モネの『さかさま絵画』|天地を消した睡蓮と、抽象表現主義の前夜

モネの『さかさま絵画』|天地を消した睡蓮と、抽象表現主義の前夜

目次

ジヴェルニーの第三アトリエ、1916年

ジヴェルニーの庭の奥、母屋から少し離れた場所に、晩年のモネは新しいアトリエを建てた。横23メートル、縦12メートル。天井が高く、北側からの安定した光が入る。なぜそんなに広い空間が必要だったのか——理由は床に置かれていた。高さ2メートル、横幅12メートルを超える巨大なキャンバスの帯である。

そこに描かれていたのは、空でもなく、地面でもなかった。水だった。正確に言えば、水面に映って上下が反転した、空と木々と雲だった。

連作「睡蓮(Nymphéas)」のなかでも、もっとも野心的な大装飾画群。それは「絵画」というより、空間の経験に近かった。立って見ると、自分の足元から池が広がっているような錯覚に襲われる。視線は上にも下にも逃げ場を持たない。横線がないのだ。

水平線を消すという発明

モネが池の絵を描きはじめたのは1899年。当初は、日本の浮世絵に倣って作らせた緑の太鼓橋が画面の中央にどっしりと座っていた。橋の上には空、下には水。横線がある。風景画の常識通りである。

1903年あたりから、構図が変わりはじめる。橋が消えた。岸が消えた。空も消えた。画面の中にあるのは、水面に映った木の幹、雲のかたまり、その隙間にぽつぽつと浮かぶ睡蓮——それだけ。

1909年、批評家ロジェ・マルクスへの述懐で、モネ自身が構想を語っている。「壁を取り囲むようにこの主題を展開する。水も岸も持たない、終わりのない全体感の幻覚——疲れた神経が穏やかな水の前でほどける、瞑想の避難所」。

水も岸も持たない。これが宣言だった。風景画の最大の発明である「水平線」を、印象派の最長老が自分から放棄した。画面を上下に分ける目印が消えると、見る者の足場も失われる。鳥になって池を見下ろしているのか、池の中で天井を見上げているのか、画面に張り付いて表面を凝視しているのか——どれもが同時に成立してしまう。

庭という制作装置

「水を描くために庭を作る」というのが、モネの作戦だった。

1883年4月、42歳のモネは、ノルマンディーから少し内陸に入ったジヴェルニーの家を借りる。1890年に買い取り、1893年には隣接する一区画を購入。エプト川の支流であるル(Ru)川の流れを引き込みたかったが、地元住民は反対した——「あの変人がフランスにない植物を浮かべて、川を汚すつもりだ」と。県の許可が下りたのは1895年。それから池を造った。

最盛期、モネは8人の庭師を雇っていた。一人は池の専属で、毎朝、舟に乗って枯れた葉を一枚ずつ取り除いた。水面に映る景色を完璧に保つためである。睡蓮の根は鉢に入れて沈めてあり、構図の都合で位置を動かせた。これは庭ではなく、絵画用のセットだった。

橋の意匠は、モネが集めていた歌川広重の浮世絵から取られている。緑に塗ったのは、日本の橋がたいてい朱塗りなのを、あえて外したかったから。後にこの庭は、フランス国内よりも先に日本人観光客を惹きつける、奇妙な逆輸入のシンボルになる。

白内障と、青の世界

1905年ごろから、モネは自分の見え方に違和感を覚えはじめた。色が濁る。輪郭がにじむ。それでも医者を訪ねるのは1912年まで遅らせた。先輩のメアリー・カサットが白内障の手術後にうまく回復できなかったことを知っていたからだ。

1922年、パリの眼科医シャルル・クテラの診察を受ける。右目は光しか感知できず、左目の視力は6/60。クテラは瞳孔を開く点眼薬を処方した。一週間後、モネは書く——「驚くほどよく見える。霧の中で描いていた悪い絵から、ようやく解放された」。

対症療法は長くは持たない。翌1923年1月、右目の手術に踏み切る。砂袋で頭を固定された82歳の老人は、術後、別の地獄に放り込まれた。アファキック(無水晶体)眼鏡をかけると、世界中の青が異常に強く見える「青視症(cyanopsia)」が襲いかかる。物体は歪み、二重に見え、彼は手紙にこう書いている——「先生、はっきり言わせてください、私をこんな目に遭わせるのは犯罪です」。

1925年、別の眼科医ジャック・マワスが処方したカール・ツァイス製の「Katral」レンズで、ようやく視界が安定する。モネはこのレンズを「マワス」と呼び、「完璧だ」と評した。その瞬間に彼は気づく——自分が最近描いてきた絵は、本来の色とずいぶん違っていた。何枚かを、手で破壊している。

白内障があったから抽象に近づいたのか、それとも抽象を求めていたモネの視覚がたまたまそれを助けたのか。学術論文の世界では今も論争が続いている。確かなのは、晩年のモネは「目に映るもの」と「描きたいもの」のあいだで、二重三重の判断を強いられ続けたということだ。

二つの楕円形の部屋

1918年11月12日、第一次大戦の休戦翌日。モネは旧友で当時の首相だったジョルジュ・クレマンソーに手紙を書く。「平和記念のために、2枚を国家に寄贈したい」。クレマンソーは食い下がった——2枚では足りない、すべてを国家に置こう、と。

1922年4月12日、契約調印。8枚の巨大パネル、高さ2メートル、合計91メートル。設置場所は、テュイルリー庭園の片隅にあるオランジュリー(かつてオレンジの木を冬越しさせた温室)。建築家カミーユ・ルフェーヴルとともに、モネは二つの楕円形の部屋を設計する。上から見ると、二つの楕円が並んで「∞」の記号を描く配置である。天井からは自然光だけが入る。電気照明は使わない。最後の最後まで、自分の絵が見せたい光を譲らなかった。

1926年12月5日、モネ死去。享年86。翌1927年5月、オランジュリーが一般公開される。

忘れられる「半盲の老人の戯言」

評判は、よくなかった。

1927年のパリでは、すでにピカソが立体的に解体された人体を描いていた。未来派は速度を、シュルレアリストは無意識を主題にしていた。印象派は19世紀の遺産であって、20世紀美術の主役にはもう戻れない——批評家たちはそう判断した。「半盲の老人の戯言」と冷たく評する声もあった。

オランジュリーの楕円形の部屋を訪れる人はまばらで、第二次大戦中の1944年8月、パリ解放戦の砲撃で1枚のパネルが破損する事件さえあった。ジヴェルニーのアトリエに眠っていた数十枚の巨大習作は、モネの息子ミシェルの管理下で、ほとんど放置されていた。

そのまま忘却で終わる物語だった——アメリカが介入しなければ。

ニューヨークが見つけたモネ

1952年、シュルレアリストのアンドレ・マッソンが評論を発表する。「オランジュリーは、印象派のシスティーナ礼拝堂である」。この一文が、フランス国内よりもニューヨークの批評家を動かした。

1955年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)がジヴェルニーのアトリエから一枚を購入する。幅18.5フィート(約5.6メートル)、アメリカの美術館が手にした最初の大型「睡蓮」だった。アメリカの美術評論はすでに、ジャクソン・ポロックを国民的画家に仕立て上げる作業を始めていた。1947年からポロックが床に置いたキャンバスに絵具を垂らす技法で確立した「オールオーバー」の構図——画面のどこにも中心がなく、端まで同じ密度で筆触が広がる方法——の起源が、半世紀近く前のフランスの老人の睡蓮のなかにあったと、評論家たちは気づいたのである。

1957年、ポロックの代弁者として知られたクレメント・グリーンバーグが「The Later Monet」という評論を発表する。グリーンバーグはこう書いた——晩年のモネの影響は、「現在この国で行われている最も先進的な絵画」のなかに見える。睡蓮は「セザンヌの作品よりもむしろ、我々の時代と未来に属している」。

印象派の老人が、抽象表現主義の祖先として再評価された瞬間だった。

1958年4月15日、火災

ところがそれから3年もたたない1958年4月15日、MoMAは惨劇に襲われる。

二階で空調工事をしていた電気工たちが、昼の煙草休憩の際、煙草の火を木屑に落としてしまった。塗料缶の近くだった。三段階の警報が鳴る大火災。500人が避難。電気工のひとり、ブルックリン在住55歳のルビー・ゲラーが煙にまかれて死亡。消防士25名が負傷。

そして、MoMAが3年前に手に入れた5.6メートルの「睡蓮」が、消えた。火災そのものが焼き尽くしたのではない——消防士たちが部屋に突入するために、絵を割って壁を破ったのだ。同じ部屋にあったもう一枚の小ぶりな「睡蓮」(約2メートル)も、煙と水で「焼け焦げたマシュマロのよう」と評される姿になった。

保険金30万ドルでMoMAはすぐに三連作の「睡蓮」をパリから買い直す。現在ニューヨークで見られる5階の壁面いっぱいの巨大なモネは、この火災の後に来た代替品である。

40年遅れで届いた絵画

モネが水平線を消し始めたのが1903年。ポロックが床に絵具を垂らしはじめたのが1947年。およそ40年の時差で、絵画は同じ場所に着地した——画面の上下と中心を消し、見る者を表面で包み込む場所に。

アメリカの画家エルズワース・ケリーが、メトロポリタン美術館の音声ガイドにこんな声を残している。「セザンヌはモネをいい目を持っていると言った。なんという目だ。後期のモネが好きだ。ほとんど抽象だから」。

絵を世界の窓とみる古典絵画と、表面そのものを経験させる現代絵画。その間に橋を架けたのは、フランスの田舎の人工池で、視力を失いかけた老人が描いた水面の絵だった。1921年、モネは記者にこう答えている——「私はますます目が見えなくなっていく。それでも、ベートーヴェンが完全に耳が聞こえないまま作曲したように、ほとんど目が見えないまま描こう」。その水面が絵画の現在地として再発見されるまでに、まだ30年余りの忘却が必要だった。

基本データ

画家
クロード・モネ(Oscar-Claude Monet)
生没年
1840年11月14日 – 1926年12月5日
国籍
フランス
連作「睡蓮」制作期間
1897年〜1926年(約30年)
作品総数
約250点(うち大装飾画は約40点)
大装飾画(オランジュリー)
8面/高さ2m/合計91m/楕円形2部屋に「∞」配置
制作場所
ジヴェルニー(ノルマンディー)第3アトリエ(1916年建設、23×12m)
主な所蔵
オランジュリー美術館(パリ)、MoMA(ニューヨーク)、シカゴ美術館、メトロポリタン美術館、オルセー美術館
白内障手術
1923年1月(右目/シャルル・クテラ執刀)
国家寄贈契約
1922年4月12日
オランジュリー一般公開
1927年5月
MoMA火災
1958年4月15日(18.5フィート「睡蓮」喪失)

Q&A

モネは本当に絵を逆さに掛けても成立するように描いたのですか?
モネ自身が「逆さに掛けられる絵」を目指したという記録はありません。彼が達成したのは水平線をなくし、画面の上下の手がかりを消すことでした。結果として、水面に映る空と木々を主題にした晩年作品は、見る方向に強く依存しない構図になっています。「上下が消える」と「逆さでも成立する」は近いけれど別の現象であり、後者は前者の副産物として語られることが多い表現です。
白内障と抽象的な画風はどう関係しているのですか?
議論は決着していません。1923年の手術後、モネは「正しい色」を取り戻し、いくつかの絵を破壊しています。白内障で見えていた濁った色を彼自身が嫌っていた証拠です。一方、構図の革新(水平線の放棄、画面全体への均一な筆触)は1900年代初頭から始まっており、視力悪化とは独立した美的探求と考えるのが現在の主流的見解です。
なぜモネの晩年作品は1950年代まで忘れられていたのですか?
1927年のオランジュリー公開時、前衛美術はすでにキュビスム、未来派、シュルレアリスムへと移っており、印象派は「終わった様式」と見なされていました。モネの大装飾画はジヴェルニーのアトリエに残されたまま、二度の世界大戦を挟んで30年近く埋もれていました。
1958年のMoMA火災で失われた絵は復元されたのですか?
18.5フィート(約5.6m)の大作は完全に破壊されました。同じ部屋にあった約2mの作品は大きく損傷し、NYU美術研究所に寄贈されています。この後者についてはFactum Foundationが2018年にデジタル復元プロジェクトを実施し、3Dスキャンと写真測量を用いて元の表面を再現する試みが行われました。
ジヴェルニーの庭は今も見られますか?
1966年、モネの息子ミシェルがアカデミー・デ・ボザールに遺贈し、1977年にジェラルド・ヴァン・デル・ケンプが館長に就任して修復が始まりました。現在は「クロード・モネ財団」が運営しており、毎年春から秋にかけて一般公開されています。橋も池も睡蓮も、モネ存命時に近い状態で再現されています。

参考文献

History of the Water Lilies cycle | Musée de l’Orangerie
https://www.musee-orangerie.fr/en/node/33
Claude Monet | The Water-Lily Pond | National Gallery, London
https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/claude-monet-the-water-lily-pond
The effect of cataracts and cataract surgery on Claude Monet | British Journal of General Practice
https://bjgp.org/content/65/634/254
What Made Monet’s “Water Lilies” So Radical? | Artnews
https://www.artnews.com/feature/monet-water-lilies-why-so-important-1234751399/
Art Bites: The Fire That Destroyed MoMA’s First Monet Acquisition | Artnet News
https://news.artnet.com/art-world/art-bites-moma-1958-fire-monet-2468112
Later in Life, Claude Monet Obsessed Over Water Lilies | Smithsonian Magazine
https://www.smithsonianmag.com/arts-culture/claude-monet-became-obsessed-water-lilies-paintings-were-some-greatest-masterpieces-180984898/
Water lily pond | Fondation Claude Monet, Giverny
https://fondation-monet.com/en/decouvrir/water-lily-pond/
Reconstructing Monet’s Water Lilies | Factum Foundation
https://www.factumfoundation.org/pag/1083/reconstructing-monet-s-water-lilies

コメント (0)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です