用語解説

印象派

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印象派(Impressionism)は、1870年代のパリで、移ろう光や大気、都市と郊外の日常を、明るい色と目に見える筆触ですばやく描きとめようとした画家たちの運動である。印象主義とも呼ばれる。

1874年4月15日、クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、エドガー・ドガ、カミーユ・ピサロ、ベルト・モリゾ、ポール・セザンヌらが、写真家ナダールの旧スタジオで自主的な展覧会を開いた。官展であるサロンの審査に頼らず、作品を世に問うためである。批評家ルイ・ルロワはモネの《印象・日の出》の題を取り、彼らを皮肉まじりに「印象派」と呼んだ。この呼び名が定着し、グループ展は1886年までに計8回開かれている。

描き方の特徴は、輪郭線や細かな仕上げよりも光の効果を優先することにある。絵具をパレットで混ぜ合わせる代わりに、色を小さな筆触のまま並べ、見る者の目の中で響き合わせた。影にも黒ではなく青や紫を使う。持ち運べる金属製のチューブ入り絵具が普及し、屋外で描き上げる戸外制作がしやすくなったことも、この描き方を後押しした。

題材は神話や歴史ではなく、鉄道駅、カフェ、行楽地、川辺の舟遊びといった同時代の生活だった。浮世絵の大胆な構図や平らな色面からも多くを学び、モネはジヴェルニーの自宅に浮世絵を数多く飾っていた。

運動は1880年代に分かれていき、スーラの点描や、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンらのポスト印象派へ受け継がれた。モネは晩年まで睡蓮を描き続け、地平線を消したその大画面は、20世紀半ばのニューヨークで抽象表現主義の先駆けとして読み直されている。

第1回展の会場になったナダールのスタジオについてはナダールの気球写真で、晩年の睡蓮が抽象表現主義の前史として再発見される過程はモネの『さかさま絵画』で取り上げた。印象派・ポスト印象派の名画を前にした体の反応を測った研究はゴッホを観ると、本当にコルチゾールが下がるで紹介している。