
乾いた草の上のシャッター音
1993年3月、南スーダン、アヨド(Ayod)集落の外れ。乾季の終わりの草原に、軽量プロペラ機が一機、土埃を巻き上げて着陸しました。降りてきた32歳の南アフリカ人写真家ケビン・カーターは、すぐにカメラを構えはじめます。村ではすでに、痩せ細った身体の人々が国連の食糧援助の到着を待っていました。
群衆を一通り撮り終えたカーターは、人だかりを離れて灌木のなかへ歩いていきます。やがて、地面にひとりしゃがみこんでいる幼い子供が目に入りました。骨と皮だけになった背中、半開きの口。子供は、半マイル先の給食センターに向かう途上で力尽きていました。
彼がしゃがんで構図を整えていると、視界に黒い影がよぎります。背後にハゲワシ(hooded vulture)が舞い降りました。
息をのみ、ゆっくりと位置を変えます。ハゲワシが翼を広げる瞬間を狙って、20分ほど待ったと本人は語っています。鳥は翼を開きませんでした。やがてカーターはシャッターを切り、ハゲワシを追い払い、その場を離れます。
数週間後、その写真は『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されました。1994年4月、ピューリッツァー賞・特集写真部門を受賞。同年7月27日、カーターは自ら命を絶ちました。33歳でした。
この一枚が世界に届けたのは、南スーダンの飢餓の現実でした。けれども写真は、自分が何を映していないかについては、ひとことも語りません。半マイル先にあった給食センター。20メートル先にいた村人たち。そしてレンズのこちら側に立っていた男の事情。写真をめぐって30年続くことになる論争は、写っていたものではなく、写らなかったもののほうをめぐる争いでした。そして写らなかったものの正体がわかるまでに、18年かかります。
「Hunger Triangle」とBang-Bang Club
1993年当時のスーダンは、第二次内戦のさなかにありました。南部のコンゴル、アヨド、ワートの三集落を結ぶ地域は、援助関係者のあいだで「ハンガー・トライアングル」と呼ばれていました。1993年1月時点で5歳未満の子供の40%が栄養失調状態にあり、アヨドだけで成人だけでも1日10〜13人が餓死していたとされます。
ジャーナリストの立ち入りはほとんど許されていません。そこへ国連のOperation Lifeline Sudanが、状況を世界に伝えるべく報道陣を招き入れます。
カーターはこの機を捉え、同僚の写真家ジョアン・シルヴァ(João Silva)と共にスーダンへ飛びました。ふたりは「バン・バン・クラブ(Bang-Bang Club)」と呼ばれる、南アフリカのアパルトヘイト末期の暴力を記録してきた4人組のメンバーです。クラブの名は、彼らが銃声の鳴り響く現場に必ず居合わせたことに由来します。
カーターはこの旅に、所属していたWeekly Mail紙の休暇を取り、航空券代を借金して飛び込みました。アパルトヘイトの内戦を撮りつづけた末の、燃え尽きるような追加任務でもありました。

シャッター音のあとの20分
問題の写真をめぐっては、複数の証言が残っています。
カーター自身は後年、「ハゲワシが翼を広げる瞬間を待って20分粘ったが、結局広げなかった」と語りました。撮影後はハゲワシを追い払い、子供は給食センターへ向かう体力を取り戻したと証言しています。
ところがシルヴァが日本人ジャーナリスト藤原章生のインタビュー(著書『絵はがきにされた少年』所収)で語ったところでは、別の景色が浮かび上がります。撮影地は給食センターのすぐ近くで、子供の両親はそのとき、国連機から投下されていた食糧を受け取りに行っていた。子供はその短いあいだ、地面に座り込んで休んでいた——そしてハゲワシたちはふだんから給食所周辺の屑を漁って群がっていた。シルヴァはそう語っています。
写真は事実の一断面を切り取りました。けれども、フレームの外にあった「すぐそばに親がいて、まもなく戻ってくる」という状況までは、当然ながら映りません。
カーター自身も葛藤を抱えたまま現場を離れます。同行のシルヴァは後にTIME誌に語っています。「彼はそのあと、ひどく落ち込んでいた。自分の娘を抱きしめたいと、何度もくり返していた」。
「もう一羽のハゲワシ」
写真は1993年3月26日付の『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されました。キャプションはこう書かれています。「飢えで衰弱した少女が、アヨドの給食センターへ向かう途中で倒れた。すぐ近くに、ハゲワシが待ち構えていた」。
掲載直後から、編集部には少女の安否を問う読者の手紙が殺到します。タイムズ紙は数日後、編集者注として「写真家の報告によれば、ハゲワシを追い払ったあと少女は再び歩き出すだけの体力を回復した。給食所まで到達したかどうかは不明である」と異例の補足を載せました。
やがて読者の関心は、少女の安否から、撮影者本人の倫理へと移っていきます。
フロリダ州の『セント・ピーターズバーグ・タイムズ』はこう書いています。「少女の苦しみを最良のフレームに収めようとレンズを調整していた男は、それ自体が捕食者、もう一羽のハゲワシと言ってもよい」。
カーターの自宅には「あなたこそが本物のハゲワシだ」「人間性が皆無」「許しがたい」と非難する手紙が届きつづけました。報道写真の「撮る」という行為そのものが、ここまで生々しく俎上に載った瞬間でした。
カーターは弁明しています。「あの地域では炭疽病が流行していた。外国人記者は現地の人に触れないよう指示されていた」。けれども、その釈明はほとんど受け入れられませんでした。

4月、ピューリッツァー、そして親友の死
1994年4月、ピューリッツァー賞・特集写真部門の受賞が公表されます。そのわずか6日後の4月18日、バン・バン・クラブの中核メンバーであったケン・ウースターブルック(Ken Oosterbroek)が、ヨハネスブルグ近郊のトコザでの取材中に銃撃を受け死亡しました。隣で撮影していたグレッグ・マリノヴィッチも重傷を負います。
カーターは直後、知人にこう漏らしています。「あの場所には自分もいるはずだった」。受賞の喜びと、最も近い同業者の死と、世界中からの非難が、数週間のうちに重ねて押し寄せました。
5月、カーターはニューヨークへ飛んでピューリッツァーを受け取ります。表向きはまだ笑顔がありました。
1994年7月27日、ヨハネスブルグ郊外
1994年7月27日。カーターは子供のころに遊んだヨハネスブルグ近郊パークモアの「フィールド・アンド・スタディ・センター」付近に、ピックアップトラックを止めます。ガーデンホースの一方を排気管に、もう一方を運転席の窓に通し、車内に一酸化炭素を満たしました。死因は一酸化炭素中毒。33歳。
遺書の一節はこう書かれています。
「本当に、本当にごめんなさい。生きる苦しみが、喜びを上回ってしまった。喜びというものが、もはや存在しない……鬱状態……電話もなく……家賃のための金もなく……養育費の金もなく……借金のための金もなく……金!!! ……虐殺と死体と怒りと痛みの記憶が、私を離れない。飢えた、あるいは傷ついた子供たちの、引き金を引きたがる狂人たち、しばしば警察、処刑人たちの……運が良ければ、ケンのもとへ向かう」。
末尾に名前の挙がる「ケン」は、3ヶ月前にトコザで死んだウースターブルックのことです。
カーターには6歳の娘が遺されました。
18年後、「少女」は少年だった
撮影から18年後の2011年、スペイン紙『エル・ムンド』の取材班がアヨドを訪ね、写真の子供の身元を突き止めます。
「少女」だと信じられてきた子供は、男児でした。名前はコング・ニョン(Kong Nyong)。あの日、彼は国連の給食センターにたどり着き、援助を受けて飢饉を生き延びていました。父親の証言によれば、ニョンはその後成長し、2007年ごろに「熱」を伴う病で命を落としていました。
カーターは、自分の撮った子供がその後どうなったかを、知らないままこの世を去りました。

「撮る」という行為の倫理
ケビン・カーターの一枚は、20世紀の報道写真が抱えていた古い問いを、冷酷なかたちで露わにしました。目の前の苦しみを「記録する」ことと「介入する」ことは、両立しうるのか。
国連や援助組織はそのころ、報道カメラマンに対して「現地の人々に直接触れない」「介入せずに記録する」よう求めることが多かったといいます。感染症のリスクと、活動の独立性を保つためでした。カーターはその規範のなかで動いていました。けれども、それを知らない読者にとって、写真家とは「子供のすぐそばにいて、何もしなかった人間」でした。
写真は事実の選択です。フレームの外で何が起きていたかは、見る側には届きません。コング・ニョンの両親が物資を受け取りに離れていたこと、給食センターまで半マイル、ハゲワシたちが日常的に給食所のごみに群がっていたこと——どれも写真の外にあります。それでも写真は強く、断定的に、見る者に「これがすべて」と思わせる力を持ちます。
カーターの死から30年あまりが経ち、戦場カメラマンや人道危機の取材者が抱えるPTSDは、職業上の課題として認知されはじめました。コロンビア大学のダート・センター(Dart Center for Journalism and Trauma)のような組織が、報道従事者のメンタルヘルスを支援する仕組みも整いつつあります。1996年に英ロックバンド、マニック・ストリート・プリーチャーズが「Kevin Carter」という楽曲を発表し、彼の名は1枚の写真とともに、報道倫理を語るときの代名詞のひとつになりました。
ハゲワシは、コング少年の隣にではなく、人と人の距離のあいだに降りていました。半マイル先に給食センターがあり、20メートル先に村人たちがいて、レンズのこちら側にひとりの男がいました。写真はそのすべてを映すことができません。
報道写真を一枚見るとき、フレームの外側にあったものを、一拍だけ想像してみる。彼の写真は30年経ったいまも、そう問いかけ続けています。
Q&A
- 写真に写った「少女」は本当に亡くなったのですか?
- 撮影直後については、カーターの証言ではハゲワシを追い払ったあと自力で歩き出したとされていました。その後18年が経った2011年、スペイン紙『エル・ムンド』の取材によって、写真の子供は「少女」ではなく男児のコング・ニョン(Kong Nyong)であり、当日国連の給食センターにたどり着き、飢饉を生き延びていたと判明しています。ただしニョン本人は2007年ごろ、熱を伴う病で亡くなっています。
- なぜカーターは子供を抱きかかえて助けなかったのですか?
- 当時の援助団体や報道機関は、感染症リスクと活動の独立性のため、報道関係者が現地の人に直接触れることを禁じていました。カーター自身も「あの地域では炭疽病が流行しており、外国人記者は現地の人に触れないよう指示されていた」と弁明しています。また撮影現場は給食センターからわずか半マイルで、近くには両親もいたとされています。とはいえ、その背景は写真からは読み取れず、世論が「人間性の問題」として彼を責めた構図は変わりませんでした。
- 「20分間ハゲワシを撮りつづけた」というのは事実ですか?
- 本人がそう語ったため広まった話ですが、後年に同行者のジョアン・シルヴァが日本人ジャーナリスト藤原章生のインタビューで語ったところでは、撮影地は給食所のすぐそばで、ハゲワシは日常的に給食所のごみに集まっていたといいます。「20分」という数字も含め、現場の状況はカーター本人の説明よりも穏当だった可能性が指摘されています。
- ピューリッツァー賞は取り消されなかったのですか?
- 取り消されていません。1994年に正式に授与され、現在もカーターの受賞作として記録されています。賞そのものへの公式な疑義は提起されていません。
- カーターの自死は写真への批判が原因なのですか?
- 単一の原因に還元するのは難しいとされています。遺書には、写真への批判だけでなく、貧困・債務・養育費・親友ケン・ウースターブルックの死(受賞6日後の1994年4月18日)・長年の取材現場で見続けた暴力の記憶など、複数の要因が併記されています。彼の死は、戦場カメラマンが抱えるPTSDという、当時はまだ十分に認知されていなかった問題を浮かび上がらせるきっかけにもなりました。
基本データ
- 写真タイトル
- The Vulture and the Little Girl(別題: The Struggling Girl)
- 撮影者
- ケビン・カーター(Kevin Carter)
- 撮影者生没年
- 1960年9月13日 – 1994年7月27日(33歳没)
- 撮影者国籍
- 南アフリカ共和国
- 撮影日
- 1993年3月
- 撮影地
- スーダン共和国アヨド(Ayod)/現・南スーダン
- 初出
- ニューヨーク・タイムズ 1993年3月26日
- 受賞
- ピューリッツァー賞 特集写真部門 1994年
- 被写体
- コング・ニョン(Kong Nyong, 男児/2011年に身元判明)
- 被写体没年
- 2007年ごろ
- 撮影者所属
- Bang-Bang Club(ケン・ウースターブルック、グレッグ・マリノヴィッチ、ジョアン・シルヴァらと結成した南アフリカの報道写真家集団)
参考文献
- The Vulture and the Little Girl – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/The_Vulture_and_the_Little_Girl
- Kevin Carter – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Kevin_Carter
- ‘The Vulture and the Little Girl’ Is One of the Most Shocking Photos Ever Taken – PetaPixel
- https://petapixel.com/2025/09/12/the-vulture-and-the-little-girl-one-of-the-most-shocking-photos-ever-taken/
- How ‘The Vulture And The Little Girl’ Captured The Utter Devastation Of The 1993 Sudan Famine – All That’s Interesting
- https://allthatsinteresting.com/the-vulture-and-the-little-girl
- Starving Child and Vulture – Snopes
- https://www.snopes.com/fact-check/kevin-carter-photograph/
- South African photojournalist Kevin Carter commits suicide – South African History Online
- https://sahistory.org.za/dated-event/south-african-photojournalist-and-member-bang-bang-club-kevin-carter-commits-suicide
- ‘The Vulture and the Little Girl’: An Iconic Image Turns 25 – Amy Wilkinson
- https://www.carsonphotos.com/uhpj/25years_Vulture_and_Sudanese_Child.html
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