漫画は、絵をコマに割って並べ、吹き出しや描き文字を組み合わせて物語や笑いを伝える表現形式である。マンガ、まんがとも表記され、英語圏では日本の作品を指す語としてmangaが定着している。
「漫画」という語自体は江戸時代からあった。1798年の山東京伝の本にすでに使用例があり、1814年に初編が出た葛飾北斎の『北斎漫画』も、思いつくままの素描を集めた絵手本だった。いまの意味に近づくのは明治時代で、1895年に今泉一瓢が西洋のカリカチュアの訳語として用い、北沢楽天らが新聞や雑誌で広めた。それまで風刺画はポンチ絵などと呼ばれていた。12〜13世紀の『鳥獣人物戯画』を祖先に挙げる見方もあるが、コマの連続で時間を運ぶ現在の形式が固まるのは20世紀に入ってからだ。
戦後、手塚治虫は1947年の『新宝島』で、クローズアップや視点の切り替えを使った映画のようなコマ運びを長編に持ち込んだ。1950年代末には貸本の世界から劇画と名乗る写実的な作風が現れ、1959年に『週刊少年マガジン』と『週刊少年サンデー』が創刊されると、週刊誌での連載が主な舞台になる。読者が大人になっても読み続けたことで、扱う題材は子ども向けの枠を越えて広がった。
動きや音、感情は、効果線や描き文字、汗や怒りの印といった記号で画面に描き込まれ、読者と作者のあいだの約束事として育ってきた。漫画の文法の中心は、コマとコマのあいだの空白にある。読者は描かれていない時間を自分で補いながら読む。アメリカの漫画家スコット・マクラウドは1993年の『マンガ学』で、日本の漫画はアメリカン・コミックスに比べ、場面や視点の静かな移り変わりを多く使うと指摘した。台詞を抜いてもページが読めるのは、この補完が働くからである。
手塚が映画から借りたコマ運びは手塚治虫『新宝島』で、台詞を消して絵だけで読ませた最終回の設計は井上雄彦『スラムダンク』最終回で取り上げた。アメリカのコミックスのコマと網点を絵画に引き伸ばした画家はリキテンシュタインの『ドット』に詳しい。