2009年、カリフォルニアのとあるホールに、白髪の女性たちが集まっていた。「ロージー・ザ・リベッターの会」――第二次世界大戦中、軍需工場で働いた女性たちの同窓会である。会場の壁には見慣れたポスターが掛けられていた。赤いバンダナの女性が拳を握り、青い作業服から腕を出して力こぶを見せる、あの一枚。隣には戦時中に撮影された一枚のモノクロ写真。ポスターの「モデル」として広く知られていたミシガン州出身のジェラルディン・ホフ・ドイルの名前が、キャプションに記されていた。
そのポスターの前で、87歳のナオミ・パーカー・フレイリーは妹のエイダに小声で告げた。「あれは私よ」。
それは1942年、彼女が20歳でカリフォルニアのアラメダ海軍航空基地で旋盤を回していたときに撮られた写真だった。1942年に切り抜いた新聞を、彼女はずっと取っておいた。だが何十年ものあいだ、世界はその顔を別の女性のものだと信じ込んでいた。誰も確かめようとはしなかった。
「WE CAN DO IT!」――拳を振り上げ、戦時下アメリカの団結を象徴したとされるこの一枚は、長らく「ロージー・ザ・リベッター」の名で呼ばれてきた。フェミニズムの旗印として、Tシャツ、マグカップ、政治家のキャンペーン、ビヨンセのInstagramに至るまで、無数の場所に複製されてきた。けれど、これを描いた画家も、発注した会社も、そんな意味を込めた覚えはない。工場の壁をわずか2週間飾って忘れられたはずの一枚の社内広報物が、いつ、どうやって80年かけて世界共通のアイコンに化けたのか。その道筋には、一人の女性が長らく自分の顔を奪われていた事情も絡んでいる。

1,800枚刷られて2週間で消えたポスター
1943年2月15日、月曜日。ペンシルベニア州イースト・ピッツバーグのウェストハウス・エレクトリック社の工場で、新しい一枚のポスターが社内に貼り出された。サイズは17×22インチ(約43×56cm)、印刷部数は1,800枚程度。掲示期間はちょうど2週間。後に世界を席巻することになるあのポスターの、最初で最後の出番だった。
製作したのはピッツバーグの商業画家、J・ハワード・ミラー。ウェストハウス社の「戦時生産調整委員会」から依頼を受け、社内向けポスターを全42枚連作で描いていた。1作品ごとに掲示期間は2週間、終わると次の絵に差し替えられる。「WE CAN DO IT!」はその中の一枚に過ぎなかった。
このポスターを目にしたのは、ペンシルベニア州とアメリカ中西部のいくつかの工場で働く社員だけ。とりわけ標的とされていたのは、リベットを打つ女性ではなかった。ウェストハウスが発明したマイカルタという樹脂で、兵士のヘルメットライナーを成型していた女性労働者である。戦中、この工場群は1,300万枚のヘルメットライナーを生産することになる。
ウェストハウス社のボランティア歴史家エド・ライスは、後にこう冗談を飛ばした。あの絵の女性の名前は「リベッターのロージー」より、「マイカルタ成型工のモリー」か「ヘルメットライナー製造のヘレン」の方が、ずっと事実に近い、と。
「我々」は女性のシスターフッドを意味していなかった
掲示の目的も、後の伝説とは違っていた。戦時下のアメリカでは、男性が次々に従軍し、工場の労働力は急激に女性へとシフトしていた。1940年から1944年のあいだに、働く女性の数は1,200万人から1,820万人へと跳ね上がる。同時に、生産現場では遅刻、欠勤、組合との緊張が経営側の頭痛の種になっていた。
ウェストハウスが社内ポスターを発注したのは、新規の女性労働者を「募集」するためではない。すでに雇用している労働者の士気を上げ、ストライキを防ぎ、不満は組合ではなく経営側に持ち込めと促すための広報物だった。ミラーが描いた42枚のうち、多くは男性が主役だった。
「WE CAN DO IT!」の「我々」は、当時の文脈では女性のシスターフッドを指してなどいなかった。「我々ウェストハウス社員」――つまり経営と労働の共同戦線という、まったく別物の意味を担っていた。襟元のバッジは彼女がウェストハウス社の従業員であることを示すもの。赤・白・青の配色は、社の戦時生産委員会が用いた標準的なパターンだった。
名のない画家、J・ハワード・ミラーの素顔
ミラー本人については、長らくほとんど分かっていなかった。多くの資料は彼の生没年を「1918年-2004年」または「およそ1915-1990年」と記載していた。これを正したのは、後にナオミ・パーカー・フレイリーを「発見」することになる同じ研究者、シートンホール大学のジェームズ・J・キンブル教授である。
2022年に発表された論文で、キンブルはミラーの正確な経歴を初めて公にした。本名ジェイムズ・ハワード・ミラー。1898年10月27日、ペンシルベニア州ウィルマーディング生まれ。1985年没。ウィルマーディングはウェストハウス・エアブレーキ社の本拠地でもあった町である。少年期のミラーは、家計を支えるためにこの工場で書記のアルバイトをしている。彼の住む町から3マイル先には、後に「WE CAN DO IT!」を彼に描かせることになるウェストハウス・エレクトリック社のイースト・ピッツバーグ大工場が広がっていた。
ピッツバーグ・アーティスト・リーグとカーネギー工科大学(現在のカーネギーメロン大学)の応用デザイン学部で学んだ後、フィギュア・アーティストとして広告業界に入った。彼の専門は、商品そのものを描く同僚画家の作業が終わった後で、その商品を持つ「魅力的な女性」を描き加えることだった。「WE CAN DO IT!」の女性が口紅とアイメイクを欠かさず、それでいて力こぶを見せている――その奇妙な両立は、戦時広告画家の職業的記憶の延長線上にあった。
ミラーがあの女性のモデルとして具体的に誰を念頭に置いていたか――それを示す本人の言葉や文書は、ひとつも残っていない。
本物の「Rosie」はロックウェルの方だった
1943年5月29日、ノーマン・ロックウェルが描いた別の女性が、雑誌『サタデー・イブニング・ポスト』の表紙を飾った。膝にリベットガン、足元には踏みつけられた『我が闘争』、ランチボックスに「Rosie」の名。筋肉質で、サンドイッチを頬張り、男ものの作業靴を履いている。ロックウェルがモデルにしたのは19歳の電話交換手メアリー・ドイル・キーフ。ポーズはミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画の預言者イザヤを下敷きにしている。
1943年初頭、レッド・エヴァンズとジョン・ジェイコブ・ロエブが発表した「Rosie the Riveter」という流行歌が先行して全国を駆け巡っていた。ロックウェルのこの絵は、その歌のイメージを視覚化したものだった。アメリカ財務省は彼の「Rosie」を戦時公債のキャンペーンに使用し、当時の国民にとって「Rosieといえばロックウェルの絵」だった。発行部数300万部級の雑誌の表紙と、社内に1,800枚だけ刷られたポスター――勝負は最初から決まっていた。
ミラーの「WE CAN DO IT!」は2週間の任務を終え、倉庫の奥へ消えていった。

1982年3月、『ワシントン・ポスト・マガジン』の小さな図版
40年近い空白の後、再発見は静かに訪れた。
1982年3月、『ワシントン・ポスト・マガジン』に「Poster Art for Patriotism’s Sake」という記事が載った。アメリカ国立公文書館に所蔵されている戦時ポスターを紹介する企画で、その中の小さな図版の一枚として、忘れられていたミラーのポスターが掲載された。第二次世界大戦終結以降に確認されている最古の再登場である(キンブルとオルセンの調査による)。
火種は小さく、すぐに燃え広がったわけではない。1985年に『U.S. News and World Report』が再びこの絵を取り上げたが、それでもブームには程遠かった。第二波フェミニズムの運動家たちが少しずつこの絵に目をつけ、女性の力の象徴として独立系の出版物やニュースレターに転載していく。爆発が起きたのは1994年。スミソニアン協会の月刊誌『スミソニアン』3月号が、表紙にこの絵を据えた。これで「WE CAN DO IT!」は一気に国民的なイメージになる。
1999年、アメリカ郵政公社が33セント切手の図柄に採用。文字は「Women Support the War Effort」と添えられた。ここまで来ると、もはやポスターの本当の出自を気にする者はいなかった。
著作権が運命を逆転させた
伝説の逆転には、もうひとつ重要な仕掛けがある。著作権だ。
ロックウェルの『Rosie the Riveter』は、彼の死後も遺族と財団によって厳格に保護され続けた。複製は許可制、商業利用は実質的に不可能。原画は2002年のオークションで約500万ドルで落札され、「絵画作品」として固有の価値を保ったまま美術史に収まった。
一方の「WE CAN DO IT!」は、1943年の社内向け広告物として権利関係が曖昧なまま、いつの間にかパブリックドメインに転がり落ちていた。誰でも、ノーライセンスで、Tシャツにもマグカップにも刷れる。1980年代以降のフェミニズム運動が探していたのは、この種の画像だった――著作権者の許可を仰がず、議論の余地なく自由に、無数の文脈で再利用できる図像。社内広報物として生まれた事情が、結果的にこのポスターを公共財に変えていた。
花束を持って訪ねてきた研究者
ポスターの「モデル」探しが本格的に始まったのも、再発見の余波だった。1984年、当時の女性労働者ジェラルディン・ホフ・ドイルが『モダン・マチュリティ』誌で旋盤を回す若い女性の写真を見かけ、自分のことだと思い込んだ。1994年のスミソニアン誌の表紙を見たドイルは、その写真がミラーのポスターのもとになったのだと推測し、結論として「自分がポスターのモデル」と語るようになる。証拠を求められたわけではなく、本人も悪意なく信じ込んだ結果だった。多くのメディアと女性団体がそれを受け入れ、ミシガン州女性歴史センターは彼女を殿堂入りさせた。
異変に気づいたのはナオミ・パーカー・フレイリーである。冒頭の2009年の同窓会で、引き伸ばされた1942年の写真と、その下のドイルの名前のキャプションを見て、彼女は妹に「あれは私」とつぶやいた。誰にも信じてもらえないまま、彼女は1942年に切り抜いた当時の新聞を保管し続けた。
転機はジェームズ・J・キンブルだった。シートンホール大学のコミュニケーション学教授である彼は、ドイルの主張に証拠の薄さを感じ、6年がかりで写真の出所を追跡する。やがてキンブルは、当時の通信社が配信した写真の裏に貼られていた元の説明書きを発掘した。そこに記されていた名前は、ジェラルディン・ホフ・ドイルではなく、Naomi Parker――カリフォルニア州アラメダ海軍航空基地、20歳。
2015年2月のある晴れた日、キンブルはカリフォルニア州レディングのナオミの自宅を訪ねた。妻に言われて花束を持参していた。彼は当時94歳だったナオミに、長らく彼女から奪われていた「自分の顔」を返した。翌2016年、キンブルは学術誌『Rhetoric and Public Affairs』で論文を発表する。ナオミは1度の離婚と2度の死別を経験し、人生の大半をパームスプリングスのレストラン「ドール・ハウス」のウェイトレスとして過ごしてきた。
「この国の女性たちは、いま、アイコンを必要としています」とナオミはPeople誌の取材に答えている。「私がそのひとりになっていいなら、嬉しい」。
キンブル自身は慎重に付け加える。ミラーは自分のモデルが誰かを明示する書類を一切残していない。だからナオミが「ポスターのモデル」だと完全に証明することはできない。ただ、写真とポスターの一致、時系列、ミラーの活動拠点、そのすべてが彼女を最も有力な候補にしている。ナオミ・パーカー・フレイリーは、2018年1月20日、ワシントン州ロングビューで96歳の生涯を閉じた。

意味を上書きされ続ける一枚
ミラーの「WE CAN DO IT!」は、いまや国立公文書館で最もリクエストの多い10枚のうちの1枚である。2008年の選挙ではサラ・ペイリン、ロン・ポール、ヒラリー・クリントン陣営それぞれがキャンペーンに利用した。2010年にはオーストラリア初の女性首相ジュリア・ギラードの就任を祝う作品に翻案された。ビヨンセはInstagramで自分の顔を重ねた版を投稿し、女性マーチでは無数のプラカードに描かれた。
経営側がストライキ防止のために発注し、女性のヘルメットライナー成型工に向けて掲示した一枚のポスターが、80年後にフェミニズムの世界共通言語になっている。デザインを送り出した側――ウェストハウス社、ミラー本人――は、その変容のほとんどに立ち会えなかった。受け取った側――1980年代以降のフェミニスト、ナオミ自身、ビヨンセ、女性マーチの参加者――が、その都度、新しい意味を作品に上書きしていった。
デザインの意味は、誰が決めるのか。制作者の意図か、受容者の解釈か。あの赤いバンダナの女性は、80年かけてその問いの教科書になった。
Q&A
- なぜ戦時中はほぼ無名だったのか?
- 1,800枚しか刷られず、ペンシルベニア州とアメリカ中西部のウェストハウス工場内に2週間だけ掲示された社内ポスターだったから。国の戦時広報キャンペーンとは無関係で、工場の外で見た人はいない。同時期にロックウェルが描いた『サタデー・イブニング・ポスト』表紙の「Rosie the Riveter」の方がはるかに有名だった。
- ロックウェルの「Rosie the Riveter」とミラーのポスターはどう違うのか?
- 別の作品。「Rosie the Riveter」の名は1942年の同名の歌に由来し、ロックウェルが1943年5月29日の『サタデー・イブニング・ポスト』表紙に描いたのが当初の代表的イメージ。リベットガンを抱え、『我が闘争』を踏みつける筋肉質な女性で、ポーズはミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の預言者イザヤを下敷きにしている。ミラーの「WE CAN DO IT!」とは別物だが、1980年代以降、両者は混同されてきた。
- なぜミラーのポスターの方が現代では有名になったのか?
- 著作権の差が大きい。ロックウェルの原画は遺族と財団が厳格に管理し、商業利用がほぼ不可能だった。2002年のオークションで約500万ドルで落札された原画は「保護される作品」として美術市場に固定された。一方ミラーのポスターは社内広告物として権利関係が曖昧なままパブリックドメインに転がり、誰でも自由に複製できた。フェミニズム運動が無償で大量に流布できる視覚資産を必要としていたタイミングと重なった。
- 「モデルは誰か」論争はどう決着したのか?
- 完全には決着していない。長らくミシガン州のジェラルディン・ホフ・ドイルが自称し、それが定説扱いされてきた。しかし2015年、シートンホール大学のジェームズ・J・キンブル教授が6年がかりの調査で、ポスターの元写真の原キャプションを発掘。そこに記されていた名前はカリフォルニア州アラメダ海軍航空基地で働いていたナオミ・パーカーだった。キンブル自身は、ミラーがモデルを明示する文書を残していないため断定はしないが、現状では彼女が最も有力な候補とされる。
- 制作意図と現在の意味のズレについて、ミラーやウェストハウスはどう反応したのか?
- ミラーは1985年に没しており、ポスターが世界的アイコンになる前に世を去っている。本人がモデルや意図について書き残した資料は確認されていない。ウェストハウス社のボランティア歴史家エド・ライスは生前、このポスターが「リベッターのロージー」ではなく、マイカルタ樹脂でヘルメットライナーを成型していた女性労働者向けだったと指摘し、皮肉を込めて「リベッターのロージー」より「マイカルタ成型工のモリー」の方が史実に近いと述べている。
基本データ
- 作品名
- WE CAN DO IT!(通称「Rosie the Riveter」と混同される)
- 制作者
- J・ハワード・ミラー(James Howard Miller, 1898年10月27日–1985年、ペンシルベニア州ウィルマーディング生まれ)
- 発注元
- ウェストハウス・エレクトリック社 戦時生産調整委員会
- 制作・掲示年
- 1942年制作 / 1943年2月15日から2週間掲示
- サイズと部数
- 17×22インチ(約43×56cm) / 約1,800枚
- 位置づけ
- ミラーがウェストハウス社向けに制作した社内向け士気高揚ポスター全42枚連作の一枚
- 掲示場所
- ペンシルベニア州イースト・ピッツバーグおよびアメリカ中西部のウェストハウス工場
- 当初の対象
- マイカルタ樹脂製ヘルメットライナーを成型していた女性労働者
- 所蔵
- アメリカ国立公文書館(NARA)ほか
- 著作権
- パブリックドメイン
- 再発見
- 1982年3月『ワシントン・ポスト・マガジン』記事「Poster Art for Patriotism’s Sake」
- 大衆化
- 1994年『スミソニアン』誌3月号表紙、1999年アメリカ郵政公社による33セント切手化
- 有力なモデル候補
- ナオミ・パーカー・フレイリー(1921年8月26日–2018年1月20日、カリフォルニア州アラメダ海軍航空基地勤務、2015年にジェームズ・J・キンブル教授が特定)
参考文献
- We Can Do It! – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/We_Can_Do_It!
- Naomi Parker Fraley – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Naomi_Parker_Fraley
- The Hunt for Naomi Parker Fraley, the Real Rosie the Riveter | TIME
- https://time.com/5114251/rosie-the-riveter-real-identity/
- Creator of ‘We Can Do It!’ Poster Uncovered – Seton Hall University
- https://www.shu.edu/human-development-culture-media/news/creator-of-we-can-do-it-poster-uncovered.html
- “We can do it!” – National Archives, Still Pictures
- https://www.archives.gov/research/still-pictures/highlights/we-can-do-it
- Rosie the Riveter: Working Women and World War II – Library of Congress Research Guides
- https://guides.loc.gov/rosie-the-riveter
- The Unsung Inspiration Behind the “Real” Rosie the Riveter – Smithsonian Magazine
- https://www.smithsonianmag.com/smart-news/naomi-parker-fraley-real-rosie-riveter-has-died-96-180967935/
- “We Can Do It!” The Making of an Icon – Michigan Rosies
- https://michiganrosies.org/step-back-in-time-blog/2024/12/28/we-can-do-it-the-making-of-an-icon
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