鉛筆を突き立てた男――ロデズの精神病院、1946年
友人たちが見たのは、かつての前衛演劇の旗手とは思えない姿でした。1946年5月、南仏ロデズの精神病院から9年ぶりにパリへ戻ったアントナン・アルトーは、51回の電気ショック療法で椎骨を折り、歯を何本も失い、すっかり変わり果てていました。パリ郊外イヴリーの療養施設に入った彼がまず手に取ったのは、鉛筆と大判の紙でした。そして、自分の顔を描き始めたのです。
ただし、それは私たちが想像するような「自画像」ではありませんでした。アルトーは紙に鉛筆を突き刺し、顔面に天然痘のような穴を穿ち、輪郭を引き裂くように描きました。1946年5月11日の自画像には、腐食したかのような顔面に鋭い穴が無数に開いています。友人のジャック・プレヴェルは、アルトーが制作する姿を目撃しています。彼はテーブルの前に立ち、詠唱し、うなり、叫びながら、鉛筆とクレヨンを紙にえぐるように押しつけていた、と。それは「描く」というよりも「発掘する」という行為に近いものでした。
翌1947年7月、パリのピエール・ルーブ画廊で開かれた生前唯一の個展に寄せて、アルトーは「人間の顔(Le Visage humain)」というテクストを書いています。そこにはこう記されていました――「人間の顔は空虚な力であり、死の場である」。そして「人間の顔はまだその本当の顔を見つけていない。それを与えるのは画家の仕事だ」と。この言葉は、20世紀の「顔」をめぐるビジュアル表現の、もっとも激烈な宣言のひとつです。

なぜ「顔」は攻撃の標的になったのか
少し立ち止まって考えてみましょう。顔とは何でしょうか。デザインの世界では、顔はもっとも強力な「素材」です。ポスターに人の顔があれば目が止まります。雑誌の表紙はほとんどが顔です。SNSのプロフィール写真、パスポート、証明写真――私たちの社会は「顔で人を識別するシステム」の上に成り立っています。顔は、アイデンティティそのものなのです。
だからこそ、その「最強の素材」を壊す行為には、途方もない衝撃力があります。20世紀のアーティストたちが繰り返し顔を歪め、隠し、破壊してきたのは、この力に気づいていたからです。彼らの「顔の戦い」は、三つの異なるアプローチに分類できます。顔を物理的に「破壊する」アルトー。顔を包帯で「隠蔽する」ゴットフリート・ヘルンヴァイン。そして顔を別人に「変装させる」シンディ・シャーマン。時代も手法もまったく異なるこの三者が、共通して問いかけていたのは、「顔の下には何があるのか」という根源的な疑問でした。
アルトー――「残酷の演劇」から「残酷の素描」へ
アントナン・アルトー(1896〜1948)は、フランスの劇作家・詩人・俳優・批評家であり、20世紀の前衛芸術に巨大な影を落とした人物です。1938年のエッセイ集『演劇とその分身(Le Théâtre et son double)』で提唱した「残酷の演劇」は、観客の感覚に直接訴えかける暴力的な演劇体験を構想したもので、その後の実験的演劇やパフォーマンス・アートの基盤となりました。
しかし、彼の生涯は壮絶でした。5歳で髄膜炎にかかり、生涯にわたる頭痛に悩まされます。16歳で最初のうつ病を発症し、21歳で遺伝性梅毒と診断されました。治療に用いられたアヘンチンキが、生涯の薬物依存の始まりとなります。シュルレアリスム運動に参加するも1926年に追放され、その後は精神の不安定さと創造的な爆発を繰り返す人生を歩みました。
1937年、41歳のアルトーは精神病院に収容されます。以後、9年間を各地の施設で過ごすことになりました。1943年にロデズの精神病院に移送されたのち、まだ初期段階にあった電気ショック療法を51回にわたって受けることになります。最初の施術(麻酔なし)で椎骨が折れました。アルトーは後にジャーナリストにこう語っています。「私は死の中に突き落とされた。私は死というものが何かを知っている」と。
ロデズで描き始めたドローイングは、この恐怖の体験から生まれたものでした。1946年の退院後、イヴリーの療養施設で制作に没頭したアルトーは、ほぼ人間の顔だけを描き続けます。友人のポール・テヴナン、ピエール・ルーブ夫妻、アルチュール・アダモフらの肖像画、そして何枚もの自画像。しかしそれらは「似顔絵」の対極にありました。ある友人の肖像では、喉がえぐられ、髪から釘が流れ出し、顔は鉛筆の一撃で傷つけられていました。テヴナンは後年、その肖像に描かれた皺と傷が、40年後の自分の実際の顔に刻まれていたと証言しています。まるで予言的な暴力だったのです。
ヘルンヴァイン――包帯の下の戦後オーストリア
アルトーがイヴリーで亡くなったのと同じ1948年、ウィーンでゴットフリート・ヘルンヴァインが生まれています。偶然の一致ですが、この二人の「顔」への執着には不思議な共鳴があります。
ヘルンヴァインが育ったのは、戦後オーストリアの薄暗い空気の中でした。1938年のナチスによるオーストリア併合を「被害」として語り、加担の事実を徹底的に否認する社会。厳格なカトリック教育。笑わない大人たち。6歳のとき、父親がミッキーマウスのコミックを持ってきてくれたことが、彼の人生を変えました。「あの小さなネズミには、とても新鮮で幸せなものがあった」と後に語っています。漫画は彼にとって、灰色の現実からの唯一の避難所だったのです。
1969年にウィーン造形芸術大学に入学したヘルンヴァインは、まもなく傷ついた子どもたちの水彩画を描き始めます。そして1971〜72年頃から、もうひとつの表現形式が加わりました。自分自身を被験者にしたパフォーマンスです。カミソリの刃で顔と手を切り、包帯を巻き、外科用器具で顔を変形させる。フォークが頬を貫き、手術用クランプが目を覆う。そうした姿を写真に記録し、ときにはウィーンの街頭で5時間にわたって通行人の間に立ち続けました。

1972年の写真作品「光の子ども II(Child of Light II)」は、ヘルンヴァインの代名詞的なイメージのひとつです。包帯とチューブで顔を覆われた少女の頭と手から、聖痕のように光が放射されています。美しさと死、無垢と暴力が同居するこの作品は、1974年の水彩画「美しい犠牲者 I(Beautiful Victim I)」の原型にもなりました。その水彩画は、フェルメールを思わせる繊細な光と、ショッキングな包帯のコントラストで、見る者を立ちすくませます。
ヘルンヴァインが顔を包帯で覆う行為には、ウィーン・アクショニズム(1960年代のウィーンで活動した過激なパフォーマンス・アート集団)との表面的な類似がありますが、美術史家のペーター・ゴルセンは重要な違いを指摘しています。ウィーン・アクショニストたちが身体を「素材」として扱ったのに対し、ヘルンヴァインは傷ついた子どもの身体に「象徴的な機能」を与えました。子どもは、暴力にさらされた無防備な人間の象徴なのです。
ウィリアム・S・バロウズは、1992年のエッセイでヘルンヴァインの自画像についてこう述べています。「人間の顔は彫像の顔のようにいつでも同じに見えるという基本的な誤解がある。実際には、人間の顔は内側と外側からイメージが映し出されるスクリーンのように、瞬間ごとに変化する」。ヘルンヴァインの包帯と器具は、この「顔=固定されたもの」という幻想を暴力的に引き剥がす道具だったのです。
シャーマン――「私は自分の写真に自分を見たことがない」
1954年、アメリカのニュージャージー州に生まれたシンディ・シャーマンは、テレビと映画の文化の中で育ちました。洗濯機とキャデラックの広告、核戦争の不安、そして画面に映し出される無数の「女性像」。彼女が後に取り組むことになるテーマの原材料は、すべて子ども時代のリビングルームにありました。
1977年から1980年にかけて制作された「無題の映画スチル(Untitled Film Stills)」シリーズ全69点は、シャーマンを一躍国際的なアーティストにしました。彼女は自分自身をモデルに、1950〜60年代のハリウッドB級映画やフィルム・ノワールに登場するような女性の類型――キャリアウーマン、セクシーな主婦、田舎娘、ファム・ファタール――を演じ分けて撮影したのです。衣装もメイクもセットも照明も、すべて自分で手がけました。
しかし注目すべきは、これらが「自画像」ではないということです。シャーマン自身がこう語っています。「写真を見ても、自分自身を見ることはありません。これらはセルフポートレートではないのです」。彼女は顔を「変装」によって消し去ることで、私たちが普段いかに顔を手がかりにして物語を読み取っているかを暴いてみせました。ロバート・ロンゴ、バーバラ・クルーガーらとともに「ピクチャーズ・ジェネレーション」と呼ばれたこの世代のアーティストたちは、大量消費されるメディア・イメージの虚構性を作品に突きつけていたのです。
そして1985年、シャーマンの「顔」への攻撃はさらに過激になります。雑誌『ヴァニティ・フェア』からおとぎ話をテーマにした写真の依頼を受けた彼女は、「フェアリー・テイルズ(Fairy Tales)」シリーズで初めてプロスセティクス(特殊メイク用の付け替え部品)とマネキンを使用し始めました。泥まみれの死体、腐敗した怪物、グロテスクに変形した顔――それは「めでたしめでたし」のおとぎ話を悪夢に変える試みでした。続く「ディザスターズ(Disasters)」シリーズ(1986〜89年)では、人間の姿はほぼ消え去り、嘔吐物や体液、腐敗した食物だけが残されました。「化粧品が隠すために存在する、身体の秘密の液体」を暴露する行為だと、批評家のローラ・マルヴィは評しています。
三者の交差点――「顔のファサード」を壊すということ
アルトー、ヘルンヴァイン、シャーマン。この三者を年表に並べてみると、興味深いパターンが浮かび上がります。アルトーが自画像を描き壊したのは1946年、第二次世界大戦の直後です。ヘルンヴァインが包帯のパフォーマンスを始めたのは1972年、戦後の沈黙が限界に達しつつあった時期でした。シャーマンが顔をプロスセティクスで崩し始めたのは1985年、消費文化とメディア・イメージが飽和状態に達した時代です。
三者に共通するのは、「顔をファサード(正面の見せかけ)として捉え、その裏側を暴こうとした」という点です。アルトーにとって、顔は「空虚な力、死の場」であり、その表面の下にある本当の人間を取り戻すために破壊されなければなりませんでした。ヘルンヴァインにとって、包帯は「戦後の否認」そのものの視覚化です。傷を覆い隠すことで、かえってそこに傷があることを告発する。シャーマンにとって、変装は「女性の顔がいかに社会的に構築されたものか」を示す実験装置でした。
手法は真逆のようでいて、結論は同じです。「顔はあなた自身ではない」ということ。そして「顔を壊してみなければ、その向こうに何があるかはわからない」ということ。

衝撃と論争――社会はどう反応したか
これらの作品が穏やかに受け入れられたわけはありません。1947年のアルトーの個展は、彼の友人たちの間では深い感銘を呼びましたが、一般には「狂人の作品」として片づけられることも少なくありませんでした。アルトーのドローイングが「アウトサイダー・アート」の範疇に押し込まれてしまう危険は、常にありました。しかし美術評論家たちは次第に、それがウィリアム・ブレイクやヘルダーリンの作品と同様に、狂気の枠に収まりきらないものだと認識するようになります。
ヘルンヴァインの作品は、より直接的な反発を招きました。ウィーン近郊メードリングの画廊「ギャラリーD」での個展では、市長が警察に作品の押収を命じています。1972年には「プレスハウスの画廊」での展覧会が、強い抗議を受けてわずか3日で閉鎖されました。1979年、オーストリアの連続殺人小児科医ハインリヒ・グロスに関する記事に添えて発表した水彩画「生きるに値しない命(Life not Worth Living)」は、全国的な議論を巻き起こし、最終的にグロスの裁判につながりました。ヘルンヴァインは、芸術が社会を動かしうることを身をもって証明した数少ないアーティストのひとりです。
シャーマンの「フェアリー・テイルズ」以降の作品群は、美術市場では高い評価を受けました。2010年、1985年作の「Untitled #153」(泥まみれの死体に扮した作品)は、フィリップスのオークションで270万ドルで落札されています。翌2011年には「Untitled #96」が389万ドルを記録し、当時の写真作品の最高落札価格となりました。ただし、フェミニスト批評家の間では評価が分かれることもありました。「被害者としての女性」を反復的に表象することが、果たして批判なのか再強化なのかという議論は、現在に至るまで続いています。
その後の波紋――フランシス・ベーコンからフェイスフィルターまで
この三者が切り拓いた「顔を壊す」表現は、後世に広大な波紋を広げました。フランシス・ベーコンの歪んだ肖像画、アルヌルフ・ライナーの上書きされた写真、ジェニー・サヴィルの巨大な顔面の絵画――いずれもこの系譜に連なる作品です。
特に注目すべきは、ヘルンヴァインの影響の広がりです。彼はローリング・ストーンズやスコーピオンズのアルバム・アートを手がけ、マリリン・マンソンとは「The Golden Age of Grotesque」で全面的にコラボレーションしました。アンディ・ウォーホルのポートレートを撮影し、ウィリアム・バロウズやノーマン・メイラーとも交流がありました。ポップカルチャーとファインアートの境界を横断するその活動は、傷ついた顔のイメージをサブカルチャーの深部にまで浸透させました。
シャーマンの影響はさらに広範です。1995年にニューヨーク近代美術館(MoMA)が「Untitled Film Stills」全シリーズを推定100万ドルで購入したことは、写真が「絵画と同等の美術品」として認知される歴史的な転換点でした。彼女の手法――自分を被写体にしながらセルフポートレートではないものを作る――は、現代のセルフィー文化やInstagramの「自己演出」を予見していたとさえ言えるでしょう。
セルフィーの時代、AIの顔――「顔」をめぐる現在地
さて、ここからが現代の話です。私たちは今、「顔」がかつてないほど大量に生産・消費される時代を生きています。毎日数億枚のセルフィーがSNSに投稿され、美顔アプリは瞬時に肌を滑らかにし、目を大きくし、顎のラインを整えます。フェイスフィルターは犬の耳をつけたり、性別を変えたり、20年老化させたりします。
そしてAI(人工知能)による顔画像生成技術は、存在しない人間の顔を無限に作り出せるようになりました。ディープフェイク技術は、実在の人物の顔を別の動画に貼り付けることを可能にし、顔認証システムは都市の至るところで私たちの顔をスキャンしています。「顔」は今や、個人のアイデンティティであると同時に、もっとも操作されやすいデジタルデータでもあるのです。
こうした状況を、アルトー、ヘルンヴァイン、シャーマンならどう見るでしょうか。おそらく、驚きはしないでしょう。アルトーが「人間の顔はまだ本当の顔を見つけていない」と書いたとき、彼はAIが生成する「完璧だが中身のない顔」を予言していたかのようです。ヘルンヴァインの包帯は、フェイスフィルターという「デジタルの包帯」の祖先のように見えます。シャーマンが衣装とメイクで演じ分けた無数の「別人」は、SNS上で私たちが日常的にやっていることそのものです。
違いがあるとすれば、三者が「顔の虚構性を暴くために」表面を壊したのに対し、現代のテクノロジーは「より完璧な虚構を作るために」顔を操作しているという点です。美顔アプリは顔の表面をより滑らかにし、AIは一点の曇りもない顔を生成します。アルトーが突き刺した穴は塞がれ、ヘルンヴァインの包帯は外され、シャーマンの特殊メイクはデジタルで完璧に「修正」されてしまう。彼らが必死に引き剥がそうとしたファサードは、テクノロジーによってこれまで以上に強固に貼り直されているのかもしれません。
だからこそ、今あらためてこの三人の仕事を見返すことには意味があります。顔が最も操作されやすくなった時代にこそ、「顔を壊すことで何が見えるのか」という問いは、切実さを増しているのですから。アルトーの最後の自画像――1948年3月の死の直前に描かれた、骨だけで構成されたような頭蓋骨的な顔――は、すべての修正やフィルターを剥ぎ取った先にある、人間の最も裸の姿を見せているように思えます。それはおそらく、デジタルの時代にあっても決して生成できないものなのです。
Q&A
- Q. アルトーの自画像は「アウトサイダー・アート」に分類されるのですか?
- A. この点については議論があります。アルトーが精神病院に入院していたことから、「アウトサイダー・アート」の文脈で語られることもあります。しかし、多くの美術史家は彼を正規の前衛芸術の流れの中に位置づけています。アルトーは入院以前から演劇やシュルレアリスムの分野で活動していた知的な芸術家であり、ドローイングにも明確な芸術的意図がありました。ウィリアム・ブレイクやヘルダーリンと同様に、「狂気」と「芸術」の境界では分類しきれない存在とされています。
- Q. ヘルンヴァインはウィーン・アクショニズムの一員だったのですか?
- A. いいえ、直接の関係はありません。ヘルンヴァインは1975年にギャラリスト、ウルズラ・クリンツィンガーからウィーン・アクショニズムの存在を初めて知らされたと述べています。包帯や身体への暴力的な介入という共通点はありますが、美術史家ペーター・ゴルセンはヘルンヴァインの作品を明確に区別しています。ウィーン・アクショニストたちが身体を「素材」として扱ったのに対し、ヘルンヴァインは傷ついた子どもを「無防備な人間の象徴」として提示したのです。
- Q. シャーマンの「Untitled Film Stills」はなぜ作品名がないのですか?
- A. シャーマンは意図的にすべての作品に「Untitled(無題)」と番号だけのタイトルをつけています。これは、作品の解釈を特定の物語に固定しないためです。タイトルがないことで、鑑賞者は自分自身の経験や文化的記憶からストーリーを読み取ることになり、結果として「私たちがいかに顔と物語を自動的に結びつけてしまうか」を浮き彫りにする仕掛けになっています。
- Q. 「顔を壊す」表現は現代のアーティストにも受け継がれていますか?
- A. はい、多くの現代アーティストがこの系譜に連なっています。ジェニー・サヴィルは巨大なキャンバスに変形した顔面を描き、ザック・ブラスは3D技術で認識不能な「顔」を制作し、AIアーティストたちはGAN(敵対的生成ネットワーク)で生成された顔を意図的に崩すことで、テクノロジーへの批評を行っています。また、スマートフォンの「不気味の谷」を探求するデジタルアーティストも増えています。
- Q. アルトーのドローイングはどこで見られますか?
- A. アルトーの作品の大半は、友人のポール・テヴナンを通じてフランス国立図書館に収蔵されています。ニューヨーク近代美術館(MoMA)が1996年に大規模な展覧会を開催したほか、ウィーンのムモク(mumok)やパリのポンピドゥー・センターでも展覧会が行われてきました。書籍としては、MIT Press刊の『Antonin Artaud: Drawings and Portraits』(2019年)が代表的な参照文献です。
参考文献
- Visceral Drawings From Antonin Artaud’s Final Years – Hyperallergic
- https://hyperallergic.com/506746/visceral-drawings-from-antonin-artauds-final-years/
- A Foundry of the Figure: Antonin Artaud – Artforum
- https://www.artforum.com/features/a-foundry-of-the-figure-antonin-artaud-212286/
- Gottfried Helnwein – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Gottfried_Helnwein
- The Child – Works by Gottfried Helnwein
- https://www.helnwein.com/texts/selected_authors/article_1905-The-Child-Works-by-Gottfried-Helnwein
- Cindy Sherman – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Cindy_Sherman
- Cindy Sherman’s “Untitled Film Stills” – Los Angeles Review of Books
- https://lareviewofbooks.org/article/cindy-shermans-untitled-film-stills/
- Antonin Artaud: Works on Paper – The Museum of Modern Art
- https://www.moma.org/documents/moma_catalogue_292_300325637.pdf
基本データ
- アントナン・アルトー(Antonin Artaud)
- 1896年9月4日〜1948年3月4日/フランス・マルセイユ生まれ/劇作家・詩人・俳優・画家/代表作:『演劇とその分身』(1938年)、自画像シリーズ(1946〜48年)/ロデズ精神病院入院:1943〜46年/生前唯一の個展:ピエール・ルーブ画廊(1947年7月)
- ゴットフリート・ヘルンヴァイン(Gottfried Helnwein)
- 1948年10月8日生まれ/オーストリア・ウィーン出身(現在はアイルランドとロサンゼルスを拠点に活動)/画家・写真家・パフォーマンスアーティスト/代表作:「光の子ども II」(1972年)、「美しい犠牲者 I」(1974年)、「エピファニー」シリーズ(1996年)/ウィーン造形芸術大学卒業
- シンディ・シャーマン(Cindy Sherman)
- 1954年1月19日生まれ/アメリカ・ニュージャージー州グレンリッジ出身/写真家・現代美術家/代表作:「Untitled Film Stills」シリーズ(1977〜80年)、「Fairy Tales」シリーズ(1985年)、「Disasters」シリーズ(1986〜89年)/MoMAが1995年に「Untitled Film Stills」全69点を購入/マッカーサー賞受賞
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