世界で最も有名な椅子|イームズ・ラウンジチェアが「モダンの贅沢」を再定義した方法

世界で最も有名な椅子|イームズ・ラウンジチェアが「モダンの贅沢」を再定義した方法

目次

1956年のある日のNBCスタジオ、昼の生活情報番組『ホーム』のセット。司会者アーリーン・フランシスが、布で覆われた何かを指さして大袈裟に手をかざす。布が引かれると、現れたのは黒い革と、深い茶色の木目を持つ一脚の椅子と、対になるオットマン。「これは、すごい変わりようね、チャールズ」とフランシスは笑う。「とても気持ちよさそうだわ」。隣に立つチャールズ・イームズと妻のレイは、少し気恥ずかしそうに微笑む。

この時点で夫妻はすでに「安くて良い家具を大衆に届ける人たち」として名を成していた。プライウッド成形のダイニングチェア、繊維強化プラスチックのシェルチェア、針金で編んだ椅子。当時のニューヨーク・タイムズは、アメリカの家庭にすでに約100万脚のイームズの椅子があると報じていた。だからフランシスの言った「departure(変わりよう)」は、単なる新作の披露ではない。夫妻が「モダンを大衆に届ける」から、「モダンから冷たさを取り除く」へと軸を移した瞬間の話だった。使い込んだ野球のミットを思わせるその椅子を、設計者チャールズ本人は最後まで「ある種の醜さ」と呼び続けた。それでも椅子は半世紀を超えて売れ続けている。

テレビが家具を発表した日

NBCの『ホーム』(原題 Home)は1954年から1957年まで放送された昼の番組で、料理、子育て、住まい、ファッションまでを扱う女性視聴者向けの生活情報番組だった。司会のフランシスは女優・パーソナリティで、のちにクイズ番組『ホワッツ・マイ・ライン?』でも知られる。チャールズはこの番組で、自分たちの過去の作品からの「裏切り」を披露することになる。

それまでのイームズ夫妻が作ってきたのは、戦時中に開発したプライウッド成形技術を応用した、軽くて安い椅子だった。米海軍のために作った負傷兵用の脚部副木――合板を曲面に成形して人体に沿わせる技術の最初の本格的な実装――これが戦後の家具開発の土台になった。「ハーマンミラーは一度も、市場のために作品を作ってくれと言ったことはない」とチャールズはフランシスに語っている。作っているのは美しいもの、より良いもの、より楽しいもの。安価かどうかは結果でしかなかった。

ところがロサンゼルスのヴェニス、ワシントン・ブールバード901番地――夫妻が「901」と呼んだ工房――で1950年代前半に形を取りつつあったのは、明らかに高級品だった。1943年に廃車整備工場を改装したその20,000平方フィート(約1,860平方メートル)の空間には、家具の試作品、世界博のための展示什器、玩具、ペットのタコ、フィルムの試写室、可動式の壁が同居していた。プライウッドを曲げる工具と、宇宙のスケールを映像化する編集機が、同じ屋根の下にあった。

最初からシワの入った革

チャールズ・イームズが残した言葉のなかで、最もよく引かれるのがこれだ。「革のクッションには最初からシワが入っている。けれどそれは、これから訪れる快適さの予告なのだ。使い込まれた一塁手のミット(野球の捕球具)が持つ、温かく迎え入れる表情のように」。

新品なのにシワがある。工業製品なのに、他人が先に使い込んだ道具の顔をしている。こんな売り文句は、それ以前のモダニズム家具にはなかった。チャールズ自身は、自分がやろうとしたことを「英国のクラブチェアの現代版」だと繰り返し説明している。モダンの新形式を発明するのではなく、19世紀から続く重たい安楽椅子を、20世紀の技術で組み直す仕事だった。

ル・コルビュジエの『LC4』シェーズロングは1928年。バウハウスのマルセル・ブロイヤーがクラブチェア『ヴァシリー』を発表したのが1925年。20世紀前半のモダニズム家具は、鋼管やクロームの冷たい質感と、機械的なフォルムを誇示してきた。座り心地は二の次だった。イームズ夫妻はその語彙を捨てる。

設計の核は3枚の成形プライウッド・シェル。背もたれ、座面、ヘッドレストがそれぞれ独立した曲面として作られ、ネオプレン製のショックマウントで連結される。座面の下には5本脚の鋳造アルミベース。座面と背もたれにはダウンフェザーを詰めたレザー・クッションが乗る。最初の生産モデルの表面材は、ブラジリアン・ローズウッド。深い茶色と、黒く流れる強い木目を持つ、20世紀中盤の高級家具の代名詞だった。

1956年の発売価格は310ドル――現在の貨幣価値で約3,100ドル相当。当時のシアーズ・カタログでソファセット一式が買える金額だった。製造はミシガン州ジーランドのハーマンミラー工場。組み立ては手作業で、ショックマウントは一脚ずつ衝撃試験を受け、レザーは個別に検品される。今もそうだ。

ビリー・ワイルダーの50歳の誕生日

チャールズと映画監督ビリー・ワイルダーは古い友人だった。互いの結婚式に出席し合う仲で、ワイルダーは一時、夫妻に自宅の設計まで依頼している(計画は夫人がガラス張りの案に反対して頓挫した)。チャールズは1957年公開の『翼よ! あれが巴里の灯だ』のためにモンタージュ・シーンを作っている。

1956年6月22日、ワイルダーは50歳になった。プロダクション初期のラウンジチェアとオットマンのセットが、彼への誕生日プレゼントとして送られた。MoMAデザインストアの公式説明によれば、ワイルダーが受け取ったのは生産ラインから2番目に出てきた一脚だという。「最初の一脚」と書く資料もあり、当事者の証言や記録にばらつきがある。

ただし、よく流布される「ワイルダーが撮影所で居眠りする姿を見て夫妻が発想した」という物語については、注意が要る。イームズ・オフィスの公式記録は、ラウンジチェアそのものの直接の発想源としてワイルダーを挙げていない。撮影所のワイルダーがソーホースに板を渡して仮眠していた話が直接結びついたのは、1968年に出た細身のシェーズロング(ES106)のほう。ラウンジチェアの開発は1940年代後半から続いていた、もっと長い実験の結果だった。

とはいえ、最初の量産品を「匿名の市場」ではなく、特定の友人に贈ったという事実は無視できない。チャールズとレイは、この椅子を最初に置く場所を、ハリウッドで疲れている50歳の男の自宅に決めた。「市場のために作る」ことを拒否してきた夫妻の、いかにも筋の通った振る舞いだった。

設計者自身の戸惑い

発売は商業的成功を収めた。ハーマンミラーは『ホーム』放送後、ヴィクトリア朝の客間に椅子を置いた広告、干し草畑の真ん中に置いた広告を出し、「どんな部屋にも合う」というモダンの寛容さを訴えた。1960年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)がローズウッド製の初期生産モデルを収蔵する(コレクション番号336.1960.a-b)。寄贈はハーマンミラー自身からだった。

設計者本人はどうやら、最後までこの椅子を完全には気に入らなかったらしい。ミシガン州のヘンリー・フォード博物館の収蔵記録に残るチャールズの発言は、こうだ。「ある種の醜さがある」――そして、付け加えるように、「ただ、多くの人に喜びを与えてくれているらしい」。

レイが試作品を見て夫に書いた手紙には、もっと愛のあるトーンの違和感が残っている。「快適で、デザインっぽくない(comfortable and un-designy)」。批判ではない。自分たちの過去作にあった「いかにもデザインされた」緊張感が、この椅子では消えている、という観察だった。一見、設計者として後退に見えたのかもしれない。けれど結果として、その「デザインっぽくなさ」こそが、椅子を半世紀以上売れ続けさせた要因のひとつだった。

ローズウッドの終わりと、椅子の続き

チャールズは1978年8月21日、出張先のセントルイスで心臓発作により死去。71歳だった。レイはその後10年間、オフィスを縮小しながら夫妻の仕事のアーカイブ化を続け、150万点の二次元資料を米国議会図書館に寄贈した。1988年8月21日――夫の命日のちょうど10年後――ロサンゼルスのシダース・サイナイ病院で死去。75歳。二人はセントルイスのカルバリー墓地に並んで眠っている。

椅子の方は生き残った。1991年、ハーマンミラーはブラジリアン・ローズウッドの使用を中止する。ワシントン条約(CITES)による南米雨林の伐採規制が背景にあった。同社は表材をチェリー、ウォルナット、後にはサントス・パリサンダー(持続可能な代替材)へと切り替えていく。製造工程そのものは1956年とほぼ変わっていない。手作業の組み立て、ショックマウントの試験、革の個別検品。だからこそ現在の価格は4,000ドルから10,000ドル前後――1956年の310ドル(現在価値換算約3,100ドル)から、ほぼ倍に上がっている。

椅子はジェームズ・ボンド映画のセット(『007は二度死ぬ』『カジノ・ロワイヤル』ほか)、シリコンバレーのオフィス、心理療法士の診察室、ピューリッツァー賞作家マイケル・シェイボンの書斎に置かれてきた。1970年代以降のアメリカのテレビCMでは、ある時期から「成功したクリエイティブ職の男の家」を意味する記号として機能している。

同じ屋根の下にあった『パワーズ・オブ・テン』

ラウンジチェアと並んで、イームズ・オフィスのもうひとつの代表作が、1977年公開の短編映画『パワーズ・オブ・テン』だ。シカゴ・レイクサイドの公園でピクニックをしている男の手のひらから、10秒ごとに10倍ずつカメラが引いていく。9分後には観測可能な宇宙の果てに到達する。そこから今度はピクニッカーの手のひらに戻り、皮膚から細胞へ、原子核へ、クォークへと潜っていく。

オランダの教育者ケース・ボーケが1957年に出版した『コズミック・ビュー――40段階で見る宇宙』(原題 Cosmic View: The Universe in Forty Jumps)が原案。1968年に試作版『ラフ・スケッチ』を作り、9年かけて完成版を仕上げた。スコアはエルマー・バーンスタイン、ナレーションはMIT物理学者フィリップ・モリソン。米国議会図書館は1998年、「文化的・歴史的・美的に重要な作品」としてこの9分の映画を国立フィルム登録簿に登録している。

ラウンジチェアと『パワーズ・オブ・テン』は、一見、何の関係もない。けれど901番地のスタジオでは両方が同時並行で進んでいた。プライウッドを曲げる作業の隣で、宇宙のスケールをフィルムで圧縮する編集が走り、その向こうではIBMのためにコンピュータの仕組みを解説する映画が組み立てられていた。「The Eames films are the Eames essays(イームズ映画はイームズのエッセイだ)」と彼ら自身が記したように、家具も映像もエッセイも、夫妻にとっては同じ態度の応用だった。目の前のものを丁寧に観察し、人間にとって理解しやすい寸法に再構成する。

ラウンジチェアの「使い込んだミット」も同じ作法だ。モダンの新しさを誇示するのではなく、すでに誰もが知っている快適さの記憶に、最新の工業技術を重ねていく。だからこの椅子は革張りでも新品っぽくない。低くて、ふっくらしていて、座面は最初から後ろに傾いている(リクライニング機構はない。角度は固定されている)。夫妻が初期の製品に付けた下げ札には、こうある――長い時間を座るための椅子。読書、夕食後の会話、あるいはただくつろいで考えごとをするための。

ヴェニスの「901」の後で

901番地のスタジオは、レイの死後まもなく正式に閉鎖された。1990年に建築家フランクリン・イスラエルが内装の一部を改修したが、その後さらに改装されて、いまではほぼ原型をとどめていない。サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)はオフィスの会議室の備品ごと買い取って、別の建物の中に再現展示している。

椅子のほうは、ジーランドの工場でまだ手で組まれている。1956年にアーリーン・フランシスが「クワイト・ア・ディパーチャー」と呼んだあの瞬間からの、ほとんど例外的な連続性。世界で最も知られている椅子は、いまだに使い込んだミットの顔をしている。

基本データ

作品名
イームズ・ラウンジチェア(670)&オットマン(671) / Eames Lounge Chair and Ottoman
デザイナー
チャールズ・イームズ(1907–1978)/レイ・イームズ(旧姓カイザー、1912–1988)
発表年
1956年
製造
ハーマンミラー(ミシガン州ジーランド工場)/ヨーロッパ・中東・アフリカではヴィトラ
初公開
1956年、NBCの昼の番組『ホーム』(アーリーン・フランシス司会)
素材(オリジナル)
ブラジリアン・ローズウッド突板/レザー/鋳造アルミニウム/ネオプレン製ショックマウント
素材(現行)
ウォルナット、チェリー、サントス・パリサンダーなど(ブラジリアン・ローズウッドは1991年に使用中止)
構造
3枚の成形プライウッド・シェル(背もたれ・座面・ヘッドレスト、7層の突板)+5本脚アルミベース(スイベル機構つき/リクライニングはしない)
発売価格(1956年)
セットで310ドル(現在価値換算 約3,100ドル相当)
現行価格
約5,500ドル〜10,000ドル(仕様・素材による)
主な収蔵先
ニューヨーク近代美術館(MoMA, 336.1960.a-b)/シカゴ美術館/ヘンリー・フォード博物館/ボストン美術館 ほか
関連スタジオ
The Eames Office「901」(ロサンゼルス・ヴェニス、901 Washington Boulevard、1943–1988年使用)

Q&A

本当に最初のラウンジチェアはビリー・ワイルダーに贈られたのですか?
ワイルダーが受け取ったのは「初期生産分の早い時期の一脚」というのが各種公式記録で一致するところです。MoMAデザインストアは「生産ラインから2番目に出た一脚」と記述しています。「最初の試作」「最初の一脚」と書く資料もあり、用語のばらつきがあるため、ここでは「初期プロダクションの一脚」としています。
「ワイルダーが撮影所で居眠りする姿を見て発想した」というエピソードはどこまで本当ですか?
夫妻が映画監督ビリー・ワイルダーと親しかったのは事実ですが、この巷の伝承はイームズ・オフィスの公式記録には採用されていません。1968年発表の細身のシェーズロング(ES106)については、撮影所のワイルダーがソーホースに板を渡して仮眠していたエピソードが直接の発想源として記録されています。ラウンジチェアそのものの開発は1940年代後半から続いていた、より長い実験の延長でした。
なぜいま使われているのはブラジリアン・ローズウッドではないのですか?
1991年、ハーマンミラーは環境保護の観点からブラジリアン・ローズウッドの使用を中止しました。ワシントン条約(CITES)による南米熱帯雨林の伐採規制が背景にあります。以降はチェリーやウォルナット、後に持続可能な代替材であるサントス・パリサンダーが使われています。オリジナルのローズウッド製はヴィンテージ市場で高値がつき、状態と年代によっては数万ドルになります。
『パワーズ・オブ・テン』とラウンジチェアに直接の関係はありますか?
直接の意匠的なつながりはありません。ただし両方が同じ「901」スタジオで同時期に作られ、夫妻が共通の制作哲学のもとに取り組んだ作品でした。家具、映像、展示設計を一貫した態度(「目の前のものを観察し、人間が理解しやすい寸法に再構成する」)で扱った、というのがイームズ・オフィスの特徴です。
正規品とリプロダクションの見分け方は?
正規品はハーマンミラー(米州)またはヴィトラ(欧州・中東・アフリカ)製で、本体に認証ラベルや銘板が付きます。年代ごとにラベルの形状が異なり、1956年初期は丸い銀/白のメダリオン、1970–80年代は黒のオブロング、その後は銀のオブロング、2000年代以降はカーブした刻印タイプに変わっています。シェルの構造(ハーマンミラーの製品仕様では7層の突板)、アームレストの固定ネジ本数、ショックマウントの位置なども鑑定の手がかりです。

参考文献

Eames Lounge and Ottoman Design Story – Herman Miller
https://www.hermanmiller.com/products/seating/lounge-seating/eames-lounge-chair-and-ottoman/design-story/
Charles Eames, Ray Eames. Lounge Chair and Ottoman. 1956 – MoMA Collection
https://www.moma.org/collection/works/3325
Eames Lounge Chair & Ottoman (670 & 671) – Eames.com
https://eames.com/en/eames-lounge-chair
The Museum of Modern Art and the Eameses: A Longer-than-Life Partnership – Eames Office
https://www.eamesoffice.com/stories/the-museum-of-modern-art-and-the-eameses-a-longer-than-life-partnership/
Biography – Charles & Ray Eames – Eames Office
https://www.eamesoffice.com/about/biography/
Biography – Library of Congress: The Work of Charles and Ray Eames
https://www.loc.gov/exhibits/eames/bio.html
A Brief History of America’s Favorite Chair: The Eames Lounge and Ottoman – Dwell
https://www.dwell.com/article/eames-lounge-chair-and-ottoman-95b91a0a
Eames Lounge Chair and Ottoman, Introduced in 1956 – The Henry Ford
https://www.thehenryford.org/collections-and-research/digital-collections/artifact/148518
Charles Eames and Ray Eames | Biography, Design, and Facts – Britannica
https://www.britannica.com/biography/Charles-Eames-and-Ray-Eames

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