安藤忠雄「光の教会」|コンクリートに十字を切るだけで聖性を生んだ方法

安藤忠雄「光の教会」|コンクリートに十字を切るだけで聖性を生んだ方法

目次

大阪府茨木市北春日丘。住宅街の四つ辻に、ひとつだけ周囲と異なる建物が立っている。打ち放しコンクリートの直方体。表通りに面した壁には、外から見える十字架の刻みが入っている。本体に対して15度の角度で斜めに突き刺さる細い壁が、入口へのアプローチを決めている。

扉を抜けると、視界がほとんど闇に沈む。

足元は黒く塗られた板。座席もまた、足場用の杉材を黒く塗り直したものだ。装飾はない。ステンドグラスもない。聖像もない。前方の壁、祭壇のちょうど真後ろに、縦と横、二本のスリットが交差している。

そこから光が入る。

113平方メートルの礼拝堂の闇のなかで、十字の光だけがコンクリートに浮かび上がる。設計したのは、当時すでに大阪を拠点に独自の建築スタイルを組み立てていた安藤忠雄。竣工は1989年4月。建てたのは、信徒たちが集めた25万ドルの予算と、独学で建築家になった一人の元プロボクサーだった。

この建築家がここで試したのは、増やすことではなく削ることだった。装飾を持ち込まず、色を入れず、光源を照明ではなく壁の切れ目に置く。宗教建築の「聖性」はどこまで削っても立ち上がるのか——その実験には、設計者本人と教会側、双方が譲れなかった一線が正面からぶつかる場面が用意されていた。

ボクサーから独学で建築家へ

安藤忠雄は1941年生まれの大阪人。建築学を大学で学んだことがない。

10代の頃、自宅向かいの建具職人の仕事を毎日のように覗き、木で船や飛行機の模型を作って育った。17歳でプロボクサーになり、「グレート安藤」のリングネームで戦った。20歳前後で引退。その後は通信教育で製図を学び、夜学で図面を引き、世界中の建築を実地で歩き回りながら独学で設計を覚えた。

1960年代の旅で、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、ルイス・カーン、フランク・ロイド・ライトの建物を実物で見ている。スケッチブックに比例や寸法を書き写しながら歩いた。京都や奈良の寺社、茶室にも足を運んだ。

1969年、大阪に自分の事務所を開設。1976年、住吉の長屋で建築界デビューを果たす。1979年に日本建築学会賞を受賞して、コンクリートの打ち放しで小さく強い空間を作る建築家として認知され始めた。

茨木春日丘教会から依頼が来たのは、1980年代後半。手掛けていた住宅建築の延長線上で受けた小さな仕事だった。

装飾の時代に、削るという選択

ちょうど世界の建築は、装飾過剰のポストモダンが頂点に達していた時期だった。

1980年代前半、フィリップ・ジョンソンは古典様式のモチーフを混ぜ込んだAT&Tビル(1984年)を完成させて議論を呼んだ。日本でも、磯崎新がつくばセンタービル(1983年)で歴史様式を引用した建築を発表していた。チャールズ・ジェンクスの『ポスト・モダニズムの建築言語』(1977年初版、改訂版を重ねる)は、装飾と引用の復権を理論的に支えた一冊だった。

「機能のみ」「装飾の排除」を旨としたモダニズムの教義は古いとされ、建築は記号と引用と歴史的言及で語るべきもの——そういう空気が建築界を覆っていた。

安藤の手は逆方向に動く。装飾を足すのではなく削る。光で空間を満たすのではなく、闇のなかから一筋だけを切り出す。

茨木春日丘教会の依頼を受けた安藤の頭の中には、ヨーロッパで歩いた中世のシトー会修道院の記憶があった。中世の修道会が石を積んで作った、洞窟のような祈りの空間。ステンドグラスや彫像を持たず、壁を穿った窓から差す光だけで聖性を支えていた祈りの場。その記憶が、コンクリートの箱に十字を切るという発想に結びついていく。

コンクリートに切られた20センチの線

完成した礼拝堂は、ほぼ立方体に近い直方体の箱だ。

幅5.9メートルの球体が三つ並ぶサイズに合わせて、矩形が決められている。建築面積113.04平方メートル、最高高さ7.24メートル。コンクリート打ち放し。それを15度の角度で別の独立壁が斜めに貫いていて、入口へのアプローチを屈折させる。中に入る前に、身体の向きを一度切り替えさせる仕掛けだ。

祭壇の背後の壁。ここに、縦と横のスリットが交差して切られている。幅は約20センチ。コンクリートの壁を、ナイフで切ったような細い隙間。

このスリットは、コンクリート型枠の継ぎ目とぴったり一致するように設計された。コンクリートを流し込むときのわずかな狂いで、即座に十字の線がずれる。許容差ほぼゼロの仕事。これを実現したのが、施工を担当した辰巳建設と、安藤と組んできた型枠大工たちだった。

座席は床から段差で下がり、祭壇に向かって低くなる。床と座席は黒く塗られていて、闇を一段濃く演出する。明かり取りの窓は他に取られていない。日中、人工照明を落とした状態で礼拝堂に立つと、可視光のほぼ全てが十字のスリットから差し込む光だ。

光と闇の関係について、安藤は1982年の著書『現代の建築家 安藤忠雄』(鹿島出版会)でこう書いている。「光は、闇に対置されてこそ、その輝きを増す」。

礼拝堂はこの一行を物質化したような空間になっている。

ガラスをめぐる攻防

設計時、安藤はこのスリットにガラスを入れない案を提示した。

外の空気と光をそのまま入れる。礼拝堂の中に風が通り、雨が降れば床が濡れる。冬は寒さに耐えながら身を寄せ合って祈る。教会という場所に必要なのは快適さではなく、自然と直接対峙する経験——安藤の主張は、おおよそそういうものだった。

教会側は反対した。

信徒の高齢者も多い。冬の大阪は底冷えする。雨も雪も入ってくる礼拝堂で日曜礼拝を続けるのは現実的ではない。最終的にガラスは嵌められた。

竣工後も、安藤は定期的にこの教会を訪れ、ガラスを外そうと牧師に交渉し続けた。

「私は完成後、ガラスを外してもらうために通い続けた。しかし最終的にはあきらめた」——2017年に開かれた東京・国立新美術館「安藤忠雄展――挑戦」での本人の証言である。同展では、光の教会の原寸大レプリカが屋外に建てられた。そのレプリカではガラスが省かれていた。

ガラスのない十字を、本人がついに展示空間で実現してしまった。スリットには風が通り、訪れた人々は本来あるべき体験——光と外気が同時に身体に届く感覚——を初めて味わうことになった。「オリジナルの教会と比較して、光と風の体験は明らかに強度を増していた」と本人は語っている。

茨木の本物は今もガラスを保持したまま、日曜礼拝の場として使われ続けている。

予算切れと、寄付された屋根

設計の冒険心と現実の予算は、何度も衝突した。

建設費は約25万ドル。信徒の寄付だけで賄われた。安藤は自身の通常のパレットである安価な材料——鉄筋コンクリートと木材——だけで構成することで予算に応えた。座席も床も、コンクリート打設に使った杉材の足場板を再利用して作られている。

それでも建設中、屋根を架ける段階で資金が尽きた。

安藤は、屋根なしで青空礼拝堂として使う案を一時真剣に検討したと伝えている。仕上げ材を削るのではなく、構造そのものを削る。建築家としては相当の譲歩だったろう。

施工を担当した辰巳建設が、屋根分の工事を寄付した。

「経済合理性ではなく集合的意志の力で建築が立ち上がる場面に立ち会えたことに、深く心を動かされた」——安藤は後にそう振り返っている。

結果として、装飾を足す余地が初めから無かったことが、この建物の輪郭を決めた。引き算は美学である前に、予算の事実だった。

「6枚の壁と1枚の屋根」と呼ばれて

完成直後から、光の教会は宗教建築の代表作として国際的な注目を集めた。

1995年、安藤はプリツカー建築賞を受賞する。光の教会は、その受賞理由のなかで強調された代表作の一つだった。同年、阪神・淡路大震災が発生。安藤は賞金10万ドルをそのまま被災者支援に寄付している。1996年には、光の教会自体が国際教会建築賞を受賞した。

批判もあった。

礼拝堂は閉所恐怖を誘うほど暗く、装飾は宗教建築としては乏しい。「6枚の壁と1枚の屋根」と評され、空虚さを問題視する意見も少なくなかった。十字の光が壁を支配しすぎて、牧師が説教する位置を主軸からずらさざるを得ない——これも実務上の不便として指摘された。

批判の声は、設計の意図を逆から照らしていた。装飾の不在を「空虚」と感じる人がいれば、同じ不在を「祈りの純化」と感じる人もいる。光の教会は、その分裂を意図的に呼び込むように作られていた。

引き算の建築が広がるまで

光の教会以降、宗教建築における引き算的アプローチは国際的に存在感を増した。

スティーヴン・ホールがシアトル大学に設計したセント・イグナチオ礼拝堂(1997年)、ペーター・ツムトールがドイツ・ヴァヒェンドルフに完成させたブルーダー・クラウス野外礼拝堂(2007年)。素材と光を最小限に絞り、闇のなかから聖性を立ち上げる方法。光の教会と並べると、共通する発想が見えてくる。

教会以外の領域にも波及した。

直島の地中美術館(2004年)、ヴェネツィアのプンタ・デラ・ドガーナ(2009年)、パリのブルス・ド・コメルス改修(2021年)。すべて安藤本人の作品で、光の教会で確立された「闇から光を切り出す」「コンクリートの箱に幾何学的な切り欠きを入れる」手法の延長線上にある。

「ミニマリズム」という言葉は、しばしば白く明るい空間を指して使われる。安藤の場合は逆方向。黒く深い闇のなかで、形を持たない光だけを浮かび上がらせる。

茨木の住宅街にある、わずか113平方メートルの礼拝堂。コンクリートに切り込まれた20センチ幅の隙間。それだけで聖性が立ち上がるという仮説を、安藤忠雄は実物で証明してみせた。装飾を加える方法ではなく、引き算する方法で。

Q&A

なぜ十字のスリットにガラスが入っているのか?
当初、安藤忠雄は外気と光をそのまま取り込むため、スリットにガラスを入れない設計を提案していた。冬の冷気や雨を理由に教会側が反対し、最終的にガラスが嵌められた。安藤は竣工後も牧師にガラスを外すよう交渉を続けたが実現せず、2017年の東京・国立新美術館「安藤忠雄展――挑戦」では、ガラスのない原寸大レプリカを屋外に建てて当初の構想を実現している。
安藤忠雄はどのように建築を学んだのか?
大学で建築を学んでいない。17歳でプロボクサーになり、20歳前後で引退した後、通信教育や夜学で製図を学び、独学で設計を覚えた。20代でヨーロッパ、アメリカ、京都・奈良の建築を実物で歩き、スケッチブックに比例や寸法を書き写しながら習得していった。1969年に大阪で事務所を開設し、1995年にプリツカー建築賞を受賞している。
「教会三部作」とは何か?
安藤忠雄が1980年代後半に手がけた三つの宗教建築の総称。1986年の風の教会(兵庫県六甲山)、1988年の水の教会(北海道勇払郡占冠村)、そして1989年の光の教会の三作で、自然の要素を建築空間に取り込む手法を共通の主題としている。
現在、光の教会は見学できるのか?
かつては事前予約による見学が可能だったが、コロナ禍以降、観光客の増加に伴う近隣住民とのトラブルや、無償見学運営の負担などを理由に、建物見学は全面停止が続いている。日曜礼拝についても少人数の事前問い合わせ対応に限られている。実際に祈りを捧げるための場であり、観光建築ではない点に留意したい。
建築の予算が尽きたという話は本当か?
本当である。建設費は約25万ドルで信徒の寄付のみで賄われたが、屋根を架ける段階で資金が尽きた。安藤は屋根なしの青空礼拝堂とする案も検討したが、施工を担当した辰巳建設が屋根分の工事を寄付したことで完成にこぎつけた。安藤は後に「経済合理性ではなく集合的意志の力で建築が立ち上がる場面に立ち会えた」と振り返っている。

参考文献

AD Classics: Church of the Light / Tadao Ando Architect & Associates | ArchDaily
https://www.archdaily.com/101260/ad-classics-church-of-the-light-tadao-ando
茨木春日丘教会 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/茨木春日丘教会
Tadao Ando | The Pritzker Architecture Prize
https://www.pritzkerprize.com/laureates/1995
Tadao Ando creates full-scale mock up of Church of the Light for Tokyo exhibition | Dezeen
https://www.dezeen.com/2017/10/31/tadao-ando-full-scale-mock-up-church-of-the-light-exhibition-tokyo-national-art-center/
The Church of the Light: A Cross of Light Floating in the Dark | Google Arts & Culture
https://artsandculture.google.com/story/the-church-of-the-light-a-cross-of-light-floating-in-the-dark-tadao-ando-architect-associates/2QVRGQpQrOQ8sQ
Shaping the light. Church of Light by Tadao Ando | METALOCUS
https://www.metalocus.es/en/news/shaping-light-church-light-tadao-ando
Church of the Light – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Church_of_the_Light

基本データ

建築物名
茨木春日丘教会 礼拝堂(通称:光の教会)
設計
安藤忠雄(安藤忠雄建築研究所)
所在地
大阪府茨木市北春日丘
用途
プロテスタント教会礼拝堂(日本キリスト教団 茨木春日丘教会)
設計期間
1987年5月 – 1988年4月
施工期間
1988年5月 – 1989年4月
竣工
1989年
構造
鉄筋コンクリート造(ラーメン構造)、地上1階
建築面積
113.04 m²
最高高さ
7,240 mm
天井高
5,900 – 7,000 mm
構造設計
アスコラル・エンジニアリング・アソシエイツ
施工
辰巳建設
建設費
約25万ドル(信徒の寄付による)
増築
1999年(教会ホール/日曜学校、安藤忠雄設計)
主な受賞
1996年 国際教会建築賞

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