抽象表現主義(Abstract Expressionism)は、第二次世界大戦後の1940年代後半から50年代にかけてニューヨークで展開した、大画面の抽象絵画によって画家の内面や身体の動きを表そうとした美術の動向である。ニューヨーク派とも呼ばれる。
呼び名は、1946年に批評家ロバート・コーツが雑誌『ニューヨーカー』の展評でこの語を使ったことから広まった。背景には、戦火を逃れてアンドレ・ブルトン、マックス・エルンスト、アンドレ・マッソンらシュルレアリストがニューヨークに移り住んだことがある。無意識に任せて手を動かす彼らの自動筆記の考え方を、若いアメリカの画家たちは抽象絵画の方法として引き取った。
作風は大きく二つに分かれる。一つは、描く行為そのものを画面に残す流れである。ジャクソン・ポロックは1947年ごろから床に広げたキャンバスに絵具を滴らせ、ウィレム・デ・クーニングやフランツ・クラインは荒々しい筆致で画面を覆った。批評家ハロルド・ローゼンバーグは1952年、こうした絵をアクション・ペインティングと呼んでいる。もう一つは、マーク・ロスコ、バーネット・ニューマン、クリフォード・スティルらの、広い色面で見る者を包み込もうとする流れで、のちにカラーフィールド・ペインティングと呼ばれた。
理論の面から彼らを支えたのが、ローゼンバーグと、平面性を近代絵画の核心に据えた批評家クレメント・グリーンバーグである。抽象表現主義はアメリカで生まれた美術として初めて国際的な影響力をもち、美術の中心がパリからニューヨークへ移ったことを印象づけた。1950年代後半には、ポップアートやミニマリズムが、その熱い身振りへの反動として現れてくる。
ポロックのドリッピングを、ケージの偶然性の音楽やブルトンの自動筆記と並べて読んだのが「偶然」はデザインできるかである。晩年のモネの睡蓮がこの動向の先駆けとして再発見された経緯はモネの『さかさま絵画』に詳しい。