカは産業化と資本主義に強く早く撃ち抜かれた、それでその価値観もより歪んで見える」。同じインタビューには、もう一つ印象的な発言があります。「ポップアートは何かを描いた絵に見えない。そのものに見えるんだ」。
意味を剝ぎ取って、印刷=テクノロジーだけを残す。これがリキテンシュタインの操作でした。
デュッセルドルフで、別の点が描かれていた
1963年、ニューヨークから6,500キロ離れた西ドイツのデュッセルドルフで、もう一人の若い画家が同じ問題を解いていました。ジグマー・ポルケ(Sigmar Polke, 1941-2010)。シレジア生まれ。第二次大戦の戦災で東ドイツに逃れ、1953年に西ドイツのデュッセルドルフに落ち着きます。1961年からデュッセルドルフ美術アカデミーで絵画を学び、1963年当時は22歳の美大生でした。
同年、ポルケはゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter)、コンラート・リューク(Konrad Lueg)、マンフレート・クットナー(Manfred Kuttner)とともに、デュッセルドルフの家具店ベルゲスで展覧会『Leben mit Pop: Eine Demonstration für den kapitalistischen Realismus(ポップとともに生きる:資本主義リアリズムのためのデモンストレーション)』を開きます。東側の「社会主義リアリズム」に対する皮肉な対抗概念。資本主義もまた一つのリアリズムである、という宣言です。
ポルケがこの時期から始めた連作『Rasterbilder』(ラスター絵画)は、新聞や雑誌のハーフトーン印刷を巨大化して描き写すものでした。1963年の『Rasterzeichnung (Porträt Lee Harvey Oswald)(ラスター画:リー・ハーヴェイ・オズワルドの肖像)』では、ケネディ大統領を暗殺した青年の新聞写真を、無数の手描きの点で再現しています。

ポルケのドットは、リキテンシュタインのものと違って清潔ではありません。鉛筆の消しゴムにインクをつけて押した、にじみのある、ずれた点。粗雑さがあえて残されている。雑誌のグラビアを真似ているのではなく、安いコピー機の解像度を再現しようとしているような汚れ。リキテンシュタインのドットが工業製品の理念型(イデア)を磨き上げて見せるのに対して、ポルケのドットはその欠陥のほうを愛しています。
同じ1963年、ニューヨークとデュッセルドルフで、二人の画家がほぼ同じ問題に取り組んでいました――マスメディアの印刷物の網点を、絵画の主題にできるか。リキテンシュタインは「できる、磨き上げて」と答え、ポルケは「できる、汚いまま」と答えました。
「アメリカ最悪のアーティスト」
1964年1月31日号のLife誌は、こんな見出しで彼を取り上げました。「Is He the Worst Artist in the U.S.?」――彼はアメリカ最悪のアーティストなのか?。
抽象表現主義の支持者たちにとって、リキテンシュタインの絵は絵画という言葉に対する侮辱でした。手の痕跡もなく、感情もない。商業デザインの引き写しが、なぜギャラリーや美術館に並ぶのか。リキテンシュタイン自身も同年認めています。「私の絵画は批評的に変容しているはずだが、合理的に証明するのは難しい」。
しかし、ほとんど語られなかったもう一つの批判者の集団がいました。原画を描いた漫画家たちです。
『Whaam!』(1963、テート・モダン蔵)の戦闘機シーンは、DCコミックスの『All-American Men of War』第89号(1962年2月)から取られています。原画を描いたのはアーヴ・ノヴィック(Irv Novick)。『Blam』『Okay Hot-Shot, Okay!』『Brattata』など、リキテンシュタインの戦争絵画の多くは、同じ号と関連する号からの転写で、ラス・ヒースの絵もしばしば下敷きになりました。他にもトニー・アブルッツォ(Tony Abruzzo)、ジョー・キューバート(Joe Kubert)、ジョン・ロミタ(John Romita)、ハイ・アイズマン(Hy Eisman)など、多くの漫画家の名前が、後にデイヴィッド・バルサルー(David Barsalou)による調査プロジェクト「Deconstructing Roy Lichtenstein」で突き止められています。
アイズマンは、1963年に自分のロマンス漫画『Private Secretary』のコマがリキテンシュタインに転用された時のことを後年、2023年のドキュメンタリー映画『WHAAM! BLAM! Roy Lichtenstein and the Art of Appropriation』でこう振り返っています。「あのページで、僕がもらった原稿料は4ドルくらいだった。それを彼は絵画にして数百万ドル稼いだ」。当時のコミックブックは「ワーク・フォー・ハイヤー」契約で、絵を描いた漫画家自身に著作権はありませんでした。
ヒース本人は、91歳で亡くなる直前まで、長年チャリティ団体「ヒーロー・イニシアチブ(Hero Initiative)」の援助を受けていました。彼が描き、『DC: The New Frontier』などで知られる漫画家ダーウィン・クック(Darwyn Cooke)が彩色と文字入れを担当したそのストリップは、2012年に発表されている。これが冒頭で触れた「Royは400万ドル、俺はゼロ」のストリップです。
借用が芸術になった日
1964年11月、リキテンシュタインのドット騒動の最中に、別の場所で別の借用が始まっています。
アンディ・ウォーホルがニューヨークのレオ・カステリ・ギャラリーで『Flowers』シリーズを発表した直後、エレイン・スターテヴァント(Elaine Sturtevant, 1924-2014)がウォーホル本人を訪ねます。そして彼が制作に使った22インチのシルクスクリーンを、本人から借りた。同じ版で、自分の手で、自分の『Warhol Flowers』を作り始めます。1971年までに95点。技法も画材も、見た目もウォーホルの作品とほぼ同じ。違うのは誰が作ったかだけです。
ウォーホルは異議を唱えませんでした。後に彼の制作方法を問われた時、「知らないよ、エレインに聞いて」とジョークで返したと伝えられています。
スターテヴァントは自分の行為を「appropriation(借用)」とは呼びませんでした。「repetition(反復)」と呼んだ。著作権を侵害したかったのではなく、オリジナリティという概念そのものを問い直したかったのです。リキテンシュタインがコミックの1コマを「美術」に引き上げたなら、自分はその「美術」をもう一度反復してみる――そういう実験でした。リキテンシュタイン本人の作品もスターテヴァントの模倣対象になっています。
スターテヴァントを起点に、1980年代にはシェリー・レヴィン(Sherrie Levine, b.1947)、リチャード・プリンス(Richard Prince, b.1949)、マイク・ビドロ(Mike Bidlo, b.1953)、バーバラ・クルーガー(Barbara Kruger, b.1945)らの「アプロプリエーション・アート」世代が登場します。ビドロは2016年以降、『Not Lichtenstein』というシリーズで、リキテンシュタインの作品をペンと墨で再制作している。たとえば『NOT LICHTENSTEIN (I know how you must feel, 1963)』(2016)。「リキテンシュタインの作品ではない」と否定形のタイトルを付けて、引用と所有の問題を再帰的に投げ返しました。

ヒースの怒りが、いま響くということ
リキテンシュタインの作業はシンプルでした。漫画から1コマを取り、ベンデイ・ドットを巨大化し、絵画として提出する。そのシンプルさが、60年後のいまを予言しています。
ミーム文化は、引用と歪曲の上に成立している。元のスクリーンショットから1コマだけ取り出し、文脈を剝ぎ取り、別のキャプションを乗せて拡散する。原作者にはほぼ何も還元されない。音楽のサンプリング、TikTokのリミックス、生成AIの学習データ。いずれもリキテンシュタインが1961年に始めた操作の、規模と速度を変えた繰り返しです。
ベンデイ・ドットがマスプロダクションの記号だったように、いまの画像はすべてピクセルでできています。粒子はもう機械的に等間隔ではなく、計算によって生成される。それでも、拡大すれば必ず正体を現す。点。点。点の集合。
ラス・ヒースの怒りは正当でした。同時に、彼が指差した問題は60年経っても解けていません。リキテンシュタインのドットは美術館の白い壁に飾られたまま、いまも静かに点滅し続けている。誰のものでもないかもしれない、誰のものでもありうる、その揺らぎの中で。
Q&A
- ベンデイ・ドットとハーフトーン印刷は同じものですか?
- 厳密には別物です。ベンデイ・ドットは1879年特許の手作業ベースの技法で、同じサイズ・密度のドットを面に敷き詰めて単一の色調を作ります。ハーフトーン印刷は写真画像の階調を、ドットのサイズや密度を変化させて再現する技法で、CMYK4色のスクリーンを別角度で重ねるのが現代の標準です。リキテンシュタインがコミックから採ったのはベンデイ式、ポルケが新聞写真から採ったのはハーフトーン式に近い。両者を分けずに「網点」と呼ぶ場面が多いですが、技術史的には区別されます。
- リキテンシュタインは漫画家から訴えられなかったのですか?
- 訴えられませんでした。当時のコミックブック業界では「ワーク・フォー・ハイヤー」契約が一般的で、漫画家本人ではなく出版社(DC、マーベルなど)が著作権を持っていました。ラス・ヒース本人がインタビューで述べているように、「キャラクターは出版社のもので、提訴できるのは出版社だけ。でも訴訟費用に見合うほどの金額にはならないから誰もやらなかった」。リキテンシュタインの絵が数百万ドルで取引されるようになってからは、後年デイヴ・ギボンズ(『Watchmen』作画)などが公の場で批判を始めましたが、法的には決着がついていません。
- 『Look Mickey』のミッキーマウスはディズニーの著作権の対象ですよね?
- はい、対象です。リキテンシュタインは生前ディズニーから訴えられませんでしたが、これは美術館やコレクターの間で展示される一回性の高い文脈と、大量複製・商品化の文脈が法的に区別されてきたためです。フェアユース(fair use)の判断は個別事例で揺れますが、ディズニー側がリキテンシュタイン作品に対して公の場で異議を申し立てた記録はなく、概ね寛容な態度を取ってきたとされます。
- ポルケとリキテンシュタインは互いを知っていましたか?
- ポルケ側は知っていました。ポルケ、リヒター、リュークらは1963年当時アメリカのポップアートを雑誌で熱心に追っており、それに対抗する形で「資本主義リアリズム」を立ち上げています。リキテンシュタインがポルケのRasterbilderを意識していた形跡は薄いですが、Tate美術館の展覧会カタログなどでは「米独で並走した網点絵画」として比較されることが多くなっています。両者の差は、政治的距離感(ポルケはより辛辣)と、ドットの「清潔さ」に表れています。
- スターテヴァントの「反復(repetition)」は、いまでいうフェイクや贋作とは違うのですか?
- 違います。贋作は元作家の名前で売って利益を得るのが目的ですが、スターテヴァントはすべて自分の名前で発表しています。彼女の作品ラベルには「Sturtevant, Warhol Flowers, 1965」と明記される。観客はウォーホルの作品ではなく、ウォーホルを反復したスターテヴァントの作品を見ていると知ったうえで対面します。ここで問われるのは作品そのものの真贋ではなく、「同じ手続きで作られた同じ見た目の絵が、別の名前で署名されたとき、何が変わるのか」という哲学的な問いです。
参考文献
- Look Mickey — Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Look_Mickey
- Roy Lichtenstein Learning Resource — National Galleries of Scotland
- https://www.nationalgalleries.org/art-and-artists/features/roy-lichtenstein-learning-resource
- Ben Day process — Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Ben_Day_process
- Whaam! — Wikipedia (Tate Modern収蔵情報含む)
- https://en.wikipedia.org/wiki/Whaam!
- In This 1963 Interview, Roy Lichtenstein “Doubts” Pop Art Will Have a Lasting Influence — Artspace
- https://www.artspace.com/magazine/interviews_features/book_report/roy-lichtenstein-what-is-pop-art-55006
- Sigmar Polke — Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Sigmar_Polke
- The King of Dots: Who Is Sigmar Polke? — TheCollector
- https://www.thecollector.com/the-king-of-dots-who-is-sigmar-polke/
- Was Roy Lichtenstein an Appropriation Artist or Plagiarist? — Artnet News
- https://news.artnet.com/art-world/whaam-blam-roy-lichtenstein-documentary-2268088
- Russ Heath: 1926-2018 — The Comics Journal
- https://www.tcj.com/russ-heath-1926-2018/
- Sturtevant Biography and Warhol Flowers — Pinault Collection
- https://lesoeuvres.pinaultcollection.com/en/artwork/warhol-flowers
- Mike Bidlo — Tobias Mueller Modern Art Biography
- https://muellermodern.com/artists/30-mike-bidlo/biography/
基本データ
- 主要作品
- 『Look Mickey』(Roy Lichtenstein, 1961, 油彩, 121.9×175.3cm, National Gallery of Art蔵)
- 関連作品
- 『Drowning Girl』(Lichtenstein, 1963, MoMA蔵)、『Whaam!』(Lichtenstein, 1963, Tate Modern蔵, 1966年購入)、『Rasterzeichnung (Porträt Lee Harvey Oswald)』(Sigmar Polke, 1963)、『Warhol Flowers』(Elaine Sturtevant, 1964-)
- 主要人物
- Roy Lichtenstein (1923-1997, アメリカ)、Sigmar Polke (1941-2010, ドイツ)、Elaine Sturtevant (1924-2014, アメリカ)、Russ Heath (1926-2018, アメリカ、漫画家)、Mike Bidlo (b.1953, アメリカ)
- 技法
- ベンデイ・ドット(Ben-Day dots) — 1879年、Benjamin Henry Day Jr.特許取得。等間隔のドットで階調・中間色を表現する印刷技法。コミックブックの彩色に多用された。リキテンシュタインは1961年に手描き、1962年から穿孔金属スクリーンを使用
- 関連美術運動
- Pop Art (米英, 1950年代後半-)、Capitalist Realism (西ドイツ, 1963-)、Appropriation Art (1980年代-)
- 同時代の批評
- Life誌 1964年1月31日号「Is He the Worst Artist in the U.S.?」、Gene R. Swenson「What Is Pop Art? Answers from Eight Painters, Part I」ARTnews 1963年11月号
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