「タンクマン」|天安門で戦車を止めた男と、同じ瞬間を撮った4人のカメラマン

「タンクマン」|天安門で戦車を止めた男と、同じ瞬間を撮った4人のカメラマン

目次

くそ、あの男が俺の構図を台無しにする

1989年6月5日、北京飯店のバルコニー。AP通信のJeff Widenerは手すりごしに、400ミリの望遠レンズで長安街を進む戦車の列を狙っていました。カメラはニコンFE2。フィルムは、この日ようやく手に入れた1本きりです。

ファインダーの中で戦車隊の構図が決まりかけたその瞬間、右側からひとりの男が画面に入ってきます。白いシャツ。両手に買い物袋。

「くそ、あの男が俺の構図を台無しにする」

Widenerがそう漏らすと、隣にいたアメリカ人学生が叫びました。「あいつ、殺されるぞ!」

男が戦車の前で立ち止まる。先頭の戦車が回り込もうとする。男が立ち位置をずらして、また塞ぐ。距離が遠すぎる、とWidenerは判断します。ベッドの上には焦点距離を倍にするテレコンバーターがある。取りに戻れば決定的瞬間を逃すかもしれない。それでも彼はベッドに走り、アダプターをレンズに装着し、800ミリ相当になった望遠でシャッターを3回切りました。鮮明だったのは1枚だけでした。

その1枚が、20世紀でもっとも複製された写真のひとつになります。

ただ、この1枚が「決定版」として世界の記憶に刻まれるまでには、まだ長い道のりがありました。同じ瞬間を撮っていた別の3人のカメラマン。20年後に地上から現れた5枚目の写真。そして「英雄」と「不良」のあいだで揺れ続けた映像の解釈。フレームに何を入れて何を切るかという、写真の最初の問いが、抵抗の象徴と政府の自制の証拠という正反対の意味を同時に育てていく――そういう話です。

6週間の春、そして6月3日の夜

その日の朝までに、北京の街路には焼け焦げたバスと潰れた自転車が転がっていました。

すべては1989年4月15日に始まります。元中国共産党総書記の胡耀邦が、心臓発作で亡くなりました。胡は1987年、学生運動に寛容すぎたとして総書記の座を追われていた人物。学生たちは彼を、政治的自由化の犠牲者と見ていました。死の2日後、4月17日、北京の大学生たちが天安門広場に集まり始めます。

4月22日の追悼式には数万人が集まり、政府への請願を試みましたが無視されました。4月27日には数万人規模のデモ。5月13日には学生たちがハンガーストライキに入り、5月15日にはソ連の改革派指導者ミハイル・ゴルバチョフが訪中します。中ソ関係の歴史的和解でした。中国政府は、天安門前で行うはずだった歓迎式典を移さざるをえません。世界中の特派員が、そのぎこちない式典を取材するために北京に集まっていました。

これが、6月の悲劇を世界が見ることになった偶然の構造です。ゴルバチョフ訪中という外交イベントが、報道カメラの集積をたまたま北京につくり出していました。

5月20日、戒厳令。6月3日深夜から4日未明にかけて、人民解放軍が市街地に進攻し、発砲しました。死者数は中国政府の公式発表で約200人。人権団体や、後年公開された英国の外交公電などによる推計では、数百人から1万人規模まで大きく幅があります。

Widenerはこの夜、燃える装甲車を撮影していました。カメラを目に当てた瞬間、飛んできた石が顔面を直撃します。ニコンF3チタンのボディが衝撃を吸収して命は助かりましたが、カメラは壊れ、重い脳震盪が残りました。おまけにインフルエンザにもかかっていました。翌朝、AP北京支局では3人の写真部員がくじを引き、天安門へ向かう役を決めます。Widenerが引いたのは短いほうでした。

4人のカメラマン、4つのフレーム

北京飯店は天安門広場から東へおよそ800メートル。長安街を見下ろせる、外国人記者が入り込める数少ない建物でした。Widenerはジャケットの内側にカメラと400ミリレンズを隠し、ロビーで見かけたアメリカ人学生Kirk Martsenに「よう、ジョー!」と旧友を装って声をかけ、彼の部屋へ上がり込みます。

そこでフィルムが尽きました。自分は外に出られない。Martsenが数時間かけてホテル内を探し回り、旅行者から譲り受けた1本を持って戻ります。富士のカラーネガ、ISO100。Widenerがふだん使っていたのは800でした。3段ぶん暗い設定のまま、シャッター速度は限界まで遅くなります。

同じ頃、別のバルコニーでは、Newsweek所属のCharlie Coleと、報道写真家集団マグナム・フォト所属のStuart Franklinが並んでいました。さらに別の部屋――1111号室――では、ロイター通信のArthur Tsang Hin Wahが望遠レンズを構えていました。

4人が押したシャッターの差は、おそらく数秒。それでも4枚の写真は、それぞれ違う物語を語っています。

4つの異なる構図で同じ被写体をフレーミングするカメラビューファインダーの概念図

Widenerのフレーム(AP通信):59式戦車4台と男。男は画面のやや左、戦車の列は右上から左下へ斜めに伸びていきます。直線と直線の交差点にひとりの人間が立っている――鉄塊の対角線と、男ひとりぶんの垂直線。構図の幾何学そのものが、衝突の絵をつくっていました。

Coleのフレーム(Newsweek):300ミリで、もっとタイトに切り取られています。戦車の質量が画面を埋め、男は隅へ追いやられた位置にいます。望遠ならではの空間圧縮で、戦車の鼻先と男の距離はほとんどゼロに見えます。「確実に死ぬと思いながら撮り続けた。ところが驚いたことに、先頭の戦車は止まり、彼を避けようとした」とColeは後に回想しています。

Franklinのフレーム(マグナム・フォト):もっとも引いた構図。長安街の幅、戦車隊の長さ、男の小ささ、背景に焼け落ちたバス。すべてが一枚に収まっています。男はそのスケールの中で孤立して見えます。この写真は『TIME』誌に掲載されました。

Tsangのフレーム(ロイター):他の3人と最も性格を異にします。Tsangが送ったカットからデスクが最初に選んだのは、戦車によじ登った男が乗員と話している瞬間でした。立ち向かう写真ではなく、対話の写真です。他社の「立ち向かう男」が世界を駆け巡ってから、ロイターのデスクはTsangのネガを見直し、数時間後になって、男が戦車の前に立ち尽くす1枚を選び直しました。Tsangは後にこう語っています。「彼が降りてくると、歩道から4、5人が出てきて彼を引きずっていった。そのまま永久に消えた」

望遠か、もっと長い望遠か。戦車の列か、男の対話か。同じ数分間を、4人はそれぞれ別の写真として持ち帰りました。

フィルムを国外へ持ち出すという仕事

写真を撮ることと、写真を世界に届けることは別の仕事です。

撮影後まもなく、中国公安局の捜査員がColeの部屋に踏み込みました。彼らはカメラからフィルムを引きずり出し、パスポートを没収し、「戒厳令下に撮影した」という供述書への署名を強要します。当時のColeは知りませんでしたが、それは重い懲役刑につながりうる書面でした。部屋の外には見張りが置かれます。

35ミリフィルム缶がトイレタンクの水中に沈められている様子、隣接して茶葉の缶に隠されたフィルムの静物イメージ

捜査員が破壊したのは2本。未使用の1本と、負傷した市民を撮った現像前の1本でした。Coleはその2本を囮として差し出していたのです。戦車の写真が入ったロールは、プラスチックの缶に収めてトイレの貯水タンクに沈めてありました。捜査員が去ってから、彼はそれを引き上げ、AP支局へ持ち込んで現像し、ニューヨークのNewsweekへ送っています。

Franklinは別の方法で持ち出しました。「運が良かった。フィルムを人に預けてパリへ運んでもらい、問題なく通過した」。運んだのはフランス人留学生で、お茶の小箱にフィルムを忍ばせていました。マグナム・フォトのパリ・オフィスで現像され、複製されて世界中に配信されます。

Widenerのフィルムを運んだのは、部屋の主だったKirk Martsenでした。彼はフィルムを下着に押し込み、自転車でAP支局を目指します。長髪、薄汚れたランボーのTシャツ、サンダル。プレスバッジを持ったジャーナリストとは誰も思いません。ところがMartsenは道に迷い、AP支局にたどり着けませんでした。行き先を米大使館に変え、門衛にフィルムを託します。大使館職員の手を経て、それはようやくAPに届きました。

撮影と現像のあいだ、写真は何度も消えかけました。歴史的瞬間が、トイレの貯水タンクと茶葉と大学生の下着で生き延びた――この事実そのものが、フォトジャーナリズムの別の物語です。

5人目の証言と、20年後の地上

ここまでが、世界が長く「タンクマンの真実」として知っていた話です。北京飯店から見下ろした4人のカメラマン。

2009年6月、事件から20年の節目に、『ニューヨーク・タイムズ』の写真ブログが4人の証言を並べた記事を出しました。それを読んだひとりの男が、編集部に連絡を入れます。AP記者のTerril Jonesでした。

彼は記者であって写真家ではありません。当時、北京飯店のすぐそば、街路に立っていました。「戦車がうなりを上げる音と、広場のほうからの銃声が聞こえた。人々が身をかがめて走るのが見えたので、自分が身を隠す前に、カメラを構えて一枚だけ撮った」。ニコンF-801、ズームの広角端、おそらく28ミリ。撮影後、彼はそれが何を写しているのか気づきませんでした。数週間後、日本に戻ってフィルムを現像して初めて、自分の手元にあるものの意味を理解します。ネガはその後20年、彼の荷物の中で世界を移動し続けました。

長安街の地上目線、手前に逃げる自転車のシルエット、奥に小さく戦車と立つ人物の構図

Jonesの写真は、4人のものとは根本的に違います。

目線の高さ。画面の手前には、身をかがめる人、逃げる人が大きく写っています。画面の右から戦車が迫り、左へ人が走る。タンクマンは奥のほう、戦車の進路の先に小さく立っています。しかもこの一枚は、戦車が彼の前で停止する直前――対決がまだ成立していない瞬間を捉えていました。

地上からの広角は、4人の望遠が消したものを写していました。その場にいた人びとの恐怖、逃げる足、街そのものの規模です。タンクマンが立っているその瞬間、彼の後ろでは、ふつうの北京市民が必死で逃げていました。英雄の肖像ではなく、街が壊れていく風景の中の一点として、彼はそこにいます。

フレームの外側で起きたこと

タンクマン本人の身に何が起きたのか、いまも分かっていません。

事件から3週間ほど後、ロンドンのタブロイド紙『サンデー・エクスプレス』が、男は「王維林(ワン・ウェイリン)、19歳の学生」だと報じました。政治的フーリガン行為の罪に問われた、という続報まで付いていました。ところが中国共産党の内部文書を引いた香港の人権情報センターによれば、当局はそのような人物を見つけられなかったといいます。決定的だったのは、何年も後、当の記事を書いた記者本人が、あの名前は自分がでっち上げたものだと認めたことです。

1990年5月、米ABCの報道番組『20/20』で、ベテランキャスターのBarbara Waltersが当時の党総書記・江沢民に写真を示し、この男はどうなったのかと問いました。江ははじめ笑みを浮かべ、英語と中国語を行き来しながら「戦車に轢かれてはいない」と繰り返します。逮捕されたのか、処刑されたのかと重ねて問われると、表情を硬くして「逮捕されたかどうかは確認できない」と答え、最後にもう一度、英語でこう言いました。「殺されてはいない、と思う」

中国国営メディアがタンクマンの映像を使ったのは、事件直後の一度だけです。番組はその男を「孤独なならず者」と呼び、彼の抗議の映像を、人民解放軍が「最大限の自制を示した」証拠として提示しました。同じ映像が、抵抗のシンボルにも、軍の自制の証明にもなる。フレームと言葉の組み合わせ次第で、写真は逆の意味に立ち上がります。

Widenerが世界の記憶になった理由

翌日、世界中の新聞の一面を飾ったのはWidenerの版でした。AP通信網に乗ったぶん、配信の速さと到達範囲が他を引き離します。翌朝、彼が支局に着くと、クリップボードには祝辞の電報が束になっていました。英国の全紙が一面に使った、欧州の全紙が一面に使った、と。

賞の行方は、また別でした。ワールド・プレス・フォトの大賞を獲ったのはColeのタイトな一枚です。ただしニューデリーで行われた審査の内情を知る関係者によれば、それは僅差で、当初は焼け落ちたバスが背景に写るFranklinの引いた構図のほうが有力だったといいます。デスクの数センチの判断が、どの構図が「その年の一枚」になるかを決めていました。

Widener自身はピュリッツァー賞のファイナリストに残りましたが、受賞はしていません。それでも世界の集合的記憶の中心にあるのは彼の構図です。Tsangの「戦車に登る男」は、ロイターのアーカイブから掘り起こされた後も「もう一つの版」のまま。Jonesに至っては、20年遅れの登場でした。

Cole自身は、この一枚だけが象徴になってしまったことを悔やんでいました。あの日、広場とその周辺で危険を冒した他の写真家たちの仕事が、この一枚の影に隠れてしまう。親しい友人たちにさえ、彼は受賞の話をほとんどしなかったといいます。

写真が「象徴」になるとき、選ばれるのはたいてい1枚だけ。残りの版は、編集者のデスクで、通信社のサーバーで、誰かの引き出しのフィルム缶の中で、別のフレームを抱えたまま脇に置かれます。現在、この出来事を写した写真は6つのバージョンが知られており、近年もなお、当時その場にいた別の撮影者の存在が指摘されています。

タンクマンの「真実」は、4人のカメラマンと、1人の遅れて来た記者と、編集デスクの判断と、検閲する国家と、名前をでっち上げた西側タブロイドのあいだで、いまもひとつに収束していません。あの数分間に誰よりも近かったのは先頭の戦車の車長で、その名前も顔も、やはり公開されていません。

写真の構図とは、ファインダーの中で線をどう引くかという話に見えます。実際にはそこから先――誰が撮り、どの社が配信し、誰が一枚を選び、どの国が見せて、どの国が見せないか――まで含めての構図でした。

タンクマンの写真は、いまも中国本土では検閲対象です。30周年にBBCの取材班が中国国内でこの画像を見せて回ったところ、8割ほどの人が見たことがないと答えました。それでもその「見えない1枚」は、世界中の抗議運動の壁に、ステンシルで、Tシャツで、繰り返し現れ続けています。

無名のまま消えた男ひとりが、4人のカメラマンの指先と、1人の地上の記者の偶然と、数えきれない編集者の選択を経て、いまも見られ続けている。フレームに入れるか入れないかという、写真の最初の問いを残したまま。

基本データ

出来事
タンクマン(Tank Man/坦克人。無名の抗議者、Unknown Rebel とも)
日付
1989年6月5日
場所
長安街、北京(天安門広場の東側、北京飯店前付近)
戦車
59式戦車(Type 59)4台の前進を一時停止させた
撮影者
Jeff Widener(AP通信)/Charlie Cole(Newsweek、1955-2019)/Stuart Franklin(マグナム・フォト、TIME掲載)/Arthur Tsang Hin Wah(ロイター)/Terril Jones(AP通信、地上から撮影、2009年公表)
撮影機材(Widener)
ニコンFE2+Nikkor 400mm f/5.6 ED IF+TC-301テレコンバーター(実効800mm相当)/富士カラーネガ ISO100
撮影位置
北京飯店のバルコニー・客室(天安門広場から東へ約800メートル)。Jonesのみ街路の地上
主な評価
ワールド・プレス・フォト大賞(Coleの版)/TIME誌「最も影響力のある100枚の写真」(Widenerの版)/Widenerは1990年ピュリッツァー賞ファイナリスト
被写体の身元
不明。中国国内では現在も検閲対象

Q&A

なぜタンクマンの正体は今もわからないのでしょうか?
事件直後にイギリスのタブロイド紙『サンデー・エクスプレス』が「王維林(19歳の学生)」と報じましたが、後年その記事を書いた記者本人が、名前は自分の創作だったと認めています。中国共産党の内部文書を引いた香港の人権情報センターも、当局はその人物を見つけられなかったと報告しました。1990年に米ABCのバーバラ・ウォルターズが江沢民に直接尋ねた際も、明確な答えは得られていません。中国国内では事件そのものが検閲対象で、写真も公式には流通していません。
なぜ4人とも北京飯店から撮ったのですか?
北京飯店は天安門広場から東へおよそ800メートルの位置にあり、長安街を見下ろせる数少ない建物でした。戒厳令下で外国人ジャーナリストの動きは厳しく制限され、広場周辺で堂々と撮影することは不可能です。長安街を東に進む戦車隊を比較的安全に俯瞰できる拠点が、このホテルでした。Widenerはジャケットにカメラを隠して学生の部屋に潜り込み、Coleは部屋を捜索される直前にフィルムをトイレの貯水タンクへ沈めています。
なぜJeff Widenerの写真が「決定版」になったのですか?
最大の理由はAP通信網の配信力です。撮影当日のうちに世界中の新聞社へ配信され、翌朝の一面に間に合いました。構図の読みやすさ――戦車の対角線と男の小さなシルエットの対比――も、編集者にとって「ひと目で意味が伝わる」1枚にしていました。ただし賞の行方は別で、ワールド・プレス・フォトの大賞はCharlie Coleのタイトな版が受賞しています。Widenerはピュリッツァー賞のファイナリストに残りましたが、受賞はしていません。
5人目のテリル・ジョーンズの写真は何が違うのですか?
他の4人が北京飯店の上層階から望遠レンズで撮ったのに対し、Jonesは長安街の地上、広角で撮りました。画面の手前には身をかがめる人や逃げる市民が大きく写り、タンクマンは奥に小さく立っています。しかもこの一枚は、戦車が彼の前で停止する直前を捉えたもの。「英雄的な対決」ではなく「街全体が混乱している中の一瞬」として記録されている点が、構図として根本的に異なります。Jones自身は記者であって写真家ではなく、現像するまで何を撮ったか気づかず、公表は2009年の20周年まで遅れました。
中国当局はこの写真をどう扱ったのですか?
事件直後、中国国営テレビが一度だけこの映像を使いました。番組はタンクマンを「孤独なならず者」と呼び、彼の抗議の映像を、人民解放軍が最大限の自制を示した証拠として提示しています。同じ映像が、西側では「抵抗の象徴」、中国では「軍の自制の証明」として使われたわけです。その後、写真も映像も中国本土の公式メディアからは消え、現在もネット上での流通は厳しく制限されています。

参考文献

Tank Man – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Tank_Man
Tank Man | Significance, Photo, China, & Identity | Britannica
https://www.britannica.com/biography/Tank-Man
The Greatest Protest Photos of All Time(Patrick Witty によるWidener/Cole/Franklin/Tsang の証言)
https://patrickwitty.substack.com/p/the-greatest-protest-photos-of-all-time
Stuart Franklin and the Tank Man | Frontline Club
https://www.frontlineclub.com/stuart-franklin-and-the-tank-man/
Tiananmen Square 30 years ago with the Nikon F-801(Terril Jones 本人の手記)
https://nikonrumors.com/2019/07/14/tiananmen-square-30-years-ago-with-the-nikon-f-801-the-fifth-view-of-the-tank-man.aspx/
Tank Man at 25: Behind the Iconic Tiananmen Square Photo | TIME
https://time.com/3809688/tank-man-iconic-tiananmen-photo/
Tiananmen square anniversary: how Jeff Widener photographed Tank Man | Global News
https://globalnews.ca/news/1371784/tiananmen-square-anniversary-how-jeff-widener-photographed-tank-man/
In memoriam: Photojournalist of Tiananmen’s iconic Tankman passes away in Bali | The Jakarta Post
https://www.thejakartapost.com/life/2019/09/15/in-memoriam-photojournalist-of-tiananmens-iconic-tankman-passes-away-in-bali
Jeff Widener – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Jeff_Widener

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