ユダヤ博物館ベルリン|リベスキンドが「不安」を建築化した方法

ユダヤ博物館ベルリン|リベスキンドが「不安」を建築化した方法

目次

ベルリン中心部からU6線で南へ。ハレッシェス・トーア駅で降りて数分歩くと、街並みのなかに突如、稲妻のような形をした亜鉛色の建物が現れます。ユダヤ博物館ベルリン――ダニエル・リベスキンドが設計した、世界でもっとも有名な博物館建築のひとつです。

足元から、悲鳴が聞こえる

順路に沿って地下の長い通路を進み、薄暗い扉を抜けた瞬間、来館者は奇妙な物音に気づきます。ガシャン、ガシャン、ガラガラ。重く、金属的で、しかしどこか有機的な響き。それが自分の足音だと気づくのに、少し時間がかかります。

床一面に敷き詰められているのは、約一万枚以上の鉄の顔。目はくり抜かれ、口は大きく開いている。サイズの違う「叫び」が、何重にも重なり合っているのです。イスラエルの彫刻家メナシェ・カディシュマンによるインスタレーション《シャレヘット(落ち葉)》。来館者はこの顔の上を、避けようがなく踏みしめて歩くことになります。歩くたびに鉄と鉄がぶつかり、まるで悲鳴のような音が反響する。「自分はいま、人を踏みつけているのではないか」――そんな罪悪感が、頭ではなく足の裏から、じわじわと立ちのぼってきます。

リベスキンドが設計したこの建物の最大の特徴は、「展示物が空っぽでも建築自体が物語る」ことにあります。事実、博物館は1999年に建物が完成してから、展示物が並ぶ2001年9月の正式オープンまでの2年間、約35万人もの人々が「空っぽの状態」を見学に訪れました。建物そのものが、すでにメッセージだったのです。

「空の建物」を見るために、35万人が並んだ

通常、博物館とは「展示物を入れるための器」です。額縁に絵が掛かり、ガラスケースに遺品が並び、解説パネルが歴史を語る。器そのものは、できるだけ中性的で目立たないほうがよい――それが20世紀の標準的な設計思想でした。

ところがベルリンのユダヤ博物館は、まったく逆を行きました。建物の壁は斜めに傾き、廊下は突然行き止まりになり、窓は文字通り「亀裂」のように建物を切り裂く。ジグザグに折れ曲がる平面図は、上空から見ると砕け散ったダビデの星のようにも、ベルリンの街を走った稲妻のようにも見えます。建設当初、地元の人々はこの形を「ブリッツ(Blitz=稲妻)」と呼んだそうです。

設計者のリベスキンドは、この建物に「Between the Lines(ラインの間に)」というタイトルをつけました。彼自身の説明によれば、これは「目に見えないライン」と「目に見えるジグザグのライン」の二本の線が交差する物語です。前者は建物の中心を縦に貫く一本の直線――のちに「ヴォイド(虚空)」と呼ばれることになる空間。後者は外形をなす折れ線。二つの線が出会い、ぶつかり、分かれていく軌跡こそが、ドイツに生きたユダヤ人の歴史そのものなのだ、と。

ホロコースト・サバイバーの息子が、ベルリンを設計する

リベスキンドがこの設計に込めた強度を理解するには、彼自身の人生を知る必要があります。ダニエル・リベスキンドは1946年、ポーランドのウッチで生まれました。両親はナチスから別々にソ連方面へ脱出して逮捕され、シベリア等で過酷な日々を経験したのちに再会して結ばれた、ホロコーストの生存者です。

終戦後にウッチへ戻った両親は、両家あわせて85人もの親族がホロコーストで殺されたことを知ります。「ポーランドに関する私の唯一の記憶は、反ユダヤ主義です」――彼はのちにスミソニアン誌の取材で語っています。家族は1957年にイスラエル、1959年にニューヨーク・ブロンクスへと移住。少年時代のリベスキンドはアコーディオンの神童として注目を集めますが、やがて建築の道を選びます。

長らく建築理論家・教授として活動し、最初の建物が竣工したのは52歳のとき。ベルリンのユダヤ博物館コンペに勝ったのは1989年、まさにベルリンの壁崩壊の直前でした。つまり彼は、自身の家族史と、世界が注目する東西ベルリン再統合という二つの巨大な物語を、一つの建物のなかに収めなければならなかったのです。

四つのインスピレーション源――地図、オペラ、随筆、追悼録

リベスキンドは設計にあたり、四つの参照源を挙げています。

ひとつめは、ベルリンに暮らした著名なユダヤ系・非ユダヤ系の人々の住所です。哲学者ヴァルター・ベンヤミン、画家マックス・リーバーマン、作家ハインリヒ・フォン・クライスト、サロニエールのラーエル・ファルンハーゲン、作曲家アルノルト・シェーンベルクなど――彼らがかつて住んでいた住所をベルリンの地図に落とし、線で結ぶ。すると、目には見えない、けれども確かに存在した「文化のネットワーク」が浮かび上がります。建物の外壁を切り裂く窓のスリットは、その線を立体に翻訳した痕跡なのです。

ふたつめは、シェーンベルクの未完のオペラ《モーゼとアロン》。「言葉にできないものを言葉にしようとする」という、表現不可能性そのものを主題にした作品です。リベスキンド自身、「私の建築はこのオペラの未完の三幕目を、空間として完成させる試みだ」と語ったとされています。

みっつめは、ヴァルター・ベンヤミンの随筆『一方通行路』。一方通行というモチーフは、後述する「行き止まり」の通路に直接つながっていきます。よっつめは、ナチスにより殺害されたドイツのユダヤ人の名前を記録した連邦公文書館の『追悼録』。地図の住所、音楽の構造、思想家の言葉、そして犠牲者の名前――この四つが折り重なって、一つの空間が立ち上がります。

三つの軸――そして、行き止まりという答え

来館者は、隣接するバロック様式の旧建物(クレギーエンハウス)から地下通路を通って、リベスキンドの新館に入ります。入り口の階段を降りた先で、空間は三本の通路――「軸」に分岐します。

第一の軸は「継続の軸(Axis of Continuity)」。ドイツに生きたユダヤ人の長い歴史を語り、長い階段を上って常設展へとつながります。第二の軸は「亡命の軸(Axis of Exile)」。1933年以降、ナチスの迫害を逃れてドイツを去った人々を象徴し、屋外の「亡命の庭」へ続きます。そして第三の軸が「ホロコーストの軸(Axis of the Holocaust)」。だんだん天井が低く、廊下が狭くなり、最後はぴたりと閉じた重い扉――「ホロコースト・タワー」で行き止まりになります。

つまり来館者は、入り口の時点ですでに「歴史の選択」を建築に強いられているのです。同化と継承か、亡命か、それとも絶滅か。どの道にも歴史的根拠があり、どの道にも当時のユダヤ人が実際に向かっていきました。建築は、来館者の身体を歴史のシミュレーターに変えてしまいます。

ヴォイド――展示できないものを「展示」する空間

リベスキンドの建築のなかでも、もっとも独創的なのが「ヴォイド(Voids)」と呼ばれる空間群です。英語のvoidは普通「上下に何もない技術的な空隙」を指す言葉ですが、リベスキンドはこれをまったく別の意味に使います。建物の最上階から最下階まで、約20メートルにわたって縦に貫く、コンクリート打ちっぱなしの長い空洞。冷暖房はなく、照明もほとんどない。展示物は一切置かれません。

来館者は、このヴォイドを横切る約60本もの「橋」を渡って、展示室から展示室へと移動します。ヴォイドの内部にはほぼ入れません。ただ、橋の上から覗き込み、その「何もなさ」を体験するだけ。

この空間が表現しているのは、リベスキンドの言葉を借りれば「ベルリンのユダヤ史において展示できないもの――灰になった人間性そのもの」です。亡くなった人々、消えた家族、奪われた未来、想像することすら難しい喪失。それらを「展示」してしまうと、どんなに丁寧でも「説明可能なもの」になってしまう。だからリベスキンドは、説明することを徹底的に放棄し、空間の「不在」そのものに語らせる道を選びました。

ヴォイドのうち、地上階の「メモリー・ヴォイド(記憶の空隙)」だけは、来館者が足を踏み入れることができます。そこに敷き詰められているのが、冒頭で紹介したカディシュマンの《シャレヘット(落ち葉)》です。建築家による「不在の空間」のうえに、彫刻家の作品が、不在の人々の顔を呼び戻す。空間と作品が、互いを補完しあう設計になっています。

傾く庭、暗闇のタワー――身体に届く「不安」

亡命の軸の終点には、屋外空間「亡命の庭(Garden of Exile)」が広がっています。49本のコンクリートの柱が碁盤目状に並び、各柱の頂上にはオリーブ(ロシアン・オリーブ)が植えられています。49という数字は、48本がイスラエル建国の年(1948年)を、中央の1本がベルリンを象徴するとされます。

ところがこの庭、地面そのものが約12度傾いているのです(資料によって角度の記述に若干のばらつきがあります)。来館者は柱の間を歩こうとするたびに、自分の三半規管が悲鳴をあげるのを感じます。視界に映る柱は垂直なのに、足元はまっすぐではない。「故郷を追われた人々が感じた、世界の足場が崩れる感覚」を、建築は文字通り体感させてくるわけです。

そして、ホロコーストの軸の終点。重い金属の扉を押して入ると、約24メートルの高さの暗いコンクリートの筒が立ち上がっています。これが「ホロコースト・タワー」。冷暖房も照明もなく、唯一の光は、はるか頭上の細い切れ込みから差し込む一筋の光だけ。扉が背後で「カチャン」と閉まる音は、来館者を一瞬で「外の世界」から切り離します。何分でもいいから、その静寂と寒さのなかに立っていてほしい――リベスキンドは、そう設計したのでした。

不安のアーキテクチャは、どこへ向かうのか

完成当初、リベスキンドの建築には賛否両論が巻き起こりました。「建築の演出が強すぎる」「過度に観光地化された記念碑だ」と批判する声もあれば、「20世紀建築の到達点のひとつ」と讃える声もありました。一部の関係者からは「展示物を入れずに、空間そのものを記念碑として残すべきだ」という提案すら出たほどです。一方で1998年には『Art Forum International』誌の年間ベスト、1999年にはドイツ建築賞を受賞するなど、専門家からの評価も高いものでした。

議論はあったにせよ、この建物がもたらした影響は決定的でした。「建築は感情を体感させることができる」という発見が、その後の記念碑・記念館建築のスタンダードを書き換えていったのです。ピーター・アイゼンマンによる《虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑》(2005年、ベルリン)、9.11記念ミュージアムをはじめとする世界各地の「記憶の建築」は、リベスキンドが切り開いた「感情のアーキテクチャ」の系譜のなかに位置づけられます。リベスキンド自身も、ニューヨークの世界貿易センター跡地のマスタープランの設計者として、再びこの手法を世界に問うことになりました。

そして現代。私たちは「展示する」より「体感させる」UXデザインの時代を生きています。VR空間で歴史をたどり、サウンドスケープで感情を誘導し、アプリのインターフェースの「重み」で気分を変える。空間や時間を意図的に操作し、ユーザーの内面に直接働きかける手法は、いまや当たり前の設計言語になりつつあります。リベスキンドが20世紀末のベルリンで実装した「不安を線と面に変換する」設計手法は、見方を変えれば、現代のデジタル体験設計のはるかな先祖でもあるのです。

物理的な床の傾きと、UIの微妙なアニメーション。鉄の顔を踏む音と、通知の効果音。スケールはまるで違っても、「身体感覚を通じて感情を設計する」という発想の根は、同じところに伸びている。ベルリンで足元から立ちのぼる、あの軋む音。それは20世紀の傷の声であると同時に、これから私たちがつくっていくあらゆる「体験」のあり方を、いまも問い続けているのかもしれません。

基本データ

建物名
ユダヤ博物館ベルリン(Jüdisches Museum Berlin / Jewish Museum Berlin)
所在地
ドイツ・ベルリン Lindenstraße 9–14, 10969
設計
ダニエル・リベスキンド(Daniel Libeskind, 1946年ポーランド・ウッチ生まれ)
コンペ受賞
1989年(応募165案中から選定)
新館建設期間
1992年着工/1999年完成(建物のみ)/2001年9月9日 常設展オープン
延床面積
約15,000㎡(リベスキンド設計の新館部分)
外装材
チタン亜鉛合金パネル
主な空間構成
三つの軸(継続/亡命/ホロコースト)、複数のヴォイド、亡命の庭(49本の柱)、ホロコースト・タワー(高さ約24m)
主な受賞
1998年 Art Forum International 「Best of 1998」、1999年 ドイツ建築賞、2010年 ブーバー=ローゼンツヴァイク・メダル ほか
来館者数
2001年の正式オープンから2017年12月までで累計1,100万人超

Q&A

Q. 「ヴォイド」と単なる「空きスペース」はどう違うのですか?
A. 通常の建築用語のvoidは「設備の都合で使われない技術的空隙」を指しますが、リベスキンドのヴォイドは「展示できない不在を体感させるための、意図された空間」です。冷暖房も照明もなく展示物も置かない、5層を貫く約20mの長い空洞で、来館者は橋を渡って横断するだけ。空間そのものが概念を担っています。
Q. ジグザグの形は本当に「砕けたダビデの星」なのでしょうか?
A. リベスキンドは「砕けたダビデの星」「稲妻」「ベルリンに住んだユダヤ系・非ユダヤ系の人々の住所を結んだ線」など、複数の解釈を許容するかたちでデザインしたとされています。本人もインタビューで「建物は音楽のように、解釈に開かれている」と語っており、特定の意味に固定されないこと自体が設計意図です。
Q. メナシェ・カディシュマンの《シャレヘット(落ち葉)》は、リベスキンドの設計の一部なのですか?
A. 別の作家による独立した作品です。カディシュマン(1932–2015、イスラエル)が1997–2001年にかけて制作した、約1万枚以上の鉄の顔のインスタレーションで、ディーター&ジ・ロゼンクランツ夫妻による寄贈作品。リベスキンドの「メモリー・ヴォイド」という空間と、カディシュマンの作品が出会うことで、双方の意味が増幅しています。
Q. 1999年に建物だけ先に完成して35万人が訪れたのはなぜですか?
A. 建物の完成と展示準備の間に時間差があったためで、その期間にガイドツアー形式で公開されました。空っぽの建物に「これだけ人が集まる」こと自体が、リベスキンド建築の語る力を証明する出来事になり、一部の評論家からは「このまま展示物を入れずに記念碑として残すべきだ」という議論まで起きました。
Q. 庭やタワーで感じる「不安」は、訪問者の体調に影響しますか?
A. 庭の傾斜やタワーの暗闇は、平衡感覚や閉所感覚に強く働きかけるため、人によっては気分が悪くなることもあります。同館はこの「不快感」を意図的な設計だと説明していますが、無理に長居せず、自分のペースで体験することが推奨されています。

参考文献

The Libeskind Building|Jewish Museum Berlin 公式
https://www.jmberlin.de/en/libeskind-building
Shalekhet – Fallen Leaves|Jewish Museum Berlin 公式
https://www.jmberlin.de/en/shalekhet-fallen-leaves
Jewish Museum Berlin|Studio Libeskind
https://libeskind.com/work/jewish-museum-berlin/
Daniel Libeskind’s Jewish Museum is a “foreboding experience”|Dezeen
https://www.dezeen.com/2022/05/20/daniel-libeskind-jewish-museum-deconstructivist-architecture/
Jewish Museum Berlin|Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Jewish_Museum_Berlin
Daniel Libeskind|Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Libeskind
Composing the Lines|ART+COM Studios
https://artcom.de/en/?project=composing-the-lines-2
Daniel Libeskind|The Art Story
https://www.theartstory.org/artist/libeskind-daniel/

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