『2001年宇宙の旅』のスターゲート|キューブリックが仕掛けた「デザインの暴力」

『2001年宇宙の旅』のスターゲート|キューブリックが仕掛けた「デザインの暴力」

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1968年4月3日、ニューヨーク。MGMが満を持して公開したスタンリー・キューブリックの新作を観るために集まった観客のうち、およそ250人が上映の途中で席を立ちました。同じ週のロサンゼルス試写会では、人気俳優のロック・ハドソンが暗闇のなか出口へ向かいながら、こう吐き捨てたと伝えられています。「What is this bullshit?」(これは何のたわごとだ)。映画は『2001年宇宙の旅』。139分の上映時間のうち最後の23分にはセリフがひとつもなく、終盤のおよそ10分は、誰も見たことのない光の渦が画面いっぱいに突進してくるだけの抽象映像でした。

この10分間が、のちに「スターゲート・シーケンス」と呼ばれることになります。木星付近で黒い石板――モノリスに導かれた宇宙飛行士デヴィッド・ボーマンが、別次元へ突入する場面。ただ、観客を捉えたのは光の渦そのものではありません。渦を画面のどこに置き、視線をどこへ逃がさないか。決めていたのは、光をひとすじの隙間から通す装置と、消失点に人を立たせずにいられない監督の癖でした。左右対称という、美しいはずの形式が、ここでは観客の眼を押さえつける道具に変わります。

23歳の男が抱えた、解けない宿題

「ストーリーは、別次元への移行を表す何かを必要としていた」。ダグラス・トランブルは2011年のABCのインタビューでそう振り返っています。「現実世界でカメラを向けられるものではない、完全に抽象的な何かだ」。トランブルは1965年の夏、23歳のときに大西洋を渡り、ロンドン郊外のボアハムウッド・スタジオに合流しました。LAのグラフィック・フィルムズという小さな映像会社で、NASAやアメリカ空軍向けの教育映画にイラストを描いていた青年です。父親のドナルド・トランブルは『オズの魔法使』(1939)の特殊効果スタッフで、空飛ぶ猿のリギングを担当していた人物。視覚効果は家業に近いものでした。

キューブリックがスタジオの暗室で抱えていた宿題は厄介でした。脚本上、ボーマンはモノリスの先で「無限の彼方へ」連れて行かれることになっています。アーサー・C・クラークの原作には抽象的な記述があるばかりで、映像化の手がかりはありません。撮影監督ジェフリー・アンスワースのカメラをどこに向ければ、それが「次元の向こう側」に見えるのか。

初期段階のテストはニューヨークの廃ブラジャー工場で行われました。Michael Bensonの書籍『Space Odyssey: Stanley Kubrick, Arthur C. Clarke, and the Making of a Masterpiece』によれば、キューブリックの妻クリスチャーヌはそれを「絶対的に気持ち悪い」と表現したそうです。黒インクと、第二次世界大戦時代の塗料シンナー、酢酸イソアミル――バナナの匂いがすることで知られる溶剤――を満たしたタンク。そこに高輝度の照明をあて、カメラを逆回しの高速で回す。化学反応で生まれる渦巻きと色の境界線を、長時間露光で撮影する。
このやり方では、たしかに「液体宇宙」のような映像は撮れました。ただ、観客を「中に引きずり込む」感覚にはまだ届きません。

部屋いっぱいの機械、フレームあたり1分の露光

トランブルがたどり着いた解決策は、19世紀末から存在していた古い写真技術の応用でした。スリットスキャン――フィルム面と被写体のあいだに細いスリットを切ったマスクを置き、それを動かしながら露光する方法です。競馬の写真判定や、初期のパノラマ写真に使われていました。スリットの動きが時間と空間を一枚のフィルム上で混ぜ合わせます。ローリングシャッターの故意版、と言ってもいいかもしれません。

ヴェルティゴ(1958)のオープニングタイトルを設計した抽象アニメーターのジョン・ホイットニーは、第二次大戦の対空砲座を改造したアナログ・コンピュータで、リサジュー曲線を描く装置を作っていました。トランブルはホイットニーが進めていたスリットスキャンの実験フィルムをグラフィック・フィルムズ時代に見ています。技術の起源そのものは、トランブル自身が後にホイットニーへ帰属させています。

トランブルが新しかったのは、スリットを「カメラの外側に出した」点でした。「サルバドール・ダリがストロボや微速度撮影でやっていたような実験を研究していた」とトランブルは語っています。「だから、スリットをカメラの外に出して、二次元ではなく三次元の空間で動かしてみよう、という発想が自然に出てきた。それですべてが完璧に動いた」。

でき上がった撮影装置は、ひとつの部屋を丸ごと占有する規模になりました。30フィート四方、およそ9メートル四方。35mmミッチェルカメラを1台のトラックに載せ、被写体までの距離15フィートから1.5インチまで、F/1.8で被写界深度を保ったまま二平面を同時に露光します。トランブル自身が技術メモに書き残しているとおり、露光時間はフレームあたり約1分。秒間24コマの映画を1秒分撮るのに、24分。10分のシーンを撮るためには2万4千枚近いフレームを、ひとコマずつ、機械を一定速度でゆっくり動かしながら撮らなければなりません。

スリットの背後に置かれたのは、模様を描いた大きなアートワークと、彩色されたガラスや透明素材。スリットの形を変えれば、トンネルの断面も変わります。垂直の一本線なら「壁」、円なら「筒状のトンネル」。ボーマンが突入していくあの稲妻のような収束線は、機械がスリットを引きずって露光した「時間の痕跡」です。

スターゲート・シーケンスの全長はおよそ10分。スリットスキャンによる収束線が中盤を占めますが、シーケンス後半でボーマンが目撃する「異星の風景」は、ヘブリディーズ諸島やスコットランド高地、モニュメント・バレーなどを上空から撮影した航空映像に、強い色フィルターをかけて加工したものです。赤い大地、緑の海、紫の山脈。地球の風景でありながら、色彩によって完全に異物へと変換されています。

『Chicago – City of Extremes』、17歳の眼

キューブリックがこの異様な抽象映像を10分も持続させると決めたのは、突発的な判断ではありません。彼の視覚的な偏執は、映画監督になる前から始まっていました。

16歳の高校生だったキューブリックは、1945年にLook誌へ最初の写真を売っています。1946年4月、見習い写真家として正式採用。1947年にはスタッフ・フォトグラファーへ昇格しました。Look誌は1971年に廃刊しましたが、議会図書館とニューヨーク市立博物館のアーカイブに、彼の撮影フィルムが数千フレーム分残っています。アサインメントの数は300件を超えました。1949年4月2日号に掲載されたフォトエッセイ『Chicago – City of Extremes』(極端の都市シカゴ)には、彼が後にカメラを向けることになる構図の原型がすでに含まれていました。中央に消失点を持つ長い廊下、左右対称に切り取られた工場の風景、被写体を画面の中心に置いて空間を二分する街路。

フランス人批評家ミシェル・シマンに、後年キューブリックはこう語っています。「私は17歳から21歳までLook誌で働いた。あれは奇跡的な仕事だった」「写真について多くを学んだだけでなく、世界がどう動いているかの素早い教育を受けることができた」。彼は世界を「フレーム」として見る訓練を、映画カメラに触れる前に4年間積んでいました。

この訓練が、後にKubrickスタイルと呼ばれることになる一点透視のシンメトリー構図につながります。『シャイニング』(1980)のオーバールック・ホテルの廊下、双子の少女が消失点に立つ画。『フルメタル・ジャケット』(1987)の射撃訓練場。『時計じかけのオレンジ』(1971)のコロヴァ・ミルクバー。『博士の異常な愛情』(1964)の作戦会議室。どの画面も、視線を中央へ強制する設計になっています。撮影監督ジョン・オルコットや、後にゴードン・ウィリスとの共同作業を経験した者たちは、レンズの選択、カメラの高さ、立ち位置についてのキューブリックの指示の細かさを口を揃えて証言しています。

なぜシンメトリーは不穏なのか

シンメトリーは、本来なら美の代名詞でした。バロックの庭園、ゴシック大聖堂のファサード、日本の寝殿造。建築や工芸の歴史は、左右対称への憧れで満ちています。にもかかわらず、キューブリックが構築する左右対称はなぜ落ち着かないのでしょうか。

動画エッセイの草分けkogonadaが2012年に公開した「Kubrick // One-Point Perspective」というスーパーカットには、観客から両極端のコメントが寄せられました。「シンメトリーを使うべきではないと言う者への最良の反論だ」と褒める声と、「動画における対称構図の最たる悪例だ」と評する声。後者はこう続けています。「これらのショットすべてに何か違和感がある。何が違うのか指で示せないが、何かが間違っている気がする」。

左右対称の画面では、視線の逃げ場がありません。ニューヨーク・フィルム・アカデミーの教授ミゲル・パルガの言い方を借りれば、「キューブリックの一点透視は、観客に世界の見方を強制する」。観客が画面のどこを見ようとしても、構図は視線を中央の消失点へ押し戻します。視覚的にコントロールされていると気づいた瞬間、画面の中で「何か」が起こることを期待しはじめる。何も起こらなければ、その期待自体が恐怖になります。

これは、文字どおりの暴力ではありません。ただ、観客の知覚への介入という意味では、紛れもなく強制力を伴う設計です。映画における「デザインの暴力」――構図によって観客の眼を支配し、心理を操作する技法を、キューブリックほど意識的に振るった監督はめずらしい。HAL 9000の赤い単眼が画面の中央に据えられ、ディスカバリー号の宇宙船内が左右対称に建造され、スターゲートのトンネルが画面中央にゼロ収束点を持つのは、すべて同じ偏執の延長線上にあります。

250人が退場した日、ハドソンが吐き捨てた言葉

1968年の批評は割れました。それも、激しく。

主演のキア・デュリアの証言が残っています。ニューヨークのプレミア上映で、約250人が途中退場した。LAではロック・ハドソンの逸話。キューブリック自身は、ニューヨークの批評家たちを「教条的に無神論的で唯物的で地上に縛られた連中」と切って捨てました。一方で、The Hollywood Reporter誌は1ページ全面の絶賛を載せ、The New Yorkerのペネロピー・ギリアットは「ある種の偉大な映画、忘れがたい試み」「催眠的でぞっとする」と書いています。観客はわかれた。話題作とは別の方向に、賛否ではなく「理解可能/不可能」の軸で割れていきました。

1969年のアカデミー賞で、視覚効果賞は『2001年宇宙の旅』に渡りました。当時のアカデミー規定では、ひとつの作品から提出できる候補者は1名のみ。クレジット上は4人いた特殊効果監督――トランブル、トム・ハワード、コン・ピーダーソン、ウォリー・ヴィーヴァース――は、表彰台に上がれませんでした。代表でオスカー像を受け取ったのは監督のキューブリック。これがキューブリックが生涯で唯一受け取ったオスカーになります。

トランブルは怒りました。2014年のThe Hollywood Reporterのインタビューで彼はこう語っています。「キューブリックは視覚効果を作ったのではない。彼はディレクションしたのだ」「あの賞を受け取ることには、ある種の不適切さがあった」。続けて、本音らしき言葉も漏らしています。「悲しいのは、それが彼が生涯で唯一受け取ったオスカーだったということだ。彼は信じがたいほど才能のある監督で、彼の本当の強みである監督業や脚本に対して、何かしらの賞が贈られるべきだった――特殊効果ではなく」。複雑な感情の混合です。キューブリックとトランブルは、この一件のあと数年にわたって口をききませんでした。アカデミーは後にこの規定を改め、視覚効果賞も複数の候補者を提出できるようになります。トランブル自身は『未知との遭遇』(1977)、『スター・トレック』(1979)、『ブレードランナー』(1982)で3度オスカーにノミネートされ、2012年にはアカデミーから生涯功労としてゴードン・E・ソーヤー賞を授与されました。

トンネルは増殖する

スリットスキャンが切り開いたものは、特殊効果の歴史に深く食い込んでいきます。

BBCの『ドクター・フー』のタイトル・シーケンスは、第3期(1973年12月以降、ジョン・パートウィー期からトム・ベイカー期へ)からスリットスキャンに切り替わりました。デザイナーのバーナード・ロッジは、2001年宇宙の旅のクライマックスに触発されたと公言しています。ポリエチレン樹脂を偏光フィルター越しに撮影した時間トンネル。ドクターの顔をスリットの輪郭に切り抜けば、顔の形をしたトンネルもできあがります。視聴者にとっては、毎週月曜夕方に放送が始まる合図でした。

『スター・トレック: 新スタートレック』(1987-1994)では、Industrial Light and MagicがエンタープライズD号のワープ突入の瞬間にスリットスキャンを使いました。船体が引き伸ばされて消える、あの3秒間のショット。製作費があまりに高かったため、パイロット版で撮影された3カットを7シーズン使い回したと言われています。

映画の側では、後継となる「サイケデリックなワームホール」表現が次々に作られました。『コンタクト』(1997)のジョディ・フォスターが銀河の彼方へ運ばれる場面。『インターステラー』(2014)でクーパーがブラックホール「ガルガンチュア」に突入する場面。『トロン』(1982)以降のサイバー空間の表現。どの映画もスターゲートを正面から引用したわけではありません。それでも、「観客を抽象的な光の渦に放り込んで別次元を体験させる」という発明が他になければ、これらの表現は別の形を取っていたはずです。トランブル自身、テレンス・マリックの『ツリー・オブ・ライフ』(2011)の宇宙創造シーケンスでヴィジュアル・コンサルタントを務めました。43年経っても、彼は同じ問題を解いていたことになります。

物理から計算へ、しかし問いは変わらない

2026年の現在、スリットスキャンはコンピュータの中で再現できます。Nukeなどの3DコンポジットソフトでPythonスクリプトを書き、1フレームごとにスリットを進める仕組みを組めば、トランブルが部屋いっぱいの機械装置でやっていたことが、一台のラップトップで再生されます。MagicBeansVFXのJack Brennanがこの再現を2019年にブログで公開しています。実演動画では、トランブルの装置に最も近い視覚再現は、結局のところ古い物理現象――時間と空間を一枚の画像に圧縮する――を計算で模倣することだった、と明かされています。

キューブリックが1968年に貫いた問いは古くなりません。観客の眼をどう導くか。画面のどこに視線を集中させ、どこから逃がさず、どこで意味を脱臼させるか。スターゲートの10分間は、観客を強制的に画面の中央へ縫いつけ、そこで起こることを「観るしかない」状況に追い込みます。意味の解読を一旦停止させ、純粋な視覚体験へ投げ込む。それはVR以前のVRであり、生成AI以前の生成映像でもありました。

退場した250人の判断は正しかった、とも言えます。映画はそこで一度死にました。代わりに、デヴィッド・ボーマンの眼が見ているものを、観客自身の網膜の上で再生する装置として、映画はもう一度立ち上がります。23歳の青年が部屋いっぱいの機械でフィルム1コマに1分の露光を費やし、写真家上がりの監督が中央への偏執を貫いたとき、観客は最初から、抜け出せなくなっていました。

Q&A

スリットスキャンとCG(コンピュータグラフィックス)はどう違うのですか。
スリットスキャンは光学的・機械的な現象を直接フィルムに焼き付ける物理的な技法です。長時間露光のあいだにカメラやスリット、被写体を動かし、時間の経過そのものを一枚のフィルムに記録します。一方CGはコンピュータ上で計算された画像で、原理的にはどんな映像も後から合成できます。ただし2026年現在でも、スリットスキャンの独特の歪み――時間と空間の物理的な「混合」が生む有機性――を完全に再現するのは難しいとされ、Nuke等のソフトウェアでスクリプトを書いて模倣する例が報告されています。
スターゲート・シーケンスの異星の風景は実在の場所ですか。
ボーマンが目撃するカラフルな地表の映像は、地球の風景を航空撮影し、強い色フィルターをかけて加工したものです。スコットランド高地、ヘブリディーズ諸島、モニュメント・バレー等が候補として挙げられています。地球の地形をそのまま「異星」に見立てる発想は、後の宇宙SFでも頻繁に使われる手法のもとになりました。
キューブリックの一点透視構図は、彼以前に映画で使われていなかったのですか。
使われてはいました。サイレント時代の映画にも消失点を意識した構図はあります。ただし、ほぼ全作品で執拗に反復し、特定の「監督の署名」と認識されるレベルで使い続けた監督はキューブリック以前にはほとんどいません。彼の場合、Look誌時代の写真エッセイ『Chicago – City of Extremes』(1949)からすでにその偏執が確認できます。後にウェス・アンダーソンがこの構図を別の文脈で発展させていますが、その源流のひとつはキューブリックだと言われています。
ダグラス・トランブルはなぜ『2001年宇宙の旅』のオスカーを受け取れなかったのですか。
1969年当時のアカデミーの規則で、特殊効果賞は一作品から1名のみ候補者を提出できる仕組みでした。クレジット上は4人いた特殊効果監督のうち、代表として監督のキューブリックの名前が提出されたため、トランブルら現場のスタッフは表彰の対象外になりました。トランブルはこれを「ある種の不適切さがあった」と後年語っています。アカデミーはこの問題を踏まえ、後に複数候補の提出を認める形に規定を変更しました。
『2001年宇宙の旅』は公開当時、興行的にはどうだったのですか。
賛否は割れましたが、結果的には大ヒットになりました。製作費約1,050万ドルに対し、北米だけで初公開時に約1,500万ドルのレンタル収入。再公開を含めると北米累計約5,690万ドル、全世界では1億9,000万ドル以上を記録しています。批評家の評価は分裂していたものの、若い観客層を中心に支持を得て、徐々に「カルト的傑作」から「20世紀映画の代表作」へと評価が定着しました。

参考文献

Douglas Trumbull, visual effects visionary behind 2001 and Blade Runner, 1942 to 2022 (BFI)
https://www.bfi.org.uk/news/douglas-trumbull-1942-2022
Douglas Trumbull and how slit-scan changed SFX (RedShark News)
https://www.redsharknews.com/douglas-trumbull-and-how-slit-scan-changed-sfx
Slit-scan photography (Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Slit-scan_photography
The Special Effects of 2001: A Space Odyssey (The 2001 Archive)
https://2001archive.org/resources/the-special-effects-of-2001-a-space-odyssey/
2001: A Space Odyssey | Douglas Trumbull’s contribution to a sci-fi classic (Film Stories)
https://filmstories.co.uk/features/2001-a-space-odyssey-douglas-trumbulls-contribution-to-a-sci-fi-classic/
How They Shot the Stargate Sequence in ‘2001: A Space Odyssey’ (Fellinis)
https://fellinis.com.au/2021/03/23/how-they-shot-the-stargate-sequence-in-2001-a-space-odyssey/
Stanley Kubrick’s Photographs for LOOK Magazine, 1946-1950 (Library of Congress Research Guides)
https://guides.loc.gov/kubrick-photographs-look-magazine
Doctor Who: 50 Years of Main Title Design (Art of the Title)
https://www.artofthetitle.com/feature/doctor-who-50-years-of-main-title-design/

基本データ

作品名
2001年宇宙の旅 (2001: A Space Odyssey)
監督・製作
スタンリー・キューブリック (Stanley Kubrick, 1928-1999)
脚本
スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク
主演
キア・デュリア(デヴィッド・ボーマン役)、ゲイリー・ロックウッド
撮影監督
ジェフリー・アンスワース
特殊効果監督
スタンリー・キューブリック、ダグラス・トランブル、トム・ハワード、コン・ピーダーソン、ウォリー・ヴィーヴァース
公開日
1968年4月2日(米プレミア、ワシントンDC)、4月3日(米一般)、5月1日(英国)
製作費
約1,050万ドル
上映時間
161分(プレミア版)→139分(一般公開版)
スターゲート・シーケンスの長さ
約10分(無セリフの最終盤は約23分)
使用技法
スリットスキャン(露光時間 約1分/フレーム、F/1.8、35mmミッチェルカメラ)、化学撮影、フィルター加工した航空映像
受賞
1969年アカデミー賞 特殊視覚効果賞(キューブリック単独受賞)
ダグラス・トランブル
1942年4月8日ロサンゼルス生まれ-2022年2月7日没。23歳で2001製作に参加。後の代表作:『未知との遭遇』『ブレードランナー』『スター・トレック』など。2012年アカデミー・ゴードン・E・ソーヤー賞

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