ベネチア「サンマルコのライオン」が中国起源と判明|700年間の謎が科学で解明

ベネチアの象徴「サンマルコのライオン」が中国起源であることが判明

イタリア・ベネチアのサンマルコ広場で700年以上にわたって市民と観光客を見守り続けてきた有翼のライオン像が、実は中国の唐朝時代(618-907年)に制作された墓守の獣「镇墓兽(ちんぼじゅう)」であったことが、最新の科学的分析により明らかになりました。

科学的分析が解き明かした驚愕の真実

パドヴァ大学のマッシモ・ヴィダーレ教授らの研究チームは、1990年の修復時に採取された金属サンプルを最新の鉛同位体分析技術で調査しました。その結果、ライオン像の青銅に含まれる銅鉱石が中国の長江下流域で採掘されたものであることが判明。これまで地中海地域やシリア、アナトリア地方起源とされていた定説を覆す発見となりました。

「ベネチアは謎に満ちた都市ですが、ひとつの謎が解けました。サンマルコのライオンは中国製で、シルクロードを歩いてきたのです」と、ヴィダーレ教授は語っています。

唐朝の墓守から都市国家の象徴へ

研究によると、この彫刻は元々中国の伝統的な「镇墓兽」として制作されたものです。镇墓兽は唐朝時代に権力者の墓に置かれ、悪霊から死者の魂を守る役割を担っていました。ライオンのような顔つき、燃え盛る鬣、角、翼、尖った耳などが特徴的で、現在のベネチアのライオン像と多くの共通点を持っています。

しかし、ベネチアに到着した後、この東洋の神獣は大幅な改造を受けました。角が除去され、耳が短縮され、よりヨーロッパ的なライオンの外観に近づけられたのです。これにより、聖マルコの象徴として、ベネチア共和国の威厳ある紋章となりました。

マルコ・ポーロ一族の壮大な文化移転

この像がどのようにして中国からベネチアに運ばれたのか、その謎の答えも研究によって推測されています。1264年から1268年にかけて、有名な探検家マルコ・ポーロの父ニコロと叔父マフェオが、モンゴル帝国の皇帝フビライ・ハンの宮廷を訪れました。

研究者たちは、ポーロ兄弟が北京(当時の大都)の工房や皇室の倉庫で、解体された镇墓兽の彫刻に遭遇した可能性が高いと推測しています。当時ベネチアは翼のあるライオンを共和国の新しい象徴として採用したばかりで、「ポーロ兄弟は、この彫刻を遠目に見れば翼のあるライオンに見える、説得力のある作品に作り変えるという、いささか大胆なアイデアを持っていたかもしれません」と研究は述べています。

数奇な運命を辿った文化的アイコン

ライオン像の波乱に満ちた歴史は中世だけで終わりません。1797年、ナポレオンがベネチア共和国を征服した際、この象徴的な彫刻はパリに持ち去られ、アンヴァリッドの噴水に設置されました。1815年にナポレオンが失脚すると、像は破損した状態でベネチアに返還され、大規模な修復が行われました。現在の翼、尻尾、足の一部は、この19世紀の修復作業によるものです。

興味深いことに、1293年の文書には既にライオン像の修復に関する記録があり、これはマルコ・ポーロが東方遠征から帰還する1295年より前のことです。これは、ポーロ一族が彫刻を持ち帰ったという説を裏付ける重要な証拠となっています。

デザインと文化交流の新たな視点

この発見は、デザインと文化の伝播について重要な示唆を与えています。一つの芸術作品が、その形態を保ちながら全く異なる文化的意味を獲得し、新たな象徴として生まれ変わる過程を示しているからです。中国の死者を守る神獣が、地中海の海洋共和国の権力と信仰の象徴となったのです。

また、中世におけるシルクロードを通じた文化交流の規模と影響力を物語る貴重な証拠でもあります。単なる商品や技術だけでなく、芸術作品や文化的シンボルまでもが、大陸を越えて移動し、現地の文化と融合していたことを示しています。

今後のデザイン史研究への影響

この研究は、従来の西洋美術史やデザイン史の見直しを促すものです。ヨーロッパの象徴的な芸術作品が、実は東洋起源であったという事実は、文化の境界線がいかに流動的であるかを示しています。

現代のグローバル化した世界においても、この発見は重要な意味を持ちます。デザインやアートが国境を越えて移動し、新たな文化的文脈で再解釈される過程は、現在のクリエイティブ産業でも見られる現象です。

今後、他の歴史的建造物や芸術作品についても、同様の科学的分析が行われることで、これまで知られていなかった文化交流の実態が明らかになる可能性があります。これは、デザイン史の理解を深め、多文化主義的な視点からの芸術解釈を促進するでしょう。

ベネチアのサンマルコ広場を訪れる際は、この壮大な文化交流の物語を思い出してみてください。700年以上前に中国で生まれた神獣が、今もなお多くの人々に愛され続けているのです。

Q&A

Q: なぜこれまでベネチアのライオン像の起源が分からなかったのですか?
A: 従来の研究は主にスタイルや歴史文書に基づいていましたが、科学的な金属分析は行われていませんでした。また、中世の文書が限られていたため、像の正確な来歴を特定することが困難でした。今回の鉛同位体分析により、初めて材料の起源地を科学的に特定することができました。
Q: マルコ・ポーロ一族がこの像を持ち帰ったという証拠はありますか?
A: 直接的な文書証拠はありませんが、時期的な一致と状況証拠があります。ポーロ兄弟が1264-1268年にフビライ・ハンの宮廷にいた時期と、ベネチアが翼のライオンを象徴として採用した1260年代が重なっています。また、1293年の修復記録は、マルコ・ポーロ帰還(1295年)より前であることも、この説を支持しています。
Q: 中国の镇墓兽とベネチアのライオン像はどのような違いがありますか?
A: 元の镇墓兽は角があり、耳が長く尖っていて、より威嚇的な表情をしていました。ベネチアに到着後、角が除去され、耳が短縮され、よりヨーロッパ的なライオンの外観に改造されました。また、足元の聖書は後から追加されたもので、聖マルコの象徴としての意味を付与するためでした。
Q: この発見は他の歴史的建造物にも影響を与えますか?
A: はい、この研究手法は他の古代芸術作品の起源解明にも応用できます。特に、シルクロード沿いの都市や地中海地域の芸術作品について、同様の科学的分析が行われることで、これまで知られていなかった文化交流の実態が明らかになる可能性があります。
Q: 現在のベネチアのライオン像はオリジナルですか?
A: 頭部、首、胸部、足の一部は唐朝時代のオリジナルですが、翼、尻尾、足の一部は1815年の修復時に新しく制作されたものです。ナポレオン時代にパリに持ち去られた際に破損し、大規模な修復が必要でした。現在の像は、異なる時代の要素が組み合わされた複合的な文化遺産と言えます。

参考文献

The Chinese identity of St Mark’s bronze ‘Lion’ and its place in the history of medieval Venice
https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/chinese-identity-of-st-marks-bronze-lion-and-its-place-in-the-history-of-medieval-venice/70176EBEF6C480FA4246DC2F189D1F9B
Iconic winged lion statue in Venice may actually be from China’s Tang dynasty, study finds
https://www.livescience.com/archaeology/iconic-winged-lion-statue-in-venice-may-actually-be-from-chinas-tang-dynasty-study-finds
Venice’s famous winged lion statue is actually Chinese, scientists say
https://edition.cnn.com/2025/09/08/travel/venetian-lion-st-mark-chinese-intl-scli
Made in China? The remarkable tale of Venice’s iconic winged lion
https://sg.news.yahoo.com/made-china-remarkable-tale-venices-002617026.html
Lion of Saint Mark in the Library of the Seminario Patriarcale
https://www.savevenice.org/project/lion-of-saint-mark-in-the-library-of-the-seminario-patriarcale

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