反オートメーションの機械たち|ティンゲリーから不便益まで、機械が機械を否定する100年

反オートメーションの機械たち|ティンゲリーから不便益まで、機械が機械を否定する100年

目次

機械が自殺した夜

1960年3月17日の夜、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の彫刻庭園で、白く塗られた巨大な機械が震えながら動き出した。高さ約8メートル、長さ約7メートル。自転車のホイール、解体されたピアノ、ラジオ、ベビーバス、ゴーカート、エナメル製のバスタブ、住所印刷機、便器。15個のモーターが、それぞれ別の時刻に作動するよう仕掛けてあった。

スイスから来た34歳の彫刻家ジャン・ティンゲリーは、3週間かけてこれを組み上げた。目的はひとつ。観客の前で自分自身を破壊することだった。

ピアノが鳴り、煙が吐き出された。気象観測用の気球が膨らみ、破裂した。ガラス瓶が次々と落ちて砕け、メタマティック(描画機械)の腕は紙の上で抽象画を描き、そのまま破った。設計に協力したベル研究所のビリー・クルーヴァーは延長コードを抜くタイミングを誤り、招待されていた250人ほどの観客とロバート・ラウシェンバーグの見守る中、装置は予定より早く火を吹いた。27分後、消防車が到着して残骸を片付ける頃には、機械は半分ほど自壊することに成功していた。

タイトルは「Homage to New York(ニューヨークへのオマージュ)」。物質的過剰の都に捧げられた、自滅の祝祭である。

機械を壊したのではない。機械に、自分を壊させたのである。ティンゲリーが選んだのはハンマーではなく、モーターとタイマーだった。技術への批判を、技術そのものの手つきで行う。この自己言及的なねじれには、1929年の新聞漫画にまで遡る前史と、京都の研究室で「不便益」と名づけられる後日譚がある。効率を否定する装置は、なぜ100年ものあいだ作られ続けたのか。

道化師たちの先祖

機械が機械を否定するという発想は、ティンゲリーの専売特許ではない。アメリカでは1929年、新聞漫画家ルーブ・ゴールドバーグが「ルシファー・G・バッツ教授の発明(The Inventions of Professor Lucifer Gorgonzola Butts, A.K.)」と題する連載を開始する。3年間で約60作品。極端に複雑な機械が、ばかげて単純な作業を遂行する、という構図の連作だった。

最も有名な「自動ナプキン(Self-Operating Napkin、1931年)」では、スプーンを口に運ぶ動作が紐を引き、それがおたまを跳ね上げ、クラッカーがオウムに向かって飛び、オウムが跳ねた拍子に止まり木が傾き、種が桶に落ち、桶の重みで紐が下がり、自動ライターが点火し、ロケットが飛び、鎌が別の紐を切り、振り子に取り付けられたナプキンが揺れて――ようやくバッツ教授の顎を拭う。同じころ、フォードはT型自動車をベルトコンベアで2時間半に1台組み立てていた。ゴールドバーグはその効率の対極を描き続けた。1929年10月、ウォール街は崩壊する。

ヨーロッパでは、ダダイストたちが先に走っていた。フランシス・ピカビアとマルセル・デュシャンは1910年代から、何の役にも立たない機構を製図的に描く「機械的肖像(mechanomorphic portrait)」を発表していた。デュシャンの大ガラス、正式名称「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」(1915-1923)に至っては、観客の前で婚礼を演じない、未完のまま「完成」した婚礼機械である。

何もしないことを発明する

イタリア未来派の第二世代に属していたミラノの若者、ブルーノ・ムナーリは別の道を選んだ。フィリッポ・トマソ・マリネッティ率いる未来派は、機械、速度、戦争を神格化した。マシン崇拝(technolatry)の代表的なムーブメントである。

ムナーリは1930年に「Aerial Machine(空中機械)」を作り、1933年から本格的に「役に立たない機械(Macchine Inutili)」シリーズを発表する。糸と棒、紙片、薄い金属板を組み合わせて吊るしただけの構造物。空気の流れで揺れ、回り、何も生産しない。重力と気流が動力で、目的は持たない。

未来派から離反した理由を、ムナーリは後に「技術崇拝のレトリックへの反論」と書いた。ファシスト政権が「生産」と「効率」を国是にしつつあった国で、何も作らない機械を作ること。それは政治的な選択でもあった。ムナーリは控えめに、しかし継続して、戦後まで合計93点の「役に立たない機械」を制作する。批評家ディノ・ブッツァーティが1948年に雑誌『Pesci Rossi』で論じたほど、戦後イタリアでの再評価は早かった。

メタマティックという挑発

ティンゲリーが本格的に動き出したのは1955年、パリのドゥニーズ・ルネ画廊での展覧会「Le Mouvement」だった。最初の機械彫刻のひとつ「Méta-Malevich」は、ロシア構成主義の図形を、機械が勝手に動かす作品である。

1959年3月、ティンゲリーはデュッセルドルフ上空から、自作の宣言文「Für Statik(静へ)」を印刷したビラを撒いた――真偽は定かでないが、本人と関係者の証言では小型機から散布したとされる。文面は逆説的だ。「すべては動く。静止は存在しない。古びた時間の概念に支配されるな。時計、秒、分を捨てよ。変化に抵抗するのをやめよ。動きとともに静かであれ」。動を肯定するために静を讃える、ねじれた論理である。

同年7月、パリのギャラリー・イリス・クレールで「Métamatic」展が開かれる。観客が硬貨を入れると、機械が自動的に抽象画を描く。来場者は5000人を超え、4000枚のドローイングが生成された。審査員にはハンス・アルプ、イヴ・クライン、批評家ピエール・レスタニーが名を連ねた。当時パリで席巻していたアンフォルメル(抽象表現主義)の身振りを、機械が完璧に模倣する。そのアイロニーを、ハンス・アルトゥングのような実際の抽象画家自身が会場で目撃した。同年11月、第1回パリ・ビエンナーレでは、排気ガス入りの風船で駆動する巨大な「Méta-matic 17」が4万枚の抽象画を吐き出している。

ティンゲリーは1962年のインタビューでこう語っている。

「あなたの髪は機械で整えられ、ストッキングもセーターも、身につけているものすべてが機械で作られている。そして、その機械もまた、別の機械によって作られた。我々の文明の根底で起きていることは、信じがたい。私の機械によって、私は機械の愚かさを指摘しているのだと思う。この巨大な努力の、途方もない無益さを」(出典: Calvin Tomkins経由のParis Reviewインタビュー)

終わりのための習作

ニューヨークでの自壊から1年後、ティンゲリーはデンマークのルイジアナ近代美術館で「Study for an End of the World No. 1(世界の終わりのための習作 第1番)」(1961年9月22日)を爆発させる。さらに翌1962年3月21日、ネバダ州ジーン・ドライ・レイクで「Study for an End of the World No. 2」を実行した。

依頼したのはNBCのニュース番組「David Brinkley’s Journal」である。冷戦下、ネバダ州では核実験が日常的に行われていた。ラスベガス郊外のゴミ集積場から拾った金属屑で機械を組み、ダイナマイトを仕込み、砂漠で爆発させた。妻となるニキ・ド・サンファルも準備を手伝っている。LIFE誌のアラン・グラントが現場を撮影し、同年4月4日に「The End of the World(世界の終わり)」として全米放送された。

「私は騒音と血と残虐性を取り上げ、それを芸術にする。これによって、すべては二重にアイロニックになる――芸術の水準まで持ち上げられることで」とティンゲリーは語っている(出典: ニキ・ド・サンファル・アート財団資料)。

不便を再発明する

時間が飛ぶ。21世紀の京都。京都大学情報学研究科の特定教授、川上浩司――1964年生まれ、工学部の出身で、もともとは人工知能と進化的計算手法を研究していた――は、共生システム論研究室に配属されたあと、自分の専門を「自動化」から離す方向に転じた。人と人工物の関係を、根本から考え直そうとした。

生まれた概念が「不便益(ふべんえき)」である。不便から得られる益。研究プロジェクト「不便の効用を活用したシステム論の展開」は2009年から2013年まで科研費の支援を受けている。

具体的な作品が分かりやすい。川上が考案した「素数ものさし」は、素数の目盛りだけが刻まれた定規だ。素数と素数の差を計算しないと、整数の長さが測れない。一見ただの嫌がらせだが、使う者は数の構造を意識し、「自分で工夫した」という達成感を得る。「かすれるナビ」は、見るほどに道が薄くなっていくナビゲーション。便利の極にあるはずの道具を、わざと不便にする。山口県のあるデイサービスセンターは、施設にあえて階段と長い廊下を配置している。バリアフリーを徹底しないことで、日常生活そのものを軽い訓練の場にする。身体機能の衰えを緩やかにするための、不便の設計。川上はこれらの実例を「不便益百景」として収集している。

「ネガティブなことでも言い換えによって良く見えていくことは多い。いままで悪いとされていた不便に光をあてて、そこに良いことはないのかと目を向けていく」と川上は述べている(出典: 博報堂マガジン)。ティンゲリーが「機械の愚かさ」と呼んだ過剰さを、川上は「不便」という肯定形で再パッケージしている。

デザインが意図してつまずく

似た問いが、ヨーロッパでも同時に立ち上がっていた。ロンドンの王立美術大学(RCA)でデザイン・インタラクション学科を率いたアンソニー・ダンとフィオナ・ラビ夫妻は、1990年代から「クリティカル・デザイン」を提唱した。2001年に著書『Design Noir』、2013年に『Speculative Everything』を発表する。

彼らが構想したのは、商業的に売れるデザインではなく、議論を起こすデザインだった。「もしも(what if)」を問う製品。役に立つかどうかではなく、未来の倫理的・政治的・美的問題を顕在化させるための装置。デュッセルドルフからネバダまで撒き散らされたティンゲリーのアイロニーを、より知的に、より静かに継承するアプローチである。

同じ2001年、スウェーデンの研究者ラース・ハルナスとヨハン・レッドストロムが論文「Slow Technology – Designing for Reflection」を発表する。効率のためではなく、内省と精神的な休息のためのテクノロジー設計。デザインに摩擦(friction)を組み込むという発想は、その後のHCI(人間とコンピュータの相互作用)研究で「不快なインタラクション(Uncomfortable Interactions)」「ハイパーテキスト的摩擦」など、多様な枝に分かれていく。

100年後の機械の愚かさ

ジャン・ティンゲリーが「機械の愚かさを指摘する」と語ったのは1962年。すでに60年以上が経つ。ルーブ・ゴールドバーグのバッツ教授の連載開始から数えれば、ほぼ100年になる。

ゴールドバーグのバッツ教授からムナーリの「役に立たない機械」、ティンゲリーの自壊する彫刻、ダン&ラビの思弁的デザイン、川上の素数ものさしまで――機械を否定する機械の系譜は、技術の自動化が進むほど、対置されるべき重要性を増してきた。生成AIが「思考」まで自動化しつつある2020年代、機械にあえて愚かさを残すという発想は、もはや前衛芸術の専売ではなく、UXデザインの基礎研究になりつつある。

1960年のニューヨーク。消防士がティンゲリーの燃える機械にホースを向けたとき、観客の一部は笑った。D・A・ペネベイカーが撮ったドキュメンタリー『Breaking It Up at the Museum』にはそれが残っている。崩壊する機械を見て笑える人間がいる。それを記憶しておけるあいだは、機械は恐れる対象ではない。

Q&A

「反オートメーション」のアートと、単に古い物を懐かしむ反近代主義は、どう違うのですか?
ティンゲリーやムナーリの作品は、機械をなくせと言っているのではない。むしろ機械を使って機械の愚かさを示している。すなわち批判のメディアそのものが機械だという点に、自己言及的なねじれがある。手仕事への回帰や前近代の理想化とは、目線がまったく違う。
「Homage to New York」は、半分しか自壊しなかったと聞きました。失敗作なのですか?
計画通りには動かなかったが、ティンゲリー自身は失敗とは見なしていない。彼は機械の予測不可能性こそを作品の本質と考えており、消防士の介入も含めて「ニューヨークへのオマージュ」が完成したと語っている。後年、本人は完全な爆発を求めて1962年に「Study for an End of the World No. 2」を制作している。
ルーブ・ゴールドバーグの機械は、実際に動いたのですか?
動かない。すべて漫画として描かれた架空の装置である。ゴールドバーグ自身が物理的に組み立てたものは一台もない。それゆえ「ルーブ・ゴールドバーグ・マシン」という名は、現代では教育現場で物理法則を学ぶための工作課題として残っているが、本人の意図は機械的な工学ではなく、効率信仰への風刺だった。
不便益とスローテクノロジーは同じものですか?
関心領域は重なるが、出発点が違う。川上の不便益はシステム工学・人工知能研究の側から、自動化の限界を問い直して生まれた。一方ハルナスとレッドストロムのSlow Technologyは、HCI(人間とコンピュータの相互作用)研究と北欧のデザイン哲学を背景にしている。両者は2000年代後半以降、相互参照されるようになった。
「機械の愚かさ」を残すデザインは、現代のどんな製品に見られますか?
意図的な摩擦(friction)を組み込んだUX、即時返信を抑制するメッセンジャー機能、操作前の確認画面、SNSの「いまは見ない」設定、スマートフォンのスクリーンタイム機能などが、研究者の議論ではしばしば挙げられる。商業設計の文脈では「ナッジ(軽い誘導)」とも近接するが、不便益はより明示的に「不便であること自体の価値」を肯定する点で立場が異なる。

参考文献

Homage to New York – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Homage_to_New_York
Smarthistory – Jean Tinguely, Homage to New York
https://smarthistory.org/tinguely-homage-new-york/
The Paris Review – Designs for Motion: Jean Tinguely’s Useless Machines
https://www.theparisreview.org/blog/2015/05/22/youre-going-to-see-real-madness/
Rube Goldberg machine – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Rube_Goldberg_machine
Beyond Futurism: Bruno Munari’s Useless Machines (Pierpaolo Antonello)
https://www.munart.org/doc/bruno-munari-useless-machine-pp-antonello-rodopi-2009.pdf
不便益システム研究所
https://fuben-eki.jp/masterpiece/
こんな時代にこそ、「不便益」のススメ(博報堂マガジン 川上浩司インタビュー)
https://www.hakuhodo.co.jp/magazine/78653/
Slow Technology – Designing for Reflection (Hallnäs & Redström, 2001)
https://link.springer.com/article/10.1007/PL00000019
Speculative Everything – MIT Press (Dunne & Raby)
https://mitpress.mit.edu/9780262019842/speculative-everything/

基本データ

ジャン・ティンゲリー(Jean Tinguely)
1925年5月22日、スイス・フリブール生まれ / 1991年8月30日没。スイスの彫刻家・キネティック・アーティスト。ヌーヴォー・レアリスム(新写実主義)の創設メンバー。代表作「Homage to New York」(1960)、「Méta-matic No.17」(1959)、「Study for an End of the World No.2」(1962)。バーゼルにティンゲリー美術館(Museum Tinguely)がある。
ルーブ・ゴールドバーグ(Reuben Garrett Lucius Goldberg)
1883年7月4日、米サンフランシスコ生まれ / 1970年12月7日没。エンジニア出身の漫画家。1929〜1931年に『Collier’s』誌で連載「The Inventions of Professor Lucifer Gorgonzola Butts, A.K.」を約60作品発表。1948年に政治漫画でピューリッツァー賞を受賞。
ブルーノ・ムナーリ(Bruno Munari)
1907年10月24日、ミラノ生まれ / 1998年9月29日没。イタリアの美術家・デザイナー・絵本作家。第二期未来派から出発し、1933年から「Macchine Inutili(役に立たない機械)」を制作。生涯で同シリーズを93点制作。著書に『芸術としてのデザイン』(1966)など。
川上浩司
1964年生まれ。京都大学工学部卒、同大学院修士課程修了、博士(工学)。京都大学情報学研究科特定教授、京都先端科学大学教授併任。専門はシステムデザイン。「不便益(fuben-eki)」を提唱し、不便益システム研究所を主宰。著書『不便から生まれるデザイン』(化学同人、2011)、『不便益という発想』(インプレス/ミシマ社、2017)。
関連デザイン原理
Slow Technology(ラース・ハルナス、ヨハン・レッドストロム、2001、Personal and Ubiquitous Computing誌)/Speculative Design・Critical Design(アンソニー・ダン & フィオナ・ラビ、1990年代〜、王立美術大学)/メタ・メカニックス(métamécanique、Tinguely、1950年代)。

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