ダイアグラムの美学|ナイチンゲールのローズ・ダイアグラム1858

ダイアグラムの美学|ナイチンゲールのローズ・ダイアグラム1858

目次

クリスマスの手紙

1857年12月25日、ロンドン。37歳のフローレンス・ナイチンゲールは病床から一通の手紙を書いていました。クリミア戦争から戻って1年半。慢性的な体調不良で、彼女は文字どおりベッドの上を執務室にしていました。

宛先は政治家シドニー・ハーバート卿、王立委員会の議長。クリスマスの日にしたためられた手紙には、こんな一文がありました。

「報告書の付録の組版で印刷したら、誰も読まないでしょう。学者しか付録は開きません。これは庶民のための本です」

彼女が「コクスコム(coxcomb)」と呼ぶ小冊子の相談でした。コクスコムとは雄鶏のとさかのこと――派手で、目立ち、人の視線をさらう飾りを指します。彼女は王立委員会の分厚い報告書から重要な図表を抜き出し、色鮮やかなパンフレットとして2,000部、自費で刷り直そうとしていました。

「報告書の付録は誰も読まない」――この当たり前の観察から、彼女はグラフを別の目的で使いはじめます。データを正確に伝えるためではなく、政治家を動かすため。ナイチンゲールは色鮮やかなパンフレット2,000部を政府の机に置き、統計と説得を切り離した最初の人物になりました。その一手が、いまダッシュボードやインフォグラフィックとして流通している「見せるデータ」の原型を作ります。

スクタリの惨状

3年前、彼女はイスタンブール対岸スクタリの軍病院にいました。クリミア戦争(1853-1856)が始まり、イギリス兵が次々と送られてきていた時期です。彼女が目にしたのは、戦闘で運ばれてくる負傷兵より、シラミと汚物のなかで死んでいく兵士のほうがはるかに多いという事実でした。

赤痢、コレラ、チフス。死因の大半は感染症です。当時のイギリス主席医務官ジョン・サイモンは、ある種の感染症による死は実質的に避けがたいものだ、と公言していました。微生物学はまだ確立されておらず、「悪い空気(miasma)」が病をもたらすという説が主流。手洗いも換気も体系化されていない時代です。

スクタリ病院に着いた彼女がまず驚いたのは、死者数の登記簿が三種類存在し、しかもどれも違う数字を記していたことでした。三つの帳簿、三つの異なる死者数。看護より先にやるべきは統計の規格化だ――そう判断した彼女は、克明な記録を取り始めます。何月に何人が、どの原因で死んだのか。後にあの「コクスコム」の素材となる、徹底した死亡データの蓄積はこのとき始まりました。

「事実」では人は動かない

戦後、彼女はロンドンに戻ります。ヴィクトリア女王とアルバート公に直接面会し、英国軍の衛生改革の必要性を訴えました。王立委員会が設置され、1858年には総ページ853にも及ぶ大部な報告書『英国軍の健康、能率、病院運営に影響する事項についての覚書』が刊行されます。

ところが彼女は「数字を並べれば人は理解する」という思い込みを早々に捨てていました。協力者の統計学者ウィリアム・ファー――一般登記庁の主席統計官で、当時の英国を代表するデータの専門家――は、報告書を読みやすくしようとするナイチンゲールに何度も苦言を呈します。

「印象はいらない。事実が欲しい」
「統計と因果関係を混ぜる癖だけは、何度言っても聞き入れてくれない」

ファーにとって統計とは「もっとも乾いた読み物」であるべきでした。データはデータ、事実は事実として淡々と並べる。ところがナイチンゲールは、それでは政治家を動かせないと知っていました。853ページの報告書を最後まで追う議員などいない。彼女が考案したのは、感情を動かす装置としての図表でした。

ローズ・ダイアグラムの設計

1858年、彼女は自費出版で『英国軍の死亡率(Mortality of the British Army)』を刊行します。報告書の付録を独立した冊子として作り直したものです。そこに収められた「東方軍における死因のダイアグラム(Diagram of the Causes of Mortality in the Army of the East)」が、のちに「ローズ・ダイアグラム」あるいは「コクスコム(鶏冠図)」と呼ばれる図表でした。

円が二つ。左が1855年4月から1856年3月、右が1854年4月から1855年3月のデータ。各円は12のくさび(月)に分割されます。くさびの面積――半径ではなく、面積――が、その月の死亡率を表しています。

色は三色で塗り分けられました。

  • 青:感染症など予防可能な疾病による死
  • 赤:戦闘負傷による死
  • 黒:その他の原因による死

二枚を並べると、何が見えるか。1855年3月、現地に衛生委員会が派遣されます。それを境に、右の円で巨大に膨れ上がっていた青い面積が、左の円では劇的に縮んでいます。換気、清掃、給水改善――地味な衛生改革の効果が、爆発のような形象で目に飛び込んできます。

ナイチンゲールが選んだのは棒グラフではなく、円形でした。社会史家ヒュー・スモールは王立統計学会での講演で、この選択を「説得装置として極めて合理的だった」と論じています。時系列を直線で示せば、改善は「遠い右端の出来事」に見えてしまう。だが二つの円を並列に置くと、対比が一瞬で読み取れる。「改革前」と「改革後」が、別の世界として可視化されました。

「コクスコム」は図ではなかった

ひとつ訂正しておくべきことがあります。ナイチンゲール自身は、あの円形の図のことを「コクスコム」とは呼んでいません。

シドニー・ハーバート宛ての手紙で彼女が「コクスコム」と呼んでいたのは、図・表・テキストを綴じ込んだ小冊子そのものです。報告書本体という「真面目な本」のなかで、目立ち、人の視線をさらう「派手な付け足し」。それが彼女の言うコクスコムでした。

「コクスコム=ローズ・ダイアグラム」という誤解は20世紀に広まったもの。統計学者デイヴィッド・スピーゲルハルター卿らは現在、より正確な「ポーラー・エリア・チャート(極座標面積図)」という呼称を提唱しています。しかし「ローズ」「コクスコム」の通称があまりに定着しすぎたため、修正は容易ではありません。

1858年、王立統計学会へ

『英国軍の死亡率』が刊行された1858年、彼女はもうひとつの歴史を刻みます。王立統計学会(当時のロンドン統計学会、1834年設立)の最初の女性フェロー(会員)に選出されました。1874年にはアメリカ統計学会の名誉会員にも選ばれています。

世紀のはじめ、スコットランドの政治経済学者ウィリアム・プレイフェアが棒グラフと折れ線グラフ(1786年)、続いて円グラフ(1801年)を発明していました。プレイフェアは技法を作った人物。それを「人を動かすための道具」として完成させたのが、半世紀後のナイチンゲールです。

時を同じくして、1854年のロンドンではソーホー地区でコレラが大流行していました。医師ジョン・スノウは被害者の住所を地図上にプロットし、ブロード・ストリートの井戸を中心とする死の集積を可視化します。ポンプのハンドルが外され、流行は終息しました。地図とグラフ、ふたつの「データ可視化」が、ほぼ同時期、別々の場所で公衆衛生を動かしていました。

美しさと正確さの綱引き

ローズ・ダイアグラムは、現代の情報デザインの世界では論争の的でもあります。データビジュアライゼーション理論の第一人者エドワード・タフティは、自著『定量的情報の視覚的表示』のなかでナイチンゲールに触れず、代わりにフランスのシャルル・ジョセフ・ミナールが1869年に描いたナポレオン軍のロシア遠征チャートを「これまで描かれた最高の統計グラフかもしれない」と評価しました。

タフティは別の場でこう書いています。「美しいくさびを描いて、あとから事実をはめ込むのはデザインではない」――遠回しなナイチンゲール批判でした。

くさびの面積で量を示す手法は、棒グラフより数値の読み取り精度が落ちます。同じ12カ月のデータを単純な棒グラフで描いたほうが、正確な比較ができる――技術的にはその指摘に分があります。

しかしナイチンゲールが狙っていたのは、精密な比較ではありませんでした。「衛生委員会の到着前と到着後では、別の世界だった」という命題を、ひと目で、政治家の机に置かれた一瞬で伝えること。爆発するような青いくさびと、それが収縮した姿。あの図表は議論に勝つために設計されていました。

ダッシュボードのなかのナイチンゲール

新型コロナ感染症が世界で流行した2020年から数年間、感染者数や死亡率を伝える「ダッシュボード」が日々更新されました。ジョンズ・ホプキンス大学の世界感染状況マップ、Worldometer、各国保健省の折れ線グラフ、新聞各紙のインフォグラフィック。

そこにあるのは、約150年前のナイチンゲールがやろうとしたことの直系の子孫です。データを「読み解く」のではなく「見て理解する」。グラフは情報伝達の道具であると同時に、政策を動かすためのプレゼンテーション装置でもあります。

棒グラフが正確であることと、グラフが人を動かすこと。両者は別の問題です。ナイチンゲールはその分裂を1858年に直視した最初の人物でした。報告書の付録の数字は誰も読まない。しかし青と赤と黒で塗り分けられた円は、見た人を立ち止まらせる。これが彼女の発明でした。

クリスマスの日、ハーバート卿に書き送った一文――これは庶民のための本です――には、データの民主化という思想の萌芽が含まれています。専門家の数表から、一般人の目に届くビジュアルへ。ダイアグラムを「美学」として扱った最初の瞬間が、そこにありました。

Q&A

「コクスコム」と「ローズ・ダイアグラム」は同じものですか?
厳密には違います。ナイチンゲール自身は、図・表・テキストを綴じた小冊子全体を「コクスコム」と呼んでいました。あの円形の図そのものを指す言葉ではありません。20世紀以降に図と冊子が混同され、現在では「コクスコム=ローズ・ダイアグラム」として通用しています。専門家のあいだでは中立的な「ポーラー・エリア・チャート」という呼称も使われます。
なぜナイチンゲールは棒グラフを使わなかったのですか?
説得力を優先したからです。棒グラフは数値の比較に優れていますが、時系列を直線で示すため「改善は遠い右端の話」に見えてしまう。彼女は衛生委員会到着前と到着後を二つの円として並べました。「改革前」と「改革後」を別の世界として一瞬で印象づけるための選択です。社会史家ヒュー・スモールはこの構成を「説得装置として極めて合理的」と評しています。
ジョン・スノウのコレラ地図とナイチンゲールのグラフはお互いに影響しあっていますか?
直接的な影響関係は確認されていません。スノウのブロード・ストリート・コレラ地図は1854年、ナイチンゲールの図は1858年で時期は近接していますが、別々に生まれました。共通しているのは「数字の表ではなくビジュアルでデータを語る」という発想と、両者ともそれが公衆衛生を実際に動かしたことです。19世紀半ばのイギリスは、データ可視化が複数の場所で同時並行的に発明された時代だったといえます。
あの図表は実際に英国軍の死亡率を下げたのですか?
図表単独の効果を切り分けることは困難ですが、これに後押しされた1858年の王立委員会勧告のあと、英国軍は衛生改革を進めました。ナイチンゲール自身は1859年にインド派遣軍の衛生状態を調査する第二の王立委員会の設立にも関わっています。彼女は生涯で150を超える書籍・パンフレット・報告書を執筆し、軍と公衆衛生のデータ整備に貢献し続けました。
現代のデータビジュアライゼーションで彼女から学べることは?
「正確さ」と「伝わる力」は別の問題だ、ということです。ナイチンゲールの図表は数値の読み取り精度では棒グラフに劣ります。しかし議論の場面で人を立ち止まらせ、判断を変えさせる力では棒グラフを上回りました。報告書の数字は誰も読まない。だが意図して設計された一枚の絵は政策を動かしうる――この発見が、現代のあらゆるダッシュボードやインフォグラフィックの根底にあります。

参考文献

A statistical campaign: Florence Nightingale and Harriet Martineau’s England and her Soldiers – Science Museum Group Journal
https://journal.sciencemuseum.ac.uk/article/nightingale-and-martineau/
How Florence Nightingale Used Data Visualization to Save Lives – Office for Science and Society, McGill University
https://www.mcgill.ca/oss/article/how-florence-nightingale-used-data-visualization-save-lives
Florence Nightingale’s “Rose” Diagram – Maharam Stories
https://www.maharam.com/stories/sherlock_florence-nightingales-rose-diagram
Florence Nightingale’s statistical diagrams – Hugh Small (University of York)
https://www.york.ac.uk/depts/maths/histstat/small.htm
Florence Nightingale: a lady with more than a lamp – Significance, Royal Statistical Society
https://rss.onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/j.1740-9713.2008.00327.x
Florence Nightingale’s statistical graphics – Edward Tufte Notebook
https://www.edwardtufte.com/notebook/florence-nightingales-statistical-graphics/
Mathematics of the Coxcombs – Understanding Uncertainty
https://understandinguncertainty.org/node/214

基本データ

人物
フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale)
生没年
1820年5月12日 – 1910年8月13日
出生地
イタリア・フィレンツェ(両親はイギリス人)
主要な肩書き
看護師、統計学者、社会改革者
代表的著作
『英国軍の健康、能率、病院運営に影響する事項についての覚書』(1858年)、『英国軍の死亡率』(1858年・自費出版)、『英国軍の衛生史への寄稿』(1859年)、『看護覚え書き』(1860年)
代表的グラフ
「東方軍における死因のダイアグラム」(1858年)、通称「ローズ・ダイアグラム」「コクスコム」「ポーラー・エリア・チャート」
初出
1858年・王立委員会報告書付録72ならびに自費出版冊子『Mortality of the British Army』
王立統計学会フェロー就任
1858年(女性として初。次の女性フェローまで100年以上)
主な協力者
ウィリアム・ファー(統計学者)、シドニー・ハーバート卿(王立委員会議長)、アドルフ・ケトレー(ベルギーの統計学者)
同時代の関連人物
ジョン・スノウ(1854年・ブロード・ストリート・コレラ地図)、ウィリアム・プレイフェア(1786年・棒グラフと折れ線グラフの発明、1801年・円グラフの発明)、シャルル・ジョセフ・ミナール(1869年・ナポレオン軍ロシア遠征チャート)

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