ヒュー・フェリスのゴシック都市|ディストピアを「美しく」描いた建築画家

ヒュー・フェリスのゴシック都市|ディストピアを「美しく」描いた建築画家

目次

1922年3月19日、日曜版の『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』を開いた読者は、見開きの誌面に異様な絵を見つけた。階段状にそびえる巨大な岩塊のような建物が四つ、夜明けか黄昏のような半光の中に並んでいる。下に置かれた見出しは「新しい建築」。描いたのは建築家ではなく、まだ三十代の建築画家ヒュー・フェリス。記事はゾーニング法という退屈な行政用語の解説のはずだった。それなのに、絵だけが妙に詩を帯びていた。

この四枚の絵が、後に「ゴッサム・シティ」や「ブレードランナーのロサンゼルス」と呼ばれる夜の摩天楼像の出発点になる。フェリス自身は一棟もビルを設計しなかった。彼の都市はチャコールと紙の上にだけ存在する。にもかかわらず、二十世紀のあいだに私たちが心に思い描く「未来都市の影」のかなりの部分を、この男の指先が黒く塗りつぶしてつくっていた。

ゾーニング法という退屈な行政の話から

話は1916年のニューヨークに戻る。エクイタブル・ビル(Equitable Building)が完成したばかりのこの年、市は世紀の問題に手を焼いていた。鉄骨造の摩天楼が敷地いっぱいに垂直にそそり立ち、隣接する街区から空と日光を奪う。エクイタブルの陰になった通りは昼でも電灯を要した。市議会はこれに業を煮やし、アメリカ初の包括的なゾーニング条例を可決する。建物の用途・面積・高さを地区ごとに規制し、街路幅に応じたセットバック(階段状の後退)を義務づける内容だった。

条文そのものは法律の文章だから読みにくい。建築家たちは戸惑った。「許される最大の容積」を頭の中で立体化する作業は誰にも難しい。ここに目をつけたのが、超高層ビル建築家ハーヴェイ・ワイリー・コーベットだった。彼は親しい画家にひとつの依頼を投げる。「条文どおりに建てたら、ビルはどんな形になるか。最大ボリュームから実際の建てられる形まで、段階を追って描いてくれ」。依頼を受けたのがフェリスだった。

仕上がった四枚は、コーベットの想定をたぶん超えていた。第一段階は、法律の字面どおりに敷地いっぱいに建てたピラミッド状の塊。第二段階では中庭を切り欠き、自然光を取り込めるようにする。第三段階で斜面を「二階ごとのセットバック」へと整理し、商用空間として使える形へ近づける。そして第四段階。約70階の中央タワーを、その半分ほどの高さの低翼が両側から支える、フェリスの呼ぶところの「三次元に彫られたピラミッド」。最終図には背後から放射する光線が描かれ、まるでコンペティションの優勝作のような演出が加わる。

制約から形が生まれる、というのは現代のデザイナーには当たり前の話だ。けれども1922年の時点でそれを摩天楼の語彙にしたのは、おそらくこの四枚が最初だった。条文に潜んでいた「建てるべき形」を、フェリスは図学ではなく絵として取り出した。以後ニューヨークに建つアール・デコ期の摩天楼──クライスラー・ビルもエンパイア・ステートも──そのシルエットは、どこかでこの「四つの段階」の遠い末裔だ。

ウールワース・ビルの図面係から

フェリスはミズーリ州セントルイス生まれ。1889年7月12日に生まれ、ワシントン大学で建築を学んだあと、1912年にニューヨークへ移った。最初の職場は、当時アメリカで最も多忙な建築家のひとりだったキャス・ギルバートの事務所。初任は無給、3か月後に月給85ドル、1915年には125ドル。新人の彼に割り当てられた仕事のひとつが、完成間近のウールワース・ビルの図面とパース描きだった。地上241メートル、当時世界一の高さの摩天楼に、フェリスは下働きの位置から関わっている。

初期のフェリスのドローイングは、後年の「ゴシック都市」を予感させない。ウールワース・ビルを描いた絵は晴れた日の建築学的なパース図で、影もきれいに薄い。陰鬱な夜の摩天楼像はまだない。独立する一年前の1914年には、ヴァニティ・フェア誌の編集者・画家ドロシー・ラファムと結婚している。翌1915年、ギルバート本人の祝福を受けて事務所を離れ、フリーランスの建築デリニエーター(他の建築家のプランをパース図に起こす職人)になる。妻が雑誌の世界とつながっていたことは、後年フェリスの絵が大衆向けの誌面に頻繁に登場することと無関係ではないだろう。

1920年ごろを境に、彼の絵は変質する。日中の写実から、夜のシルエットへ。建物は霧の中に半分溶け、サーチライトが当たる部分だけが浮かび上がる。「影は壁面と同じくらい重要だ」──彼自身が後にそう書いたとおり、影は単なる暗部ではなく形そのものを定義する役割を担うようになる。なぜ夜なのか。夜の摩天楼には装飾の細部が見えない。窓割り、コーニス、彫刻の襞が闇に沈み、建物は純粋なマス(塊)として立つ。ゾーニング法が要求するのも、結局のところマスの規制だった。法律が抽象化した体積を、夜と影が絵のうえでも抽出してしまう。法とイメージのあいだに思いがけない符合があった。

チャコールと、こすって、ニスを引く

フェリスの代表作の素材は、たいてい同じ組み合わせだ。イラストレーション・ボード(厚紙の支持体)に、カーボン鉛筆かチャコール、ときにコンテ・クレヨン。これに筆と黒インクを重ね、紙に直接指やスタンプ(布や紙でつくった円錐状の道具)を当ててこすり、調子をぼかしていく。最後に表面にニスを引いて固定する。クーパー・ヒューイット美術館に収蔵されている「四つの段階」の原画の材料表には、「黒チャコール、スタンプ、ブラシと黒インク、フォトスタット上、ニス、イラストレーション・ボード」と並ぶ。

この工程の意味は地味だが大きい。チャコール単体だと粉が紙の繊維にしか付かないので、こすってぼかすことで階調を滑らかに作れる。ニスを引くと、黒がほんのりとひかる。フェリスの「夜の摩天楼」のあの艶のある黒は、油彩ではなく、こうした古典的な木炭画の技法を建築パースに持ち込んだ結果だ。彼は1921年に専門誌『ペンシル・ポインツ』に「三段階のレンダリング」、1922年3月に「ヒュー・フェリスはこう描く──六段階のレンダリング」という記事を寄稿し、自分の影のつけ方を惜しげなく公開している。同時代の若いデリニエーターたちはこれを教科書のように真似た。

『明日のメトロポリス』という詩集

1929年、フェリスは『The Metropolis of Tomorrow(明日のメトロポリス)』を出版する。本書は60枚のドローイングと自身の文章で構成され、三部に分かれている。「今日の都市」は、計画性なくふくれあがる現代都市と、その心理的影響を扱う。五つの都市から18の代表的な近代建築を取り上げ、批評的に紹介する。「予測される傾向」では、フェリスがすでに知っている同時代の建築家──レイモンド・フッドやコーベットらの計画を借りながら、未来都市の輪郭を素描する。そして第三部「想像上の大都市」。ここでフェリスは現実から離陸し、自分だけの理想都市を一気に描き出す。

想像上のメトロポリスは、半マイル間隔に配置された高さ1,200フィート(約366メートル)の山のような塔群で構成される。塔はもはや「ビル」ではなく、それぞれが小都市の機能を含む「センター」だ。ビジネス、芸術、科学、それぞれの中心区がある。塔と塔のあいだの低層部は六階建てで、屋上には2フィートの土を載せて並木を育てる。複層の高速道路が建物を貫き、屋上には飛行場がある。地に対しては垂直に、互いに対しては数学的に。フェリスの本文はときに散文詩の形をとる。
「水晶のような建物。半透明のガラスの壁。鋼の格子に貼られた板ガラス。ゴシックの枝はない。アカンサスの葉もない。植物界の追憶はない。鉱物の王国。光るスタラグマイト。氷のような形。数学。科学区の夜」。

装飾を排し、数学的な形で組み立てられた巨大都市。これがフェリスの理想だった。ただし、彼の絵の中の人間は小さい。地上を歩く人々は蟻のように描かれるか、まったく現れない。「ビル」がほぼ人格化された主人公として、夜の中に立っている。本文を読むかぎり、フェリスに優生学や全体主義へ寄り添う意図は感じられない。ただ、戦間期のヨーロッパで何が起きつつあったかを知る現代の目で見ると、この「人間を消した美しい未来図」は、それだけで一種の不穏さを帯びる。

「建築家のなかの詩人」と呼ばれた

同時代の評価はおおむね好意的だった。『サーヴェイ』誌は「創造的存在として、アメリカ精神の象徴として、これは見事」と評し、『ブックス』のアルバート・ゲラールは「予言として魔法のように胸を打つ」と書いた。匿名の評者からは「建築家のなかの詩人、鋼鉄の言葉で人の希求を翻訳する芸術家」という形容も贈られている。1929年といえば、10月の大恐慌で熱狂が一夜にして冷える年だ。それでもなお、フェリスの本は「1920年代の繁栄期の決定的なドキュメント」と長く呼ばれることになる。

批判もあった。少数派ながら、当時勃興していた「地域計画運動(regional planning movement)」の論者からは、フェリスの巨塔ユートピアは結局のところ既存の中央集権都市を巨大化させた焼き直しだ、という指摘が出る。後年、建築史家のキャロル・ウィリスは1986年版の序文で、第一部・第二部の現実分析と提案の有効性を高く評価しつつ、第三部「想像上の大都市」については「実現不可能で、繊細さを欠く空想への跳躍」と冷ややかな見立てを記している。1961年に『アメリカ大都市の死と生』を書くジェイン・ジェイコブズの視点からも、半マイル間隔に巨大塔を立てるフェリスのプランは、街路の親密さや「街路の眼(eyes upon the street)」を消し去る郊外型の発想に近い。フェリスの絵の中の人間が小さい理由のひとつは、おそらく彼が空からの眺めに賭けていたからだろう。

アントン・ファーストが連れていった、もう一つの都市

フェリスは1962年1月28日、グリニッジ・ヴィレッジの自宅近くの病院で、癌により72歳で亡くなる。1939年のニューヨーク万博、国連本部の計画委員、ニューヨーク市芸術委員会──戦後の彼は表舞台で大きな建築プロジェクトに名を連ねる存在になっていた。死後、ある同僚は「彼は私の世代の建築家を、他の誰よりも深く動かした」と語っている。一棟も建てなかった男のことばとしては、奇妙な賛辞だ。

その後のフェリスの影響は、建築の系譜を抜けて、映画に流れ込んだ。1989年、ティム・バートン監督の『バットマン』。プロダクションデザイナーのアントン・ファーストは、ゴッサム・シティを「街路から地獄が噴き出して、そのまま育っていったような都市」として設計した。1990年の南カリフォルニア建築大学(SCI-Arc)での講演で、ファーストは自分のインスピレーション源をはっきり名指ししている。フリッツ・ラングの『メトロポリス』(1927)、ブルータリズム、アントニオ・サンテリアの未来派建築、日本の高松伸の機関車的なビル群、オットー・ワーグナー、ルイス・サリヴァン、アントニ・ガウディ。一連の名前のうち、最初に挙げられたのがヒュー・フェリスの『明日のメトロポリス』だった。

1989年版の『バットマン』はアカデミー賞美術賞をファーストにもたらした。彼が定義したゴッサムは、その後DCコミックスの本編にも逆輸入される。「ゴッサム・シティが固有の暗い人格を持つ」というイメージが定着したのは、1939年5月に最初のバットマン漫画が『ディテクティブ・コミックス』27号に載った時点よりも、むしろ1989年のファーストの仕事による。フェリスの四つの段階の階段状のシルエットが、ピンウッド・スタジオの巨大なバックロットに、コンクリートと鋼の塊として立ち上がる。1922年のチャコール画から67年後のことだ。

『ブレードランナー』のロサンゼルスにも、影の階段は伸びている

1982年、リドリー・スコット監督の『ブレードランナー』。冒頭のロサンゼルス2019年の俯瞰。火を吹くプラント、暗闇に浮かぶ巨大なピラミッド型のタイレル社本社。スコットの公式クレジットで「ヴィジュアル・フューチャリスト」を名乗ったシド・ミードの仕事だ。ミード本人がフェリスの名を直接引いた記録は、本稿執筆時点では確認できていない。それでも、評論や研究の文脈でタイレル社の階段状ジッグラトとフェリスの「想像上の大都市」のあいだに直線を引く議論は珍しくない。ある都市史家はこう書いている──「『ブレードランナー』のビジュアル・イメージは強烈だ。だが、その未来都市像はすでに半世紀古かった。映画のデザイン選択の祖父は、建築画家ヒュー・フェリスである」。

系譜は他にもある。2004年のケリー・コンラン監督『スカイ・キャプテン ワールド・オブ・トゥモロー』は、その題名からして『明日のメトロポリス』の残響だ。映画全体がフェリスのチャコール画の動画化のように見える。ゲームでは2007年のIrrational Games『BioShock』。海底ディーゼル・アール・デコ都市ラプチャーの垂直に重なる塔群の意匠は、フェリスの想像上のメトロポリスを水中に沈めたような姿をしている。アニメ寄りでは『バットマン:アニメイテッド・シリーズ』のゴッサムや、その後継作『バットマン ザ・フューチャー(Batman Beyond)』の背景美術も、フェリスからの直接の流れにある。

図面がビジョンに変わる瞬間

フェリスの仕事の本質は「未来を予言した」点にはない。むしろ、ある時代の制約と想像をつなぐ翻訳者になったところにある。1916年のゾーニング法は行政文書として書かれた数字と条文の集まりだった。それを彼はチャコールで夜の絵に翻訳する。翻訳された絵には、原文にはなかった情緒──畏怖、不安、誘惑──が密輸入されている。その情緒のフレームが一度世に出てしまうと、後の世代は法律のほうではなく絵のほうから都市を学ぶようになる。フェリスの四枚は、たった一棟のビルを描いていない。建てられる前の都市が、すでに何かの夢の中に立っている、その状態を描いている。

2026年のいま、建築のビジュアライゼーションはレンダラーの手描きから、3DCGやリアルタイム生成へほぼ完全に移行した。コンペ用パースは数時間で写真リアルに出力できる。それでも建築家のスタジオの本棚に『明日のメトロポリス』の復刻版がしばしば並ぶ理由は、そのあたりにあるのだろう。建物単体を描くだけなら、レンダリングソフトのほうが正確で速い。

彼の名前を知らなくても、私たちはおそらくフェリスの都市のなかをすでに歩いている。夜の摩天楼を見上げたときにどこかで覚える、背筋がうすく寒くなる感じ。あれを発明したのは、設計図ではなく、ニスを引かれたチャコールの紙だった。

基本データ

人物
ヒュー・マコンバー・フェリス(Hugh Macomber Ferriss)
生没年
1889年7月12日 – 1962年1月28日
出身/没地
ミズーリ州セントルイス生まれ / ニューヨーク市没
学歴
ワシントン大学(セントルイス)建築学科卒業(1911年)
職業
建築画家(architectural delineator)、著述家、教育者
代表的なドローイング
「Evolution of the Set-back Building(四つの段階)」全4点、1922年、チャコール・コンテ・インク・スタンプ・ニス、イラストレーション・ボード
主要著作
『The Metropolis of Tomorrow』(Ives Washburn、1929年、60点のドローイング・3部構成)、『Power in Buildings』(Columbia University Press、1953年)
主な依頼者
キャス・ギルバート、ハーヴェイ・ワイリー・コーベット、レイモンド・フッド、ロックフェラー・センター、1939年ニューヨーク万博、国連本部計画委員会
主な所蔵機関
コロンビア大学エイヴリー建築・美術図書館(Avery Architectural and Fine Arts Library)、クーパー・ヒューイット国立デザイン美術館(Cooper Hewitt, Smithsonian Design Museum)、ニューヨーク近代美術館(MoMA)
主な後世への影響
ティム・バートン版『バットマン』(1989、美術:アントン・ファースト)、『ブレードランナー』(1982、ビジュアル:シド・ミード)、『スカイ・キャプテン ワールド・オブ・トゥモロー』(2004)、ゲーム『BioShock』(2007)など
記念顕彰
米国建築イラストレーター協会(ASAI)が毎年授与する「ヒュー・フェリス記念賞(Hugh Ferriss Memorial Prize)」

Q&A

フェリスは建築家ではなかったのですか?
ワシントン大学で建築の学位を取り、1955年には全米デザイン・アカデミーの準会員、1960年には正会員にも選ばれています。資格と教育の上では正規の建築家です。ただし生涯を通じて、ビル一棟の独自設計者として名を残したわけではなく、ほぼ全期間を他の建築家のためのレンダラー、および都市計画の助言者として過ごしました。「絵だけ描いていた建築家」という日本語の語感が近いです。
1916年のゾーニング条例は具体的に何を禁じたのですか?
禁じたというより、街路幅に対する建物の高さの限度を設け、それを超えて建てる場合は階段状に後退(セットバック)させることを義務づけました。これによって街路にも上空にも日光と空気が届くようにする狙いでした。高層ビルそのものを禁じたわけではない点が重要で、フェリスも1922年のNYT記事の中でこの誤解を解いています。
『The Metropolis of Tomorrow』の三部構成のうち、どこが一番影響を与えましたか?
建築史家キャロル・ウィリスは第一部「今日の都市」と第二部「予測される傾向」を実証的価値の高い部分として評価しています。一方、後世の大衆文化にもっとも強い影響を残したのは第三部「想像上の大都市」です。半マイル間隔に1,200フィートの塔が立つ未来都市像は、現実の都市計画というよりも映画やゲームの背景美術として何度も再生産されてきました。
『ブレードランナー』への影響は、本人や関係者が認めたものですか?
シド・ミード本人がフェリスの名を直接引いた記録は、本稿執筆時点では確認できていません。一方、評論や研究の文脈で、タイレル社のピラミッド型本社や暗い垂直都市の構図をフェリスの「想像上の大都市」と直接結びつける論考は多数あります。直接の証言というよりは、評者による系譜の指摘として受け取るのが正確です。これに対しティム・バートン版『バットマン』(1989)のアントン・ファーストは、自身の講演でフェリスを明示的に挙げています。
フェリスのドローイングは現在どこで実物を見られますか?
大規模な所蔵はコロンビア大学エイヴリー建築・美術図書館で、440点のオリジナル・ドローイングと文書資料を保管しています。閲覧は予約制です。クーパー・ヒューイット国立デザイン美術館とニューヨーク近代美術館(MoMA)も主要な作品を所蔵しており、企画展で展示されることがあります。日本国内の常設は確認されていませんが、復刻版『The Metropolis of Tomorrow』(Princeton Architectural Press 1986版またはDover版)が比較的入手しやすい資料です。

参考文献

Hugh Ferriss – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Hugh_Ferriss
The Metropolis of Tomorrow – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Metropolis_of_Tomorrow
The New Architecture | Cooper Hewitt, Smithsonian Design Museum
https://www.cooperhewitt.org/2017/04/21/the-new-architecture/
Drawing, Study for Maximum Mass Permitted by the 1916 New York Zoning Law, Stage 1 | Cooper Hewitt Collection
https://collection.cooperhewitt.org/objects/18468711/
Hugh Ferriss – Drawing Matter
https://drawingmatter.org/hugh-ferriss/
Hugh Ferriss Lived Here – Village Preservation
https://www.villagepreservation.org/2016/08/16/hugh-ferriss/
Hugh Ferriss architectural drawings and papers – Avery Library, Columbia University
https://findingaids.library.columbia.edu/archives/cul-3460585
Anton Furst: Designer of the Batcave (March 7, 1990) – SCI-Arc Channel
https://channel.sciarc.edu/browse/anton-furst-designer-of-the-batcave-march-7-1990
The Skyscraper Museum: Future City – New York Modern
https://old.skyscraper.org/EXHIBITIONS/FUTURE_CITY/NEW_YORK_MODERN/walkthrough_1916.php

コメント (0)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です