1992年春、ロンドン北部セント・ジョンズ・ウッド。サーチ・ギャラリーの白い壁に囲まれた空間に、長さ5メートル超のガラス水槽が据え置かれていた。中で薄緑色のホルムアルデヒド溶液に浮かんでいたのは、本物のタイガーシャーク。約4.3メートル、オーストラリア・クイーンズランド州沖で釣り上げられた一匹。
タイトルは『生きている者の心における死の物理的不可能性』。タブロイド紙『ザ・サン』は翌日の見出しでこう書いた——「魚に5万ポンド。フライドポテトはなし」。
水槽の前で人々は立ち止まった。にこやかではない。怒っているか、笑っているか、困惑しているか。仕掛けたのはダミアン・ハーストという26歳の青年で、ゴールドスミス・カレッジを出たばかりだった。
だが、この水槽の新しさは、サメそのものにはなかった。サメが新聞の一面を飾り、その見出しが値段を吊り上げ、値段がまた次の話題を呼ぶ——その循環をひとつの作品として設計したことにあった。彼とその仲間たちは、人が目を背ける素材を冷静に選び、フレーミングと見出しと市場への出し方まで計算して、不快さを金額へ翻訳する装置を組み上げていく。サメは、その装置に最初に通された一匹だった。

ドック地区の廃ビルから始まったこと
80年代のロンドンのアートシーンは、不思議なほど静かだった。ニューヨークやベルリンが燃えていた頃、ロンドンの現代アートは後ろを歩いていた。コマーシャル・ギャラリーは少なく、若い作家の発表の場は限られていた。
その風景を変えるのに最初に必要だったのは、誰も使っていない廃ビルだった。1988年7月、テムズ川沿いのサリー・ドックス。ロンドン港湾局の旧消防署を、当時ゴールドスミス・カレッジの二年生だったダミアン・ハーストが借り受ける。仲間と内装を白く塗り、印刷費はオリンピア・アンド・ヨークという不動産デベロッパーから引き出した。展覧会名は『Freeze(フリーズ)』。
出展者はハーストを含めて16名。サラ・ルーカス、マット・コリショー、アンガス・フェアハースト、アンヤ・ガラッチョ、マイケル・ランディ、ゲイリー・ヒューム。ほぼ全員がゴールドスミスの在校生か卒業生。担当教授のマイケル・クレイグ=マーティンが、自身のコネクションを使ってロイヤル・アカデミーのノーマン・ローゼンタール、テート・ギャラリーのニコラス・セロタといった大物キュレーターを会場まで連れてきた。
そして、サーチが来た。
広告王、サメに6,000ポンドを払う
チャールズ・サーチは、1970年に弟モーリスとサーチ・アンド・サーチを共同創業し、世界最大級の広告代理店へ育てた人物だ。サッチャー保守党に勝利をもたらした「Labour Isn’t Working」キャンペーンの送り手として知られ、商業的に勝つことを職業にしていた男である。80年代後半から現代アート蒐集に本腰を入れ、特にゴールドスミス出身の若手作品を集中的に買い始めた。
1991年、サーチはハーストに白紙の小切手を渡した。やりたいことに、いくらでも払うと。
ハーストは、サメが欲しいと言った。「人を食えるくらい大きいやつ」。
クイーンズランド州ハーヴェイ・ベイ。ヴィック・ヒスロップという地元の漁師に依頼が出され、約4.3メートルのタイガーシャークが釣り上げられた。サメ自体の値段は6,000ポンド。輸送費、巨大なガラス水槽、ステンレスの枠、5パーセントのホルムアルデヒド溶液——制作費の総額は5万ポンドにのぼった。死を保存する装置のための代金である。
作品は1992年3月、サーチ・ギャラリーで開幕した『Young British Artists I』に出展された。「YBA」という呼称が定着するのは、この展覧会名がきっかけになる。
ところが最初のサメは保存処理が不十分で、皮膚にしわが寄り、溶液は徐々に濁った。サーチ・ギャラリー側が漂白剤を加え、状況を悪化させてしまう。1993年、皮を剥がしてグラスファイバーの型にかぶせる延命処置がなされたが、ハーストは後年こう振り返っている——「あの最初のサメは、思っていたほど怖くなかった。重さがないように見えた。本物に見えなかったんだ」(『ニューヨーク・タイムズ』、キャロル・ヴォーゲルによる2006年のインタビュー)。
2004年、ヘッジファンド経営者スティーヴ・コーエンが約800万ドル(一説には1,200万ドル)でこの作品を購入した際、ハーストは新しいサメに丸ごと取り替えた。同じクイーンズランドから20フィートの冷凍コンテナで送られてきた、別個体のメスのタイガーシャーク。「作品」とは何か、という問いがここで鋭くなる。サメが交換可能なら、それは絵画でも彫刻でもなく、コンセプトの容れ物に近い。
ヴェニスの母と子、ターナー賞という戴冠
1993年、ハーストはヴェニス・ビエンナーレの「Aperto」セクションに新作を持ち込んだ。『母と子(引き裂かれて)』。4つのガラス水槽。中には縦に二分割された雌牛と仔牛が、それぞれ別の水槽でホルムアルデヒドに沈んでいる。鑑賞者は水槽と水槽の隙間を歩き、動物の内臓と骨格を間近に観察できる。
タイトルが先に効く。母と子。引き裂かれて。ピエタの再演——ただし、生肉で。
この作品が1995年、ハーストにターナー賞をもたらした。二度目のノミネートで30歳。広告で売れる挑発が、英国の最も権威ある現代美術賞を獲得した瞬間だった。ハーストは賞金2万ポンドを受け取り、テレビ生中継で「アートとロックンロールの違いはほとんどない」と発言してさらに物議を醸した。

インクと卵——『センセーション』が呼んだ騒擾
1997年9月18日、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで『Sensation(センセーション)』展が開幕した。サーチが所有する現代アート作品から、ノーマン・ローゼンタールの監修で42人の作家による110点超を選んだ展覧会。会期中の入場者数は3ヶ月余りで30万人を超えた。
ロンドンで火がついたのは、マーカス・ハーヴェイの絵だった。『マイラ』——1960年代に英国マンチェスター近郊で5人の子どもを殺害した連続殺人犯マイラ・ハインドリーの新聞写真を、子どもの手形を版に使ってモザイク状に描いた巨大な肖像画。会場入口には抗議の人々が並び、作品には赤と青のインクが投げつけられ、卵が飛び、ガラスが割られた。クレイギー・エイチソン、ジリアン・エアーズ、マイケル・サンドル、ジョン・ウォードの4人の王立芸術院会員が抗議して退会した。それでも展覧会は閉鎖されず、批判が宣伝になるという旧来の経済学が、再び美術の文脈で証明された。
1999年10月、『Sensation』はニューヨーク、ブルックリン美術館へ巡回した。今度は標的が変わる。クリス・オフィリの『聖母マリア』——象の糞と、雑誌から切り抜いた女性器の写真をコラージュした黒人聖母像。カトリック教徒だったルディ・ジュリアーニ市長は作品の現物を見ないまま「sick stuff」と発言し、市の年間予算約700万ドルの補助金を打ち切ると脅した。美術館側は法廷闘争に持ち込み、連邦地裁は美術館側の主張を認めた。結果、入場者は急増し、展覧会は最後まで開催された。
スキャンダルが宣伝になる。批判が値段に変わる。サーチが広告業で学んだ循環が、展示室で同じように作動した。
8,601個のダイヤと、売れなかった売買
2007年6月、ロンドンのホワイト・キューブ・ギャラリー。ハーストは新作を発表した。『神の愛のために』。ある男性の頭蓋骨を元型として、プラチナで鋳造したレプリカ表面に8,601個のダイヤモンドを敷き詰めた立体作品。総カラットは1,106.18。額の中央には52.4カラットのピンクダイヤモンド。歯だけは元の本物が残されている。
タイトルはハーストの母親の言葉から来ている——「神の愛のために、次は一体なにをやらかすつもりなの?」。
ボンド・ストリートの宝石商ベントレー&スキナーが世界中の市場から少しずつダイヤモンドを買い集めた。発表時点で制作費は約1,500万ポンドと公表された(当初発表の800万ポンドから上方修正)。2007年8月、ホワイト・キューブは「匿名の投資家グループに5,000万ポンド(約1億ドル)で売却した」と発表した。現存作家による単独作品として、当時史上最高額。
15年後の2022年、『ニューヨーク・タイムズ』のインタビューでハースト本人が明かした——あの売却は実際には起きていなかった、と。頭蓋骨は今もロンドンのジュエリー街ハットン・ガーデンの倉庫で、ハーストとホワイト・キューブと匿名の投資家たちで分割保有されている。
世界で最も高額と謳われた現代美術作品が、実際には価格と物語だけで完結していたわけである。物理的に存在することと、市場で値段が付くことは、別の現象だった。

リーマンが倒れた朝、サザビーズの槌
2008年9月15日、ロンドン。サザビーズで『Beautiful Inside My Head Forever』というハースト個人作品オークションが開幕した。彼はホワイト・キューブもガゴシアン・ギャラリーも通さず、サザビーズに直接、新作218点を委託した。アーティストがオークション・ハウスへ直販するという前例のない方式。
同じ日、ニューヨークではリーマン・ブラザーズが連邦破産法第11章を申請していた。ダウ平均は500ポイント以上下落。後に世界金融危機と呼ばれることになる出来事の幕開け。
サザビーズ会場には656人のチケット制クライアントが集まり、2日間で約1億1,100万ポンド(約2億ドル)を売り上げた。単独作家オークションとして史上最高額。最高落札は『黄金の仔牛』——ホルマリン漬けの仔牛に黄金の角と蹄をつけた作品で、約1,030万ポンド。
外で世界が崩れる音を聞きながら、内臓に金箔と宝石を貼った動物たちが値段を付けられていた。象徴的すぎる構図ゆえに、後に複数の経済記者がこの日を「コンテンポラリー・アートのバブルの頂点」と書くことになる。事実、ハースト作品の二次市場価格は、2008年以降10年以上にわたって下落基調が続いた。
不快さが値段に変わる装置のはなし
ハーストの装置は何だったのか。
サメの水槽は、自然史博物館の展示ケースを引用している。マルセル・デュシャンのレディメイド、ドナルド・ジャッドのミニマリズム彫刻、フランシス・ベーコンの檻に閉じ込められた教皇の絵。引用は何重にも重なり、観客がそれを読み解こうとした瞬間、作品はすでに機能している。
そこにサーチが学んだ広告の論理が乗る。商品は機能で売れるのではなく、物語と画面で売れる。ハーストの作品は写真映りが極端に良い。タブロイドの一面に載った瞬間、現物を見ていない数百万人の頭の中に「サメの男」というブランドが刻まれる。
YBAは結束した運動ではなかった。技法も思想もバラバラの若者たちが、同じ時代と同じパトロンを共有しただけだ。それでも全体として、彼らは「不快さの値段付け」という装置を設計し終えた。臓物、性、子どもの手形、糞、自分の血、汚れた寝室、煙草の吸い殻。家庭的に拒否される素材を、白いギャラリーの正方形のなかに正確に置き直す。素材の選び方、フレーミング、タイトル、媒体への配信タイミング、市場への投入経路——どれもが緻密に設計されていた。広告マンが連れてきた若者たちは、広告の方法でアートを売ったのではない。アートを広告の方法で考えた。差は小さく見えるが、結果は決定的だった。
パトロンとの決別、そして後の波紋
2003年、サーチとハーストは決別する。直接の引き金は、サーチが新しいギャラリー空間(カウンティ・ホール)にハーストのスポット・ペインティング風に塗装されたミニ・クーパーを「作品として」並べたことだった。ハーストは展示から自作を引き上げ、サーチの手元にあった自作12点を約780万ポンドで買い戻した。彼は英国メディアにこう語った——「俺はサーチの手回しオルガンの猿じゃない。あの人は財布でしかアートを認識できない」。
その後ハーストは、サーチの方法を本人より徹底して使い続けた。スポット・ペインティング、スピン・ペインティング、ピル・キャビネット、バタフライ。工房には最大で120名以上のアシスタントを雇い、英国内6拠点で生産した。アートを工業化したと批判されたが、その批判さえブランド構築の燃料になった。
YBAの直系の影響は、アート世界の内部にとどまらない。ジェフ・クーンズの巨大バルーン彫刻、村上隆のフィギュアとブランドコラボ、KAWSのキャラクター彫刻、バンクシーのストリート→オークション流通。価格・スキャンダル・メディア露出を一体の作品として設計する作家たちは、ハースト以後の景色である。デザインの側にも波及した。フィリップ・スタルクの「不快なほど派手な」家具、ジョン・ガリアーノやアレキサンダー・マックイーンのショック・ファッション・ショー、レム・コールハースの「醜さ」を肯定する建築論。挑発がそのまま編集された商品になるという回路は、YBAたちが高い解像度で見せたあとの方が、明らかに使いやすくなった。
倫理的な評価は、いまだ割れたままである。動物を殺して保存することの是非、子どもの殺害者を画材にすることの是非、聖母像に糞を貼ることの是非。1997年も2007年も、結論は出ていない。決着しないこと自体が装置の一部だった、と言うのは冷たすぎる見方かもしれない。けれど、決着しないからこそ絵は売れ、議論は続き、ハーストは生き残った。
Q&A
- ハーストはなぜサメを選んだのですか?
- 本人は「人を食えるくらい大きいやつ」が欲しかったと語っています。視覚的な恐怖の象徴を、ホルムアルデヒドという死を留める液体に閉じ込めることで、デュシャンのレディメイド(既製品をアートとする)、ジャッドのミニマル彫刻(正方形のガラス箱)、フランシス・ベーコン(檻に閉じ込められた肉体)といった美術史の引用を一気に重ねた装置になっています。
- ターナー賞を取った作品はどれですか?
- 1995年のターナー賞は、1993年のヴェニス・ビエンナーレで発表された『母と子(引き裂かれて)』が中心となって受賞しました。雌牛と仔牛を縦に切断し、計4つのガラス水槽にそれぞれホルムアルデヒドで保存した作品です。後にハースト本人によって展示複製版がテート・ギャラリーへ寄贈されています。
- ダイヤモンドの頭蓋骨『神の愛のために』は本当に1億ドルで売れたのですか?
- 2007年8月にホワイト・キューブが「匿名の投資家グループに5,000万ポンドで売却」と発表しましたが、2022年に『ニューヨーク・タイムズ』のインタビューでハースト本人が「実際の売買は成立していなかった」と明かしました。作品はロンドンのハットン・ガーデンの倉庫で、ハースト、ホワイト・キューブ、匿名の投資家たちで分割保有されています。
- YBAは現在も活動していますか?
- 「YBA」は組織でも宣言を持つ運動でもなく、緩いネットワーク的な総称でした。中心メンバーの多くは現役で活動しており、ハースト、トレイシー・エミン、レイチェル・ホワイトリード、サラ・ルーカス、マーク・クインらは国際的なギャラリーを抱える主流作家になっています。「若い」という形容は外れましたが、市場と批評の中枢に残り続けています。
- サーチとハーストの関係はどう終わったのですか?
- 2003年、サーチが新しいギャラリー空間で、ハーストのスポット・ペインティング風に塗装されたミニ・クーパーを「作品扱い」で展示したことに激怒したハーストが、サーチ手持ちの自作12点を約780万ポンドで買い戻して関係を清算しました。ハーストはメディアに「俺はサーチの手回しオルガンの猿じゃない」と発言し、十数年に及ぶパトロン関係は公然と決裂しました。
参考文献
- The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/The_Physical_Impossibility_of_Death_in_the_Mind_of_Someone_Living
- Damien Hirst – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Damien_Hirst
- Freeze (art exhibition) – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Freeze_(art_exhibition)
- Sensation (art exhibition) – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Sensation_(art_exhibition)
- Beautiful Inside My Head Forever – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Beautiful_Inside_My_Head_Forever
- Turner Prize 1995 artists: Damien Hirst – Tate
- https://www.tate.org.uk/whats-on/tate-britain/turner-prize-1995/turner-prize-1995-artists-damien-hirst
- Young British Artists Movement Overview – The Art Story
- https://www.theartstory.org/movement/young-british-artists/
- Turns Out the Diamond Skull That Damien Hirst and White Cube Said They Sold for $100 Million in 2007 Still Belongs to Them – Artnet News
- https://news.artnet.com/art-world/damien-hirst-skull-storage-2064567
基本データ
- 人物
- ダミアン・スティーヴン・ハースト(Damien Steven Hirst)、1965年6月7日生まれ、英国ブリストル出身。ゴールドスミス・カレッジ卒業(1989年)
- 代表作1
- 『生きている者の心における死の物理的不可能性』(The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living)、1991年、タイガーシャーク/ガラス/スチール/5%ホルムアルデヒド溶液、213×518×213cm
- 代表作2
- 『母と子(引き裂かれて)』(Mother and Child Divided)、1993年、雌牛と仔牛/ガラス/スチール/ホルムアルデヒド、ヴェニス・ビエンナーレで初公開、1995年ターナー賞受賞作品
- 代表作3
- 『神の愛のために』(For the Love of God)、2007年、プラチナ/ダイヤモンド8,601個(総1,106.18カラット)/人骨の歯、ホワイト・キューブで初公開
- 関連ムーブメント
- Young British Artists(YBA、Britart)。1988年の展覧会『Freeze』を起点とする緩い作家グループ。主なメンバーはハースト、サラ・ルーカス、トレイシー・エミン、マーク・クイン、レイチェル・ホワイトリード、クリス・オフィリ、ガビン・ターク、ゲイリー・ヒュームほか
- 主要パトロン
- チャールズ・サーチ(1943-、広告代理店サーチ・アンド・サーチ共同創業者、現代美術コレクター)。1991年から2003年までハーストの主要パトロン
- 主要展覧会
- Freeze(1988、ロンドン)/Young British Artists I(1992、サーチ・ギャラリー)/Aperto, Venice Biennale(1993)/Sensation(1997、ロイヤル・アカデミー、1999年ブルックリン美術館巡回)/Beautiful Inside My Head Forever(2008、サザビーズ)
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