「ある夜、星条旗を描いている夢を見た」
1954年、ニューヨーク。24歳のジャスパー・ジョーンズは朝起きるなり画材屋へ向かった。前夜、自分が大きなアメリカ国旗を描いている夢を見たからだった。「翌朝、起きて画材屋に行き、材料を買って、描き始めた」——後年、本人がそう語っている。
合板に三枚のキャンバスを固定し、その上に新聞紙の切れ端を糊で貼り、熱した蜜蝋に顔料を溶かした塗料を重ねていく。完成した『Flag(1954-55)』は、横154センチ、縦107センチ。星条旗を「描いた」というより、星条旗の寸法と形を一切のアレンジなく写し取った絵だった。
なぜ、誰もが知りきった図柄をわざわざ選んだのか。逆説的だが、すでに意味の定まったものを描けば、「何を描くか」で悩まずに済む。ジョーンズは主題という重荷を降ろし、絵を「どう作るか」だけに賭けた。だがこの一手は、絵画とは画家の内面を語るものだ——という当時のアメリカ画壇の大前提を、静かに突き崩してもいた。夢のなかで彼が手にしたのは、一枚の旗であると同時に、「何かを意味しなければならない」という重圧から降りる自由だった。
焼かれた過去
その前年までのジョーンズの作品は、ほとんど現存しない。1954年の終わりごろ、自分の手で大半を破棄したとされる。本人の言葉では、「他人がやっていることを観察できるかぎり、それを自分の作品から取り除こうとした。私の仕事は衝動の継続的な否定になった」。残ったのは半ダースほどに過ぎない。
朝鮮戦争で陸軍に従軍し、1953年にニューヨークに戻った彼は、マーボロ・ブックスで店員として働きながら絵を描いていた。1954年の冬、ロバート・ラウシェンバーグと出会う。マンハッタン下町、パール・ストリート278番地。階下にジョーンズ、階上にラウシェンバーグという上下二段重ねの暮らしが始まる。二人は恋人であり、互いの最大の理解者でもあった。
「すでに頭が知っているもの」
『Time』誌1959年5月4日号のインタビューで、ジョーンズは自作の方法をこう説明している。「アメリカ国旗の絵を描くことから、すべては始まった。このデザインを使えば、私はデザインを考えなくて済んだ。だから他のレベルで作業する余地ができた」。彼は標的、数字、アルファベット、地図と、同じ論理で主題を増やしていった。どれも「すでに頭が知っているもの」(things the mind already knows)、つまり意味が社会的に確定している記号だった。
ホイットニー美術館の解説によれば、これらは「目には入るが、観察されないもの、検分されないもの」だ。日常で何百回となく目にしながら、一度も「見て」いない図像。ジョーンズはあえて、見過ごされる記号を絵画の主題に選んだ。
蝋と新聞紙
エンカウスティック——蜜蝋に顔料を溶かして塗る技法は、古代エジプトに起源を持つ。紀元1〜3世紀のファイユーム肖像画(ミイラの棺に取り付けられた死者の顔の絵)で使われたこの方法を、ジョーンズは20世紀半ばのマンハッタンで復活させた。蜜蝋は湿気と虫害に強く、塗布した瞬間から固まり、筆跡の凹凸が結晶のように残る。

『Flag』の表面を間近で見ると、星条旗の下に新聞紙の文字が透けて見える。市場欄、見出し、広告。日常の言葉の断片が、星条旗の構造の中に閉じ込められている。MoMAが所蔵するこの作品の制作年については論争もあり、原画には「1954」と裏書きされながら、コラージュ中の新聞紙片に1956年の日付があることが後年に発見された。ジョーンズは「1956年にスタジオで損傷し、自分で修復したが、絵の本来の制作年は1955年である」と主張している(MoMAは現在「1954-55」と表記)。
「絵画は表面である」と彼は何度も書いた。エンカウスティックは、その「表面」を時間の凍結した堆積層として見せるための素材だった。
ロスコは怒った
1958年1月20日、レオ・キャステリ画廊で、ジョーンズの初個展が開幕した。それまで個展経験はなく、1957年のジューイッシュ・ミュージアムでのグループ展に『Green Target』(1955)を出した実績だけだった。画家ラウシェンバーグの推薦を頼りに、キャステリがパール・ストリートのアトリエを訪問したのが前年の暮れ。28歳の無名画家としては破格の評価だった。
会期はわずか3週間。MoMA館長アルフレッド・バーは4点を購入(うち『Flag』だけは「愛国心への配慮」から、建築家フィリップ・ジョンソンに個人購入を依頼し、のちにジョンソン自身がバーの引退記念としてMoMAに寄贈した)。展示された『Target with Four Faces』は、雑誌『ARTnews』同年1月号の表紙を飾った。
会場を訪れた抽象表現主義の重鎮マーク・ロスコは、苦々しい一言を残した。「われわれは何年もかけて、ああいうものを排除しようと努力してきたのに」(We worked for years to get rid of all that)。
「ああいうもの」とは、認識可能なイメージ——具象である。ジャクソン・ポロックがキャンバスの上で身体ごと格闘し、ロスコが色の振動だけで魂の震えを表現しようとしていたとき、彼らが追放しようとしたのは、絵に「具体的な何か」が描いてあること自体だった。ジョーンズの星条旗は、その努力を一夜で振り出しに戻す絵だった。
数字、冷たい配列
1955年から、ジョーンズは『Figures』と呼ばれる単一の数字の絵を描き始める。1959年の『Numbers in Color』(現バッファロー・AKG美術館蔵)では、0から9までの十個の数字が升目状に何度も並ぶ。それぞれはステンシルで写し取られている。手書きの揺らぎは、ない。

バッファロー・AKG美術館の解説はこう書く。「数字は、郵便番号から社会保障番号まで、日常を整理するさまざまな仕組みを担っている。しかし数字は実体ではなく、観念にすぎない」。数字は意味の鋳型である。一桁ずつ独立して、文脈なしで存在する。情緒もない。
抽象表現主義の画家たちが「内面の真実」を表現しようとしていた時代に、ジョーンズは内面を持たない記号を反復した。
息子の挑発と、32種類の缶詰
ジョーンズの方法論は、すぐに別の場所で違う仕方で繰り返された。1961年、ニュージャージーで美術教師をしていたロイ・リキテンスタイン。批評家アリス・ゴールドファーブ・マーキスによれば、息子が漫画本を指してこう言ったという——「お父さん、これくらい上手に描けないよね」。リキテンスタインがその挑発に応えるかのように描いたのが『Look Mickey』(1961年)だった。元になったのは1960年に出版された児童書『Donald Duck Lost and Found』のイラスト。ベンデイ・ドット(印刷物の網点)を絵筆で模倣し、コマ漫画の吹き出しと一緒に描いた。
1962年2月10日、キャステリ画廊でリキテンスタインの初個展が開幕する前に、出品作はすべて売り切れていた。『Girl with Ball』を購入したのは、ジョーンズの『Flag』をMoMAのために確保した、あのフィリップ・ジョンソンだった。

同じ1962年7月9日、ロサンゼルスのフェラス・ギャラリーで、アンディ・ウォーホルの初個展が始まった。32点の絵画、すべてキャンベル・スープ缶。画廊主アーヴィング・ブラムは、ウォーホルのスタジオで床に立てかけられた未完の絵を見たとき、「なんで一つじゃないんだ?」と聞いた。「32種類あるから」とウォーホルは答えた。
ブラムは32枚を一列に並べる細い棚を作り、スーパーマーケットの陳列のように展示した。隣のギャラリーはあてつけに本物のキャンベル缶を29セントで並べた。観客は混乱し、ほとんど売れなかった。ブラムは結局32枚を1,000ドルで一括購入し、月100ドル×10回の分割払いをウォーホルに支払った。現在この32枚はMoMAの所蔵となっている。
なぜキャンベル缶だったのか。ウォーホルは生涯にわたって明快な答えを残さなかった。観客にとって缶詰は「考えなくて済むもの」だった。ラベルのデザインはすでに完成している。色も、書体も、エンブレムも、すべて他人がすでに決めてある。
「やり方」を発見した世代
ジョーンズ、リキテンスタイン、ウォーホル。三人はそれぞれ別の道を歩きながら、同じ動作をした。「何を描くか」という決定そのものを放棄した。旗、漫画、缶詰——どれも「意味」がすでに社会に流通している。考えなくて済む。
その代わり、彼らは「どう扱うか」に集中できた。三人の戦略には微妙な違いがあった。ジョーンズは「手作りの精度」を選ぶ——ステンシルを使い、蝋を重ね、表面の質感を執拗に作り込む。何が描かれているか、ではなく、どう作られているか、に視線を引きずり下ろす。リキテンスタインは正反対の方向に進んだ。漫画の網点を絵筆で一つずつ再現することで、印刷物の「機械らしさ」を手作業で偽装する。ウォーホルは、最終的にシルクスクリーンを導入し、手の介在さえも消そうとした(初期の32点はステンシルとアクリル絵具による手描きだった)。
ジョーンズはこう答えている。「私の作品には二つの読みが当てられた。『これは旗だと思わなくて良い、絵だと思えば良い』という解釈と、『これは絵ではなく旗だ』という解釈と。実際にはどちらも作品に内包されている。だから観る者は選ぶ必要がない」(MoMA刊『Jasper Johns: Writings, Sketchbook Notes, Interviews』p.82)。意味は、ある/ない、で語るものではなく、宙づりにできる。
「意味しない」ことが、難しい時代に
『Flag(1958)』は2010年、ヘッジファンド経営者スティーブン・コーエンに推定1億1,000万ドルで私売された。存命作家の作品として、当時の史上最高値である。あの夢から56年後の値段だった。何かを意味することを注意深く避けた一枚の旗が、いまや桁外れの意味——市場価値——を背負わされている。
スマートフォンにも、意味のあらかじめ決まった画像が絶え間なく流れ込む。ミーム、企業ロゴ、AIが吐き出す「それらしい」一枚——どれも「すでに頭が知っているもの」だ。ジョーンズが半世紀前にたった一枚だけ選び取った状況に、いまや誰もが指先ひとつで沈んでいる。ちがうのは向き合い方だ。画像を前にした反射は、たいてい二つ——意味を読み取るか、意味を否定するか——しかない。「どちらとも決めず、宙づりにしておく」というジョーンズの構えは、画像が洪水になった時代にこそ、かえって難しい。
夢の記述には続きがある。「翌朝、起きて、材料を買いに行った」。あの朝、彼が画材屋に向かわなかった世界線で、戦後アメリカの絵画はどんな顔をしていただろうか。
基本データ
- 人物
- ジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns Jr.)
- 生年
- 1930年5月15日(米国ジョージア州オーガスタ生)
- 国籍
- アメリカ合衆国
- 活動拠点
- ニューヨーク、コネチカット
- 代表作
- 『Flag』(1954-55, MoMA所蔵)/『White Flag』(1955, メトロポリタン美術館所蔵)/『Target with Four Faces』(1955, MoMA所蔵)/『Three Flags』(1958, ホイットニー美術館所蔵)/『Numbers in Color』(1958-59, バッファロー・AKG美術館所蔵)
- 主要な受賞
- 1988年ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞/1990年米国国民芸術勲章/1993年高松宮殿下記念世界文化賞(Praemium Imperiale)/2011年大統領自由勲章
- 関連作品
- ロイ・リキテンスタイン『Look Mickey』(1961, ナショナル・ギャラリー・オブ・アート所蔵)/アンディ・ウォーホル『Campbell’s Soup Cans』(1961-62, 32点組, MoMA所蔵)
- 売買記録(参考)
- 『Three Flags』(1958): 1980年、ホイットニー美術館が100万ドルで取得(当時の存命作家最高値)/『Flag』(1958年制作別バージョン): 2010年、推定1億1,000万ドルの私売(当時の存命作家最高記録)
Q&A
- なぜジョーンズは1954年に過去の作品をほぼ全て破棄したのですか?
- 本人は「他人がやっていることを観察できるかぎり、それを自分の作品から取り除こうとした」と語っています。1954年は朝鮮戦争から復員してニューヨークに戻った翌年で、ラウシェンバーグと出会った年でもあります。当時の主流だった抽象表現主義の影響を自作から取り除くための、決定的な仕切り直しでした。残った作品は半ダースほどとされ、現在ハーシュホーン美術館の『Untitled』(1954)などが知られています。
- ジョーンズの星条旗は「アメリカ批判」だったのですか?
- 本人は政治的な意図について明言を避け続けています。1958年のMoMA初購入時、当時のMoMA館長アルフレッド・バーは「公衆に反愛国的と受け取られる懸念」から、自館での直接購入をためらい、建築家フィリップ・ジョンソンに個人購入を依頼したというエピソードがあります。ベトナム戦争期には反戦アートとも解釈されましたが、ジョーンズ自身は「観る者が決める」という立場を崩していません。
- ポップアートとネオダダの違いは?
- ジョーンズとラウシェンバーグは厳密にはネオダダに分類されることが多いです。マルセル・デュシャンの「レディメイド」の系譜で、既存の対象を芸術として提示する戦略を共有していました。1960年代以降のリキテンスタイン、ウォーホル、オルデンバーグらは、大量消費社会・マスメディアのイメージを直接素材とすることでポップアートとして区別されます。ジョーンズはポップアートの先駆けとされながら、本人はこのラベルを拒否しています。
- リキテンスタインの『Look Mickey』はディズニーから著作権で問題にならなかったのですか?
- 当時、児童書イラストの「変形」がフェアユース(公正利用)に該当するかは明確な判例がなく、訴訟には発展しませんでした。ただし1960年代後半、リキテンスタインは原案イラストレーターから批判を受けています。フェアユースの解釈は1990年代以降、リチャード・プリンスの裁判などを通じて厳しく問われるようになりました。
- 32点のキャンベル缶はいま、どこで見られますか?
- ニューヨーク近代美術館(MoMA)のコレクションに、32枚揃ったまま所蔵されています。1996年、画廊主アーヴィング・ブラムから取得され、通常は5階のギャラリーで一列または格子状に展示されています。フェラス・ギャラリーでの当初展示を再現する形で並ぶこともあります。
参考文献
- Jasper Johns. Flag. 1954-55 | MoMA
- https://www.moma.org/collection/works/78805
- Flag (painting) – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Flag_(painting)
- Numbers in Color | Buffalo AKG Art Museum
- https://buffaloakg.org/artworks/k195910-numbers-color
- Jasper Johns | Whitney Museum of American Art
- https://whitney.org/artists/653
- Jasper Johns – Wikiquote
- https://en.wikiquote.org/wiki/Jasper_Johns
- A Rare Interview With Jasper Johns on His Work and Long Life – TIME
- https://time.com/6101828/jasper-johns-interview/
- Campbell’s Soup Cans – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Campbell%27s_Soup_Cans
- Look Mickey – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Look_Mickey
- Three Flags – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Three_Flags
コメント (0)