階段を転がる乳母車|エイゼンシュタインからデ・パルマへ続くモンタージュの系譜

階段を転がる乳母車|エイゼンシュタインからデ・パルマへ続くモンタージュの系譜

目次

ユニオン駅、1987年

シカゴ、ユニオン駅の大理石階段。一人の女性が、重い乳母車を必死に押し上げている。階段の上では、財務省捜査官エリオット・ネスが拳銃を握りしめ、アル・カポネの会計士が現れるのを待ち構えている。発砲。乳母車が手を離れ、階段を転がりはじめる。

スローモーションになる。エンニオ・モリコーネの音楽がオルゴール調に変わる。乳母車の車輪が一段ずつ跳ねる。撃ち合いの銃口が炎を吐く。倒れる人々の手。叫び続ける母親の顔。階段を駆け降りる相棒のジョージ・ストーン。

これは1987年6月に公開された『アンタッチャブル』のクライマックス、通称「ユニオン駅のシーン」だ。ブライアン・デ・パルマ監督が、ある一本のソビエト映画への明白なオマージュとして撮ったシーンだった。元ネタは、彼の生まれる15年前に作られていた。

オデッサの階段、1925年

セルゲイ・エイゼンシュタイン監督『戦艦ポチョムキン』。1925年公開、5幕構成のサイレント映画。映画全体は約1週間で撮影され、12日で編集された突貫工事の作品だ。その4幕目に置かれた「オデッサの階段」シーンは、現実なら数分で終わる虐殺を約7分に引き伸ばし、観る者の感覚を引き裂いた。

舞台は1905年、当時ロシア帝国領だったオデッサ(現在のウクライナ)。戦艦ポチョムキンの水兵たちが反乱を起こし、それを支持する市民たちが港の大階段に集まる。そこへ上から皇帝軍の兵士たちが現れ、無差別に発砲を始める。

エイゼンシュタインが行ったのは、この虐殺を「一つの長いショット」では撮らないことだった。長靴で行進する兵士の脚。逃げ惑う群衆。撃たれて倒れる女性。母親に押される乳母車。眼鏡を割られた老女の顔。これら断片を、数百のショットに分割して激しく繋いだ。観客に虐殺を「説明」するのではなく、断片の連打で「体験」させる構成だった。

決定的な瞬間は、撃たれた母親の手から離れた乳母車が、階段を転がり落ちはじめるカットだった。

クレショフが見せた「1+1=3」

エイゼンシュタインがこの映画を撮る数年前。モスクワでは、レフ・クレショフという若い理論家が奇妙な実験をしていた。

彼は俳優イワン・モジューヒンの無表情な顔のショットを用意し、その後にスープの皿、棺の中の少女、長椅子で横たわる女性、という三つの異なるショットを別々に繋いだ。同じ顔。違うのは、その後ろに置かれた一枚のカットだけ。観客はこの三バージョンを見て、それぞれ「空腹」「悲しみ」「欲望」を読み取ったとされる。

ショットそのものは中立だった。意味は、二つのショットの「あいだ」で生まれていた。Aの後にBを置くと、Aだけでも、Bだけでもなかった新しいCが立ち上がる。1+1が3になる現象。後にクレショフ効果と呼ばれるようになる。

エイゼンシュタインはこの考えを継承し、さらに激しい方向へ押し進めた。彼の論文集に収められた一文が知られている。「いかなる種類のものであれ、二つの断片が並べ置かれるとき、それは避けがたく新しい概念を生む」。彼はこれを「衝突」と呼んだ。穏やかな組み合わせではなく、ぶつかり合いから意味が生まれる、と。

コラージュという同時代の発明

ここで時計を13年戻したい。1912年、パリ。

キュビスムを共同で築いていたジョルジュ・ブラックは、夏休みで南仏に滞在中、ある雑貨店で木目柄のオイルクロス——テーブルクロスにする油布——を見つける。彼は描きかけのキュビスム作品にこれを切って貼った。木目を「描く」のではなく「貼る」。同じ年の5月にはピカソが『籐椅子のある静物』を制作し、印刷された籐の柄を画面に貼り込み、ロープでフレームを縁取った。

これがコラージュという技法の発祥とされる出来事だ。絵画の歴史のなかに、描かれていない断片——既製品の素材——が侵入してきた瞬間でもあった。

ブラックとピカソは絵筆だけで「世界を再現する」伝統を捨てたわけではない。彼らがやったのは、現実の断片そのものを画面に組み込み、それと描かれた要素の「あいだ」で意味を発生させる作業だった。映画でいう編集に近い。複数の素材を並置することで、それぞれが単体で持っていた意味の総和を超える何かを呼び出す。

エイゼンシュタインがオデッサの階段で兵士の脚と乳母車を衝突させたとき、彼は同じことを別のメディアでやっていた。

グリフィスからの借用

ソビエトのモンタージュ理論は無から生まれたわけではない。エイゼンシュタインも、クレショフも、アメリカ映画のある巨匠の作品を熱心に研究していた。デヴィッド・ウォーク・グリフィス。

グリフィスは1908年の『After Many Years』ですでに「並行モンタージュ(parallel editing)」を使い始めていた。離れた場所で同時に起きている複数の行動を、交互にカットで切り替えて見せる手法。『国民の創生』(1915)、『イントレランス』(1916) でこれを大々的に展開し、息を呑む緊張感を作り出した。「最終局面の救出」として後に教科書に載る型である。

グリフィスのモンタージュは物語を効率的に語る手段だった。AとBを交互に見せることで、A地点で起きていることが B地点に向かって収束していくことを観客に直感させる。直線的で、目的に従順だった。

エイゼンシュタインはこの手法を出発点としつつ、別の方向へ進んだ。グリフィスが「物語を加速する」ために編集を使ったとすれば、エイゼンシュタインは「概念を生み出す」ために編集を使った。怠惰な貴族のカットの後に動かない孔雀のカットを繋ぐと、観客の頭の中に「うぬぼれ」という抽象観念が立ち上がる——これを「知的モンタージュ」と理論化した。メトリック(フレーム数による)、リズミック(視覚的連続性による)、トーン(感情の質による)、オーバートーン(諸要素の総合)、知的、と五つに分類されることになる。

編集は、ハリウッドでは物語の道具だった。ソビエトでは思考の道具になった。

デ・パルマの返答——倒立した引用

62年後の1987年、デ・パルマがやったことの面白さは、この系譜を理解すると見えてくる。

彼はオデッサの階段の図像をそのまま借りた。階段、乳母車、撃たれる女性、転がり落ちる車輪のクローズアップ。スローモーションで分解された数十のショット。これだけ見れば純粋なエイゼンシュタインのオマージュだ。

だが、その構造には別の手法が使われていた。デ・パルマは「ネス側」と「ギャング側」と「乳母車を押す母親」を交互に切り替え、ネスが「乳母車を救うか/敵を撃つか」という二者択一に追い込まれていく過程を見せる。これはむしろグリフィスの並行モンタージュだ。複数の独立した行動が一点に収束していき、最後に「最終局面の救出」が起きる。階段を駆け降りるストーンが、転がる乳母車に滑り込みで間に合う——グリフィスが好んだ救出の型そのもの。

エイゼンシュタインの「衝突」と、グリフィスの「収束」。ソビエトの「概念のモンタージュ」と、ハリウッドの「物語のモンタージュ」。1987年のシカゴで、両者が一つのシーンに同居した。デ・パルマは『アンタッチャブル』のメイキング・インタビューで、このシーンは「廉直の体現者であり家族の人間でもあるネスのジレンマ——ギャングを撃つか、赤ん坊を救うか——を強調する」のだと語っている。引用しながら、引用元には無かった倫理的緊張をハリウッド的構造で付け加える。これが「逆転の引用」と呼びうる手つきだった。

モンタージュは映像の血流になった

モンタージュは映画だけのものではなくなった。アルフレッド・ヒッチコックの『サイコ』(1960) のシャワー・シーン、フランシス・フォード・コッポラの洗礼シーン(『ゴッドファーザー』1972)——後者は教会での洗礼の儀式と、市内各地で進行する暗殺を交互に見せ、神聖と冒涜の衝突から「アメリカン・ファミリーの暗黒」という観念を立ち上げる、知的モンタージュの一つの到達点だ。

そして今。私たちが日常的に触れているTikTokの編集も、YouTubeのエッセイ動画も、ミーム画像も、すべて「断片を並べると新しい意味が生まれる」という1925年の発見の上に成り立っている。クレショフが俳優の顔と棺を並べて発見したことと、TikTokクリエイターがリアクション映像と原素材を並べることのあいだに、論理の断絶はない。

階段を転がる乳母車を見て胸が締めつけられる感覚——それは赤ん坊が映っているからではなく、その前後に配置された百のショットが、観る者の頭の中で「組み立て」られているからだ。1912年にブラックがオイルクロスを切って貼った日から、断片を並置する行為は意味を生む装置として作動し続けている。

エイゼンシュタインの一文をもう一度書き写してみる。「いかなる種類のものであれ、二つの断片が並べ置かれるとき、それは避けがたく新しい概念を生む」。彼はこれが映画についてだけの話ではないと念を押した。クレショフが俳優の顔と棺を並べたとき、彼は何かを発明したわけではない。観客の頭の中にもとからあった機能——隣り合った二つのものから意味を引き出す機能——を、初めて意識的に使ってみせただけだ。発明ではなく発見だった。私たちは今も、知らないうちにこの機能を働かせ続けている。

Q&A

「オデッサの階段」での虐殺は史実ですか?
1905年のロシア第一革命下では実際に弾圧があったが、戦艦ポチョムキンの反乱と階段での大規模虐殺が結びついていた事実はない。エイゼンシュタインによる劇的な脚色である。映画そのものは1905年革命の20周年記念事業として企画された。
エイゼンシュタインとグリフィスに直接の交流はあったのですか?
個人的な親交はなかったが、エイゼンシュタインはグリフィス作品を熱心に研究し、論文「ディケンズ、グリフィス、そして我々」(1944年)で詳細に分析している。グリフィスの並行編集はソビエト・モンタージュの直接の先駆だった。
オデッサの階段にオマージュした映画は他にもありますか?
多い。ヒッチコックの『海外特派員』(1940) や『サイコ』(1960) にも構図的な類似が指摘され、コッポラの『ゴッドファーザー』にも階段を使った同様のシーンがある。デ・パルマ以前にも以後にも、数えきれない引用がある。
「衝突」のモンタージュと、ハリウッドの編集はどう違うのでしょうか?
ハリウッド古典編集(continuity editing)は観客に編集の存在を意識させず、物語を自然に進めることを目指す。エイゼンシュタインの「衝突」は逆に、編集を意識させ、ショット間の摩擦から新しい意味を立ち上げる。前者の目標は「透明」、後者の目標は「不透明」だった。
デ・パルマはエイゼンシュタイン以外にも誰のオマージュをしてきましたか?
ヒッチコックへの引用が圧倒的に多い。『キャリー』『殺しのドレス』『ボディ・ダブル』などはいずれもヒッチコックの諸作品を下敷きにしている。引用そのものが彼の作家性であり、『アンタッチャブル』はそこにグリフィスとエイゼンシュタインを重ねた特殊な例だった。

参考文献

Battleship Potemkin | Britannica
https://www.britannica.com/topic/Battleship-Potemkin
Soviet Montage Theory — Definition, Examples and Types of Montage | Studio Binder
https://www.studiobinder.com/blog/soviet-montage-theory/
Gang Wars, the Prohibition Menace: Brian De Palma’s ‘The Untouchables’ | Cinephilia & Beyond
https://cinephiliabeyond.org/the-untouchables/
Iconic movie scene: The Untouchables’ Union Station shoot-out | Den of Geek
https://www.denofgeek.com/movies/iconic-movie-scene-the-untouchables-union-station-shoot-out/
Still Life with Chair Caning | Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Still_Life_with_Chair_Caning
Kuleshov effect | Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Kuleshov_effect
The Untouchables (film) | Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Untouchables_(film)
D.W. Griffith | Britannica – History of film
https://www.britannica.com/art/history-of-film/D-W-Griffith

基本データ

戦艦ポチョムキン
1925年公開 / ソビエト連邦 / 監督:セルゲイ・エイゼンシュタイン / 製作:モスフィルム / モノクロ・サイレント / 5幕構成
セルゲイ・エイゼンシュタイン
1898年-1948年 / ソビエト連邦の映画監督・理論家 / 代表作『ストライキ』(1925)『戦艦ポチョムキン』(1925)『十月』(1928)『イワン雷帝』(1944) / 著書『フィルム・センス』『フィルム・フォーム』
アンタッチャブル
1987年6月3日米国公開 / 監督:ブライアン・デ・パルマ / 脚本:デヴィッド・マメット / 音楽:エンニオ・モリコーネ / 出演:ケヴィン・コスナー、ショーン・コネリー(アカデミー助演男優賞受賞)、ロバート・デ・ニーロ、アンディ・ガルシア / 配給:パラマウント / 上映時間119分
D.W.(デヴィッド・ウォーク)グリフィス
1875年-1948年 / アメリカの映画監督 / 並行モンタージュ(クロス・カッティング)の確立者 / 代表作『国民の創生』(1915)『イントレランス』(1916)
レフ・クレショフ
1899年-1970年 / ソビエト連邦の映画監督・理論家 / モスクワ国立映画大学(VGIK、世界初の映画学校)創設者の一人 / クレショフ効果の発見者
コラージュの誕生
1912年 / パリ / ジョルジュ・ブラック(1882-1963)とパブロ・ピカソ(1881-1973)による / ピカソ『籐椅子のある静物』(1912年5月) が最初のキュビスム・コラージュとされる

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