二人の労働者と巨大な堤防――1936年、モンタナ
1936年の秋、アメリカ・モンタナ州の荒野。世界恐慌の傷がまだ深く刻まれた大地で、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策のもと、フォートペック・ダムは建設の最終段階に入っていました。完成すれば世界最大の土盛り式ダムとなる予定の、巨大プロジェクトです。
フォトジャーナリストのマーガレット・バーク=ホワイトは、そびえ立つコンクリートの放水路を見上げながらシャッターを切りました。彼女は新たに創刊される写真誌『LIFE』の編集主幹ヘンリー・ルースから「グランドスケールの何かを撮ってこい」と指示を受けて、この地に派遣されていました。

完成した写真の中央下に、二人の作業員の姿が確認できます。といっても、それは「人間がいる」と気づかなければ見落としてしまうほど、米粒のように小さい。その上に、古代の城壁か中世の砦のようにそそり立つ、ダムの放水路を支える巨大な橋脚群。
この一枚が、1936年11月23日に発売された『LIFE』創刊号の表紙を飾ります。メトロポリタン美術館の解説によれば、二人の小さな作業員が「スケールを示す目印」となることで、テクノロジーが人類を矮小化する力が鮮やかに描き出されているといいます。同時にナショナル・ギャラリー・オブ・アートは、その小さな存在が「現代の産業景観における労働者の脆弱な立場を静かに暴露している」とも書いています。
ここで「大きさ」は、もはや単なる物理的な属性ではありません。それ自体がメッセージとして機能し始めていました。
なぜ「あの大きさ」でなければならなかったのか――1886年、自由の女神
時を50年さかのぼりましょう。1886年10月28日、ニューヨーク湾。ベドロー島(現在のリバティ島)に立つ、台座を含めて305フィート(約93メートル)、銅板の女神像だけでも46メートルに及ぶ巨大な彫像が、グローヴァー・クリーヴランド大統領によって正式に除幕されました。
なぜ、これほどの大きさが必要だったのでしょうか。
フランスの彫刻家フレデリック・オーギュスト・バルトルディは、もともと巨大彫刻に取り憑かれた人物でした。1856年にエジプトを旅した彼は、スフィンクスやアブ・シンベル神殿のラムセス2世像など、古代の超巨大彫刻群に圧倒されます。さらに彼は、スエズ運河の入り口に「松明をかかげるエジプト農婦」の巨大な灯台像を建てる構想を提案していました。それは、紀元前280年頃に建てられたとされる「ロドス島の巨像」(高さ約30メートル)の再来を意識したものだったと伝えられています。
この計画は資金難で頓挫しましたが、バルトルディの巨大彫刻への執念はそのまま「世界を照らす自由」という別の作品へと姿を変えます。フランスの歴史家エドゥアール・ド・ラブライエが構想した、米国独立100周年を祝う友情の記念像という政治的アイデアと、バルトルディ個人の「巨大彫刻でランドマークを作りたい」という野心が、奇跡的に重なったのです。

ニューヨーク湾に到着する移民船から見えるサイズ。海上の灯台として機能するサイズ。古代世界のどんな巨像にも引けを取らないサイズ。これらの条件を満たす答えが、あの「46メートル」でした。技師アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル――のちにエッフェル塔を設計する人物――は、強風に耐えながら銅の表皮が独立して動ける鉄骨フレームを設計し、巨大さを物理的に成立させました。
このプロジェクトには、自由という「概念」が、巨大彫刻という「物量」によって翻訳されています。リトグラフの絵で見る「概念としての自由」と、ニューヨーク港を抜けて目の前に現れる「物量としての自由」では、移民の心に与えるインパクトがまるで違います。台座に刻まれた詩人エマ・ラザラスのソネット「新しい巨像」(1883年)が後に追加され、その大きさはさらに「希望を抱いて海を渡る人々を迎え入れる象徴」としての意味を帯びていきます。
「大きさ」自体が、メッセージだったのです。
巨大さの肯定と否定――同じ言語、逆のメッセージ
バルトルディの自由の女神とバーク=ホワイトのフォートペック・ダム。これら二つの作品は、半世紀を隔てて、まったく対照的な「巨大さ」を提示しています。
自由の女神が「自由の概念をでかくして讃える」装置だったのに対し、フォートペック・ダムの写真は「巨大な構造物の前で人間がいかに小さいか」という、近代テクノロジーの威圧感を可視化していました。
同じ「大きさ」というデザイン言語が、肯定にも否定にも、賛美にも警告にも使える――これが20世紀のスケール感覚の出発点です。第一次世界大戦の塹壕、巨大な機械、流れ作業の工場、聳え立つ摩天楼。チャップリンが映画『モダン・タイムス』を発表したのも、奇しくもバーク=ホワイトが『LIFE』創刊号の表紙を撮ったのと同じ1936年でした。「機械の前で人間はちっぽけだ」という感覚は、この時代の空気そのものだったのです。
蟹缶に宇宙を封じ込める――1964年、東京
ところが、ここからが面白いのです。「大きいものはすごい」という単純な等式を、東京で華麗に裏返した人物がいました。前衛美術家、赤瀬川原平(1937〜2014)です。
舞台は1964年、東京オリンピックを控え、街がせわしなく姿を変えていた東京。赤瀬川は前衛芸術グループ「ハイレッド・センター」――高松次郎・赤瀬川原平・中西夏之の三名の頭文字(高い・赤い・中央)を取った命名――の活動の中で、ある日用品を作品にしました。蟹の缶詰、ただ一個。

作り方はこうです。まずスーパーで蟹缶を買ってきます。缶切りで開けて、中身の蟹を食べます(赤瀬川いわく「蟹は私の体内に収まります」)。空になった缶をきれいに洗い、外側に貼ってあった蟹のラベルを慎重に剥がす。剥がしたラベルに糊を塗り直し、今度はそのラベルを缶の「内側」に貼ります。最後に、缶のフタをハンダ付けで密封する。
たったこれだけ。しかし赤瀬川はこう宣言します。
「その瞬間! この宇宙は蟹罐になってしまう。この私たちのいる宇宙が全部その罐詰の内側になるのです」(『東京ミキサー計画』より)
何が起きているのか。ラベルが内側に貼られた瞬間、缶の「内側」と「外側」の関係が反転します。ラベルがある面が「外側」だとするなら、私たちが立っている地球も、太陽系も、銀河系も、宇宙の果ても、すべてがこの缶詰の「内側」に閉じ込められたことになる――というトポロジー(位相幾何学)的な遊び。
この発想の凄さは、同時代の西洋美術と比較するとよくわかります。同じ頃、ブルガリア出身のクリストとジャンヌ=クロードは「梱包芸術」として、扇風機やラジオから始めて、次第に建物、橋、海岸、谷、果ては島ごと布で包む巨大プロジェクトへとスケールを拡大していきました。「より大きいものを包む」という直線的なエスカレーション。
赤瀬川は、その方向性に「ただの拡大ではないか」とつぶやくように歩みを止めます。代わりに彼が選んだのは、極小の蟹缶ひとつで全宇宙を概念的に包んでしまうこと。物理的な「大きさ」を放棄して、論理操作だけで「最大」を達成してしまったのです。
ちなみに高価な蟹缶を選んだのは、「曲がりなりにも宇宙を内包する以上は、それなりに高価な缶でなければ宇宙に申し訳が立たない」という、赤瀬川流のジョーク混じりの説明があります。本人はこの感性を「貧乏性」と自嘲していましたが、これは「スケール」というデザイン言語に対する、世界でも類を見ない反論だったと言えるでしょう。
小さなものを集めて巨大な像を作る――1969年、フランクフルト
舞台はドイツ・フランクフルト。1937年生まれのトーマス・バイルレ(Thomas Bayrle)は、もともと織物の職人見習いから出発し、後に美術の世界へ入った異色の芸術家です。「経糸と緯糸(たていととよこいと)」の感覚が、彼の作品の根底に流れているとも言われます。
1960年代後半、彼は奇妙なシルクスクリーン作品を量産しはじめます。遠目に見ると、巨大な一台のフォルクスワーゲン・ビートル。近づいてみると、それは何百台もの小さなビートルを格子状に並べて構成された巨大な像でした。1969年作の《VW Rot(赤いVW)》がその代表作のひとつで、ニューヨーク近代美術館(MoMA)にも所蔵されています。

なぜビートルなのか。なぜチーズの広告キャラクター「笑う牛」なのか。なぜ大量の靴なのか。バイルレ自身はこれを「スーパーフォーム(Superform)」と呼びました。小さな単位(ユニット)の反復が、大きな図像(フォーム)を構成する。彼の世界は、戦後西ドイツの大量消費社会と冷戦下の社会主義国の政治集会、そのどちらでもありどちらでもない奇妙な視覚を抽出したものでした。中国の人海戦術の写真集『China im Bild』から発想を得たとも語られています。「マスとしての個人」と「個人としてのマス」の両義性。
バイルレの作品の前に立つと、私たちは奇妙な感覚に襲われます。引いて見れば一つの大きなビートル。寄って見れば数百の小さなビートル。中間距離に立つと、その二つの像のあいだで脳がチカチカと往復する。
赤瀬川とバイルレ。この二人は、興味深い対照をなしています。赤瀬川は「最小」のオブジェクトに「最大」の概念を圧縮しました。バイルレは「最小の反復」で「最大の図像」を構築しました。両者に共通するのは、スケールがもはや単なる物理的な属性ではなく、認識を切り替えるための「スイッチ」になっているという認識です。
スケールという言語
ここまで見てきた4つの場面――1886年の自由の女神、1936年のフォートペック・ダム、1964年の宇宙の罐詰、1969年のスーパーフォーム――は、まったく異なる時代と地域の事象でありながら、共通の問題を扱っています。
それは、「大きさ」がそれ自体で語る、ということ。
巨大化の方向(バルトルディ、バーク=ホワイト)は、力・畏怖・モニュメント性・公共性を語ります。縮小と反転の方向(赤瀬川)は、ユーモア・概念・私的な抜け道を語ります。反復による合成(バイルレ)は、群衆・マス・複製の時代を語ります。
グラフィックデザインの世界では、これは「スケール・コントラスト」と呼ばれる古典的なテクニックです。一文字を異常に大きくする、写真の中に小さな点を打つ、ロゴと余白の比率を極端にする――どれも、数値以上の意味を伝えます。建築でも同じです。ル・コルビュジエの「モデュロール」は人体寸法を基準にした設計思想ですが、それを「破る」ことで聖性や圧倒感を演出するゴシック大聖堂や現代のメガストラクチャーが存在します。
手のひらに収まる宇宙――現代との接続
スマートフォンの画面サイズは、せいぜい15センチ四方。しかしその中には、地球の裏側のニュース、銀河系の高解像度写真、隣町の友人とのチャット、世界中の映像が流れ込みます。これは、現代版「宇宙の罐詰」と言えるかもしれません。物理的な大きさは縮小しても、概念的な内包量は爆発的に増大している。
一方で、東京・渋谷の交差点に立つと、巨大なデジタルサイネージが私たちを見下ろします。その下を歩く通行人は、まさしくフォートペック・ダムの「米粒の労働者」と同じ位置に立たされている。テクノロジーが人類を矮小化する感覚は、形を変えて現代にも生き続けています。
そして、SNSのフィードに無限にスクロールされる小さな画像群は、一つひとつは指先サイズですが、それらが集合して「全体としての文化」「群衆としての気分」を構成する。バイルレが半世紀前に予言した、スーパーフォームの世界そのものが、私たちのタイムラインに広がっているのです。
「大きさ」は、依然として強力なメッセージです。だからこそ、デザインに関わる者は、ただ大きくする/小さくするだけでなく、「なぜ、その大きさなのか」を問わなくてはなりません。バルトルディが宇宙的なスケールに賭け、赤瀬川が極小に賭け、バイルレがその両方を一つの画面に同居させたように、スケールの選択そのものが、すでに思想の表明なのです。
基本データ
- 自由の女神(Statue of Liberty / La Liberté éclairant le monde)
- 彫刻:フレデリック・オーギュスト・バルトルディ(1834-1904)/鉄骨設計:アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル/台座設計:リチャード・モリス・ハント/所在:リバティ島(米ニューヨーク湾)/完成・除幕:1886年10月28日/高さ:女神像のみ約46m、台座含めて約93m/重さ:約225トン
- Fort Peck Dam, Montana(フォートペック・ダム、モンタナ)
- 撮影:マーガレット・バーク=ホワイト(1904-1971)/撮影年:1936年/発表:『LIFE』創刊号 表紙(1936年11月23日号)/所蔵:メトロポリタン美術館、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート、MoMA、ホイットニー美術館 ほか
- 宇宙の罐詰(Canned Universe)
- 作家:赤瀬川原平(1937-2014)/制作年:1964年(再制作1994年)/媒体:蟹の缶詰(ラベルを内側に貼って密封)/所属グループ:ハイレッド・センター(赤瀬川原平・高松次郎・中西夏之)/発表:1964年6月「大パノラマ展」(内科画廊)ほか
- VW Rot(VW Red)
- 作家:トーマス・バイルレ(1937年生)/制作年:1969年/技法:シルクスクリーン/寸法:約58.1×82.5cm/所蔵:ニューヨーク近代美術館(MoMA)/スタイル:スーパーフォーム(Superform)
Q&A
- 自由の女神はなぜ「銅」でできているのですか?
- バルトルディは青銅や石ではなく銅を選びました。理由としてコストの安さ、軽さ、輸送のしやすさが挙げられます。約31トンもの銅板を「リプセ(repoussé)」というハンマーで叩き出す技法で成形し、エッフェルの設計した鉄骨に被せる構造になっています。完成当初は新しい銅の輝きでしたが、酸化して現在の青緑色になりました。
- 「宇宙の罐詰」は今でも見ることができますか?
- オリジナルは1964年に作られ、現存する作品は1994年に再制作されたものが知られています。全国各地で開催される赤瀬川原平の回顧展で展示されることがあります。また赤瀬川の著書『東京ミキサー計画――ハイレッド・センター直接行動の記録』(ちくま文庫)に詳細な経緯が記録されています。
- クリスト&ジャンヌ=クロードと赤瀬川原平の梱包芸術はどう違うのですか?
- クリスト夫妻は対象を物理的に布で包み、橋・建物・島・海岸とスケールを拡大していきました。赤瀬川は缶詰のラベルを内側に貼り替えるという論理操作だけで「宇宙そのもの」を概念的に包みました。物理的な巨大化の対極にある、極小・反転による概念的な梱包です。
- バイルレの「スーパーフォーム」の小さなパーツは手描きですか、印刷ですか?
- 初期はトレーシングペーパーや方眼紙を使った手描きの下絵から制作されました。後にシルクスクリーン、シェミカル印刷、写真コピー、初期のコンピューターグラフィックスへと技法を広げています。彼はドイツで最も早くコンピューター生成アートを試みた美術家のひとりとされています。
- 「大きさ」は今でもデザインで重要な要素ですか?
- むしろ、現代こそスケールの設計が重要になっています。スマホの画面(小)と都市のサイネージ(大)、Webサイトのファーストビュー(大)とアイコン(小)、UIの中の階層構造(大小のコントラスト)など、デジタル時代になって私たちは1日のうちで何度も「大⇄小」のスケール切り替えを体験しています。
参考文献
- Statue of Liberty – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Statue_of_Liberty
- Statue of Liberty | Britannica
- https://www.britannica.com/topic/Statue-of-Liberty
- Margaret Bourke-White – Fort Peck Dam, Montana | The Metropolitan Museum of Art
- https://www.metmuseum.org/art/collection/search/265299
- Fort Peck Dam, Montana by Margaret Bourke-White | National Gallery of Art
- https://www.nga.gov/artworks/165921-fort-peck-dam-montana
- 赤瀬川原平 – Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%80%AC%E5%B7%9D%E5%8E%9F%E5%B9%B3
- Hi-Red Center – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Hi-Red_Center
- Thomas Bayrle – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Bayrle
- Thomas Bayrle. VW Red. 1969 | MoMA
- https://www.moma.org/collection/works/68521
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