『ミッドサマー』と元田久治|廃墟と楽園を分かつ4つの異化技法

『ミッドサマー』と元田久治|廃墟と楽園を分かつ4つの異化技法

目次

道路が、空に変わる

2019年の夏。映画館の暗闇に座っていた観客たちは、奇妙な感覚に襲われていました。

スクリーンには、北欧の田舎道を走る一台のミニバン。アメリカの大学院生四人と、スウェーデン人留学生のペッレを乗せた車が、夏至祭が開かれる村「ホルガ」へと向かっています。冬から夏へ、闇から光へ、見慣れた都会から、知らぬ田園へ。

そのとき、カメラがゆっくりと回転し始めます。

道路が、画面の上にスライドしていく。空は下に落ちていく。やがて車は天井を走る昆虫のように見え始め、観客は自分が、地面と空の境界が溶け落ちた世界に滑り込んだことを悟ります。

アリ・アスター監督『ミッドサマー』。冒頭わずか数十秒のこの「天地逆転ショット」は、これから始まる狂気の物語を予告する、ひとつの記号でした。彼らが向かう先は、私たちの世界の論理が通用しない場所。家族の死、薬物、儀式、そして血。だが映画はそのすべてを、白夜の眩しい太陽光の下で描いてみせます。

恐怖は、暗闇からだけ来るのではない。慣れ親しんだ世界が、わずかにずれた瞬間にこそ、ぞわりと足元から這い上がってくる。

そしてこの「ずれ」を、絵画も、写真も、版画も、すでに何度も試みていたのです。

「異化」というレンズ

20世紀初頭のロシアに、ヴィクトル・シクロフスキーという文芸理論家がいました。彼が提唱した一つの言葉が「остранение(オストラネーニエ)」――日本語で「異化」と訳される概念です。

主旨は単純でした。人は見慣れたものを「見ているつもり」で、実は見ていない。だから芸術家の仕事は、見慣れたものを見慣れぬものに変えて、改めて世界を「見せる」ことだ、と。

シクロフスキーが論じたのは詩や小説でしたが、20世紀以降の映像、絵画、写真は、もっと過激な方法で異化を実践していきます。そして奇妙なことに、私たちが「ぞくっとする」「美しい」「不気味だ」と感じる作品の多くは、ある共通した手つきを持っているのです。

天地を逆転する。廃墟にする。ミニチュアにする。鏡のように対称化する。

たった4つの操作だけで、見慣れた風景は、別世界の風景に変わってしまう。『ミッドサマー』が映画館で示したのが「天地逆転」なら、同じ頃の日本の版画家は「廃墟化」を、その10年前の写真家は「ミニチュア化」を、さらに前の英国人写真家は「対称化」を試みていました。舞台もメディアも違うのに、観客の脳が反応する場所は、おそらく同じ箇所なのです。

アリ・アスターと、上下逆さの道

『ミッドサマー』の話を、もう少しだけ続けましょう。

監督アリ・アスターは、デビュー作『ヘレディタリー/継承』(2018)でホラー映画の新しい才能として一気に注目を集めた人物です。興味深いのは、彼がデビュー作にも、二作目の『ミッドサマー』にも、必ず「カメラを天地逆転させるショット」を仕込んでいること。『ヘレディタリー』では、トニ・コレット演じる主人公が新たに知り合った友人のアパートを訪ねる場面で、廊下が天井に転倒します。

なぜ、彼はその仕掛けにこだわったのか。

タロットカードに「吊された男」という札があります。逆さに吊るされた男が、それでも穏やかな表情をしている、不思議な絵柄です。これは「世界を別の角度から見直すこと」を意味するとされます。アスターは映画館の暗闇のなかで、観客にこの吊された男のカードを引かせる。あなたが見てきた世界は、本当にこのままの形ですか、と問いかける。

撮影監督パヴェル・ポゴジェルスキはパナビジョンの大判デジタルカメラを使い、車を低速で走らせながら、クレーンの先につけたカメラを物理的に180度回転させて撮影しています。VFXによる後処理ではありません。本当に、画面の中で道路と空が入れ替わっているのです。その物理的な質感が、観客の身体感覚にダイレクトに刺さる。映画における「異化」の、ひとつの究極形でした。

元田久治、東京を廃墟にする男

時間軸を、少しだけ巻き戻します。

熊本出身の版画家、元田久治(もとだ・ひさはる、1973年生まれ)は、九州産業大学を卒業して、2001年に東京藝術大学大学院で版画を修めたあと、奇妙な題材で制作を始めました。「東京の名所を、廃墟として描く」――そんなテーマです。

彼が描いたのは、東京都庁が無人化し、コンクリートの肌に苔が貼り付き、屋上から雑木が突き出している光景。あるいは渋谷センター街の、スクリーンの光が消え、ガラスが砕け、看板が傾いた姿。彼は精緻なリトグラフ(石版画)の技法でこれを淡々と描き続けました。代表作のひとつ《Indication: Shibuya Center Town》(2005)は、SF的というより、むしろ静かに納得させられる説得力を持っています。2011年にはベルリンで「Neo-Ruin」展を開き、ヨーロッパのコレクターたちにも衝撃を与えました。

元田が興味を持ったのは「人間がつくったものが放置されて、自然に飲み込まれていく過程」だと語られています。熊本から上京してきたとき、彼は東京の摩天楼を「異物」として感じたといいます。地元の自然のなかに育った彼の眼には、コンクリートの森こそが「いずれ消えていく一時的なもの」に映ったのかもしれません。

技法にも工夫があります。元田は、リトグラフという「描いた絵をプレス機で押し潰して紙に転写する」工程をあえて選びました。プレスを通すことで、自分の手が描いた線が、一度自分から離れる。そこに「客観性」が宿るのだと言います。

廃墟になった東京を見る私たちは、過去でもなく未来でもない、ある奇妙な「いつか」を見せられている。それは18世紀のヨーロッパで流行した「廃墟趣味」――ピラネージやユベール・ロベールが描いた、ローマ遺跡への憧憬――の現代版でもあります。東京は、いつかこうなる。そう思った瞬間、私たちは初めて、毎日歩いているはずのスクランブル交差点を、本当に「見る」ようになるのです。

都市を、ジオラマに変える眼

今度は、写真の話を。

本城直季(ほんじょう・なおき、1978年生まれ)は、2006年に出版した写真集『small planet』で、第32回木村伊兵衛写真賞――「写真の芥川賞」とも呼ばれる新人賞――を受賞しました。

掲載されている写真は、見るものを驚かせます。ゴルフ場、東京駅、行き交う車、プールサイド、高速道路。どれも明らかに本物の風景なのに、ジオラマか模型のように見える。人は豆粒で、車はオモチャ、街路樹は針金にスポンジを巻いた工作物。だがこれらは、実際の風景を、本物の場所で撮影したものなのです。

種明かしをすると、本城が使っているのは4×5インチの大判カメラの「アオリ(ティルト)」と呼ばれる機構です。レンズと感光面を物理的に傾けることで、ピントの合う面を意図的にずらし、画面の一部だけがシャープに、それ以外がぼけるという、特殊な被写界深度を作り出します。

私たちの脳は、極端に被写界深度が浅い画像を見ると「これは近くで撮られた小さなもの」と勝手に判断します。なぜなら、ジオラマやミニチュア模型を撮影するとき、まさにそう見えるからです。実物の風景を高所から俯瞰して撮影し、ピント面を傾ける。たったそれだけで、脳は「これは小さな模型だ」と錯覚を起こしてしまうのです。

本城自身は、影響を受けた作家としてドイツの写真家アンドレアス・グルスキーの名を挙げています。グルスキーが超大判の俯瞰で「人間の不在」を可視化したのと、本城の「人間の小ささ」を可視化する手つきは、どこか共通しています。

『small planet』は社会現象化し、その後デジタルカメラに「ミニチュア風」エフェクトが標準搭載されるほどの影響を与えました。私たちが今、スマホで気軽にかける「ジオラマ風フィルター」の祖先は、ここに居ます。しかしオリジナルの本城作品が放っていた「ぞわり」とした感覚は、フィルターでは再現できません。彼の写真には、「世界全体が誰かのつくりものではないか」という根源的な不安が、静かに同居していたからです。

ル・ノートルの庭、夜明けの祭壇

最後に、もう少し古い時代へ。

英国出身の写真家マイケル・ケンナ(Michael Kenna、1953年生まれ)は、1996年から1997年にかけて、フランス各地の歴史的庭園を撮影した連作を発表しました。題して『Le Nôtre’s Gardens』。1996年にフランスのソーで初の個展が開かれ、翌97年にはアメリカや欧州各地で巡回しました。

アンドレ・ル・ノートル――ルイ14世のもとで活躍した造園家。ヴェルサイユ、ヴォー=ル=ヴィコント、シャンティイ。彼の手になるフランス式庭園は、徹底した左右対称、幾何学的な軸線、剪定された円錐形の樹木、整然と配された彫刻群で知られています。

ケンナはこれらの庭園を、夜明け前か日没後――「人間が誰もいない、霧の立ちこめる時間」を選んで撮影しました。時には10時間にもおよぶ長時間露光を駆使し、ハッセルブラッドの中判カメラで、徹底的にモノクロームで。

すると、何が起きるか。

完璧に対称な庭園は、本来「秩序」と「人間の理性」の象徴です。それを、誰もいない、霧のなかで、長時間露光で撮ると、突然、別の顔を見せ始めます。均整の取れすぎた構図は、どこか宗教的な祭壇のようでもあり、幾何学パズルのようでもあり、どこか――誰かに見られているような、不気味な視線を返してくる。

ケンナはこの庭園たちを「アジェの目で」見たと語っています。19世紀末から20世紀初頭にかけて、誰もいないパリの早朝を撮り続けた写真家ウジェーヌ・アジェ。あの先達の系譜に、ケンナは自身を置いている。「対称化」という異化は、現実を歪ませる必要がない。ただ、人間が出払った瞬間にカメラを構えるだけで、見慣れた庭園は、見知らぬ何かに変わってしまう。ル・ノートルが300年前に設計した秩序のなかには、ずっとこの「不気味さ」が眠っていた。ケンナはただそれを、レンズで起こしただけなのです。

4つの異化、ひとつの感情

天地逆転、廃墟化、ミニチュア化、対称化。舞台もメディアもバラバラなこの4つの作品が、なぜ私たちの脳を同じように震わせるのでしょうか。

ひとつの仮説は「不気味の谷」の感覚です。ロボット工学者の森政弘が1970年に提唱したこの概念は、人型ロボットが本物に近づくほど、ある一線で急に気持ち悪くなる、という現象を指します。「ほぼ似ているけれど、何かが違う」。その「ほぼ」が、生き物の本能的な警戒を呼び起こすのです。

異化技法は、この谷を能動的に作り出す技術と言えます。完全な異世界ではなく、見覚えのある景色を、ほんの少しだけ歪ませる。脳は最初「これは知っている」と認識し、次の瞬間「いや、何かが違う」と気づく。その認識のズレのあいだに、私たちは不気味さや、美しさや、畏怖を感じるのです。

そしてもう一つ、これらの作品が共有しているのは、「人間の不在」です。『ミッドサマー』の天地逆転ショットには、行き交う他の車も歩行者もいない。元田の廃墟東京には、人がいない。本城のジオラマ東京は、人がいたとしても粒のように小さい。ケンナの庭園は、霧と夜明けの無人空間。

人がいなくなった瞬間、見慣れた場所は、見慣れぬ場所に変わる。これは、おそらく21世紀の私たちが、ロックダウン下の都市風景を眺めたとき不意に体験した感覚と地続きでしょう。誰もいない渋谷スクランブル交差点。閑散としたタイムズ・スクエア。あの数日間、世界はたしかに「異化」されていました。

フィルター時代の異化

そして現代。

私たちのスマートフォンには、「ティルトシフト風フィルター」「廃墟化フィルター」「鏡像反転」「天地反転」といった機能が、当たり前のように搭載されています。生成AIに頼めば、東京タワーの廃墟も、京都を撮影したジオラマも、無限に出力されてくる。異化は、もはや作家のものではなく、誰もが日常的にいじれるレイヤーになりました。

しかし、本城直季のオリジナル『small planet』を眺めた人と、スマホで自撮りにジオラマフィルターをかけた人では、明らかに体験している深さが違います。元田が一枚の石版に何ヶ月もかけて廃墟東京を描き込んだ時間と、AIが3秒で生成する廃墟画像では、画像のクオリティではなく、「見えてくる世界」のクオリティが違うのです。

異化が異化として効くのは、「見慣れたものを、わざわざ別の眼で見直す」という、その作家の覚悟と時間のなかにこそ宿るのかもしれません。

『ミッドサマー』のあの上下逆さの道路を、もう一度思い出してみてください。あの数十秒の映像のために、撮影クルーは物理的にカメラを反転させ、何度もテイクを重ねました。エフェクトひとつあれば済むことを、わざわざ手間をかけて。

私たちが暗闇のなかで震えたのは、おそらくその「手間」を、無意識に感じ取っていたからではないでしょうか。

廃墟と楽園のあいだ、見慣れた世界と見知らぬ世界のあいだ。そこには、誰かが手を動かして開けてくれた、小さな抜け穴があります。そしてその抜け穴の向こう側からこそ、私たちはやっと、いま立っている地面の奇妙さを見ることができるのです。

基本データ

作品1|映画『ミッドサマー』
公開年:2019年/監督:アリ・アスター/撮影:パヴェル・ポゴジェルスキ/製作国:アメリカ・スウェーデン/配給:A24
作品2|元田久治《Indication: Shibuya Center Town》ほか「Neo-Ruins」シリーズ
作家:元田 久治(1973年熊本県生まれ)/代表作発表:2004年〜/技法:リトグラフ(石版画)/代表的な国際展示:2011年「Neo-Ruin」展(Murata & Friends/ベルリン)
作品3|写真集『small planet』
作家:本城 直季(1978年東京都生まれ)/出版年:2006年/出版社:リトルモア/受賞:第32回木村伊兵衛写真賞/技法:4×5大判カメラ/アオリ(ティルト)撮影
作品4|写真集『Le Nôtre’s Gardens』
作家:マイケル・ケンナ(1953年イギリス・ランカシャー州生まれ)/出版年:1997年(RAM Publications/The Huntington Library)/最初の個展:1996年(Galerie du Petit Château、ソー、フランス)/被写体:ヴェルサイユ、ヴォー=ル=ヴィコント、シャンティイ等/撮影機材:主にハッセルブラッド中判カメラ、モノクロ銀塩

Q&A

『ミッドサマー』の上下逆さのカメラショットは、CGですか?
いいえ、撮影クルーが物理的にカメラを180度回転させて撮影しています。撮影監督パヴェル・ポゴジェルスキはパナビジョンの大判デジタルカメラを使い、車を低速で走らせながらクレーンに固定したカメラを反転させたとされ、観客の身体感覚に直接届くリアルな質感が生まれました。
元田久治はなぜリトグラフという技法を選んだのですか?
「描いた絵を、プレス機で紙に転写する」というリトグラフの工程に、自分の手から作品が一度離れる「客観性」を見出したからだと本人が語っています。版画として複製可能であることも、廃墟というテーマの「個別の出来事ではない、普遍的な未来像」を表現するうえで意味があるとされています。
本城直季のジオラマ風写真は、スマホのフィルターで再現できますか?
表面的な効果は再現できますが、本城作品の本質である「世界全体が誰かのつくりものではないか」という不安感までは伝わりにくいでしょう。本城は4×5インチ大判カメラのアオリ(ティルト)機構と、撮影地点の高さ・光・天気・モチーフの選び方まで含めて作品を構築しており、一律のフィルターでは到達できない情報密度があります。
マイケル・ケンナはなぜ夜明けや夜に撮影するのですか?
人がいなくなり、空気が静まり、光がもっとも繊細に変化する時間帯だからです。彼は時に10時間に及ぶ長時間露光を行い、人間の眼には見えない微細な階調をフィルムに刻んでいます。「カオスから逃れ、静寂と孤独のなかで内省できる場所を見つけたい」と本人も語っており、無人の時間を選ぶこと自体が彼の作家性となっています。
「異化」という考え方は、いつから広まったのですか?
ロシアの文芸理論家ヴィクトル・シクロフスキーが1917年の論文「手法としての芸術」で提唱したのが起点とされています。当初は文学理論でしたが、20世紀後半以降、映画・写真・現代美術・舞台演劇など幅広い分野に応用されました。本記事で紹介した4作品も、結果的にこの「異化」の系譜に位置づけることができます。

参考文献

元田 久治|アートフロントギャラリー
https://www.artfrontgallery.com/artists/Hisaharu_Motoda.html
廃墟の世界にようこそ。 渋谷区立松濤美術館で「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」が開幕|美術手帖
https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/18967
本城直季 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9F%8E%E7%9B%B4%E5%AD%A3
リトルモアブックス|『small planet』 写真:本城直季
http://www.littlemore.co.jp/store/products/detail.php?product_id=623
Le Nôtre’s Gardens|Michael Kenna 公式オンラインストア
https://www.michaelkenna.com/store/product/le-notres-gardens/
Michael Kenna (photographer) – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Kenna_(photographer)
‘Midsommar’: Ari Aster Wants Viewers to Leave ‘A Little Bit Confused’|Variety
https://variety.com/2019/film/news/ari-aster-midsommar-horror-1203255772/
The Architecture of Horror: Space, Light, and Atmosphere in Ari Aster’s Hereditary and Midsommar|Bright Lights Film Journal
https://brightlightsfilm.com/the-architecture-of-horror-space-light-and-atmosphere-in-ari-asters-hereditary-and-midsommar/

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