バウハウス(Bauhaus)は、1919年にドイツのワイマールで建築家ヴァルター・グロピウスが創立した、美術と工芸、建築を総合的に教える学校である。正式名称は国立バウハウスで、1933年に閉校するまでの14年間に、20世紀のデザイン教育の原型をつくった。
グロピウスが掲げたのは、芸術家と職人の区別をなくし、あらゆる造形を最終的に建築へ統合するという理念だった。学生はまず予備課程で素材や色、形の基礎を学び、そのうえで金属、家具、織物、陶芸、印刷などの工房に進む。教師には画家のヨハネス・イッテン、パウル・クレー、ワシリー・カンディンスキーが招かれ、のちにラースロー・モホイ=ナジやヨーゼフ・アルバースが加わった。日本からも水谷武彦や山脇巌・道子夫妻が学んでいる。
学校は政治と資金の事情に振り回され、場所を2度移している。1925年にデッサウへ移ってグロピウス設計の校舎を構えると、手工芸から工業生産のための試作へと重心が移り、マルセル・ブロイヤーの鋼管椅子のような製品が生まれた。印刷工房では、ヘルベルト・バイヤーが大文字を使わない幾何学的なアルファベットを考案している。校長はグロピウスのあとハンネス・マイヤー、ミース・ファン・デル・ローエへと交代し、1932年にはベルリンへ移転したが、ナチスの圧力のもと翌年に閉校する。
閉校後、教師や学生の多くが国外へ渡ったことで、バウハウスの考え方はかえって世界に広がった。グロピウスはハーバード大学で建築を教え、モホイ=ナジは1937年にシカゴでニュー・バウハウスを開き、ミースもシカゴへ移っている。戦後ドイツのウルム造形大学や、日本を含む各国のデザイン教育の基礎課程にも、その仕組みは受け継がれた。
カリキュラムを一枚の円で示した図はグロピウスの円形カリキュラムで、織物工房に集められた女性たちはバウハウスの女性たちで取り上げた。教師の仕事はクレーの「呼吸する線」とシュレンマーの「人体アイコン」で読める。