ロシア構成主義(Russian Constructivism)は、1910年代半ばから1930年代初めにかけてロシアとソ連で展開した芸術運動である。芸術作品を個人の表現ではなく、素材と構造を組み立てた構成ととらえ、革命後の社会のための建築、デザイン、印刷物へと向かった。単に構成主義とも呼ばれる。
出発点のひとつは、ウラジーミル・タトリンが1914年ごろから手がけた、金属や木の断片を組み合わせたレリーフである。タトリンは1919年から1920年にかけて、螺旋状の鉄骨が傾いてそびえる第三インターナショナル記念塔の模型を発表し、これが運動の象徴になった。1921年3月にはモスクワで、アレクサンドル・ロトチェンコ、ワルワーラ・ステパーノワ、理論家のアレクセイ・ガンらが構成主義者第一作業グループを結成している。
彼らは絵画を捨て、芸術家は社会のための技術者であるべきだと考えた。ロトチェンコは詩人マヤコフスキーと組んで国営企業の広告をつくり、写真を斜めから撮って見慣れた光景を新しく見せた。ステンベルク兄弟の映画ポスターや、エル・リシツキーの本と展示のデザインも、写真と幾何学的な文字組みを大胆に組み合わせている。教育の拠点になったのは、モスクワの高等芸術技術工房(ヴフテマス)だった。
運動は1930年代に入ると、写実的で分かりやすい表現を求める社会主義リアリズムが公式の方針になったことで、急速に力を失う。それでも、写真と文字を組み合わせる手法や、斜めの構図、限られた色の強い対比は、バウハウスを経て、20世紀のグラフィックデザインと広告の基本的な語彙になった。
斜めの構図とトリミングの発明はロトチェンコのカメラで、赤と白の対比を武器にしたポスターはリシツキー『赤い楔で白を打て』で書いた。ロトチェンコの眼の図像は「眼」のデザイン小史に、広告と前衛が同時に感嘆符を使い始めた話はびっくりマーク「!」小史にある。