子供が死んでく絵本
この絵本で作者のエドワード・ゴーリーが伝えたかったことは?
ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで
残念ながら僕の研ぎ澄まされていない感性では
何も読み取ることはできませんでしたが、味のあるペン画は好きです。
生後18ヶ月で鉛筆を握った子ども
1925年2月22日、シカゴに生まれたエドワード・セント・ジョン・ゴーリーは、生後18ヶ月で絵を描きはじめ、3歳で独学で読み書きを覚えたと伝えられています。5歳のときにはルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』とブラム・ストーカーの『ドラキュラ』を読破。7歳で『フランケンシュタイン』に手を伸ばしていたというのですから、彼の感性の芽生えは常人の想像をはるかに超えていました。
両親は彼が11歳のときに離婚。父親はジャーナリスト、のちに再婚した義母コリンナ・ミューラは、映画『カサブランカ』でリックのカフェでギターを弾きながら「ラ・マルセイエーズ」を歌う女性を演じたキャバレー歌手でした。シカゴの名門フランシス・パーカー・スクールに進学したゴーリーは、飛び級を重ね、学校の美術展に出品し、13歳でシカゴの新聞にスポーツ漫画を掲載するという早熟ぶりを発揮します。卒業時には全国トップクラスの成績を収め、ハーバードとイェールの両方から奨学金を獲得しました。

ハーバード、そして詩人たちの劇場
第二次世界大戦への従軍(ユタ州ダグウェイ実験場での事務兵としての勤務)を経て、1946年にGI法の支援を受けハーバード大学に入学したゴーリーは、フランス文学を専攻します。なぜフランス文学だったのか。彼はのちに「英語の本はもう全部読んでしまったから」と語っています。やや気取った言い方ではありますが、彼の読書量を知る者にとっては、あながち誇張とも言い切れない発言でした。
ハーバードでゴーリーのルームメイトとなったのは、のちにアメリカを代表する詩人となるフランク・オハラ。二人はマレーネ・ディートリヒのレコードを流しながらカクテルを傾ける日々を過ごし、ジョン・アシュベリー、アリソン・ルーリー、ヴァイオレット・ラングらとともに「ポエッツ・シアター」で舞台美術や演出、脚本に携わります。1950年の卒業時にはすでにイラストが書籍に掲載されるようになっており、ニューヨークの出版界への道が開かれていました。
ダブルデイ・アンカー — 200冊のブックカバーが育てた目
1953年、ゴーリーはダブルデイ社の新レーベル「アンカー・ブックス」のアートデパートメントに加わります。ハーバード時代の学友だったバーバラ・エプスタインの紹介による縁でした。ここでゴーリーは50点以上のブックカバーをデザインし、ニューヨークのデザイン界で急速に頭角を現します。T・S・エリオット、ヘンリー・ジェイムズなどの文学作品にゴーリーの挿絵が添えられるようになり、その洗練されたペン画は出版業界で高い評価を得ました。
同時期、アンディ・ウォーホルやミルトン・グレイサーといったクリエイターたちとも交流。しかしゴーリーは商業デザインの世界に安住することなく、やがてフリーランスへと転身します。そして同年に発表した初の著作『The Unstrung Harp(不調律のハープ)』は、小説家の創作の苦悩を描いたイラスト付き小説で、グレアム・グリーンに「小説家について書かれた最高の小説だ」と絶賛されました。
ペンとインクの錬金術 — ゴーリー・スタイルの確立
ゴーリーの画風の最大の特徴は、緻密なクロスハッチング(交差線描法)によるペン画です。ヴィクトリア朝やエドワード朝を思わせる古めかしい世界に、ビーズのような目をした無表情の人物たちが佇む。長いコートを着た紳士、制服姿のメイド、セーラー服の子どもたち。そこに不穏な出来事が静かに忍び寄る——それがゴーリーの世界です。
彼自身は自らの作風を「リテラリー・ナンセンス(文学的ナンセンス)」と定義しました。ルイス・キャロルやエドワード・リアの系譜に連なるナンセンス文学の伝統を、視覚芸術として昇華させたのです。「ゴシック」と呼ばれることについて、ゴーリーはこう語っています。「ナンセンスをやるなら、かなりひどいものでなければ意味がない。明るくて楽しいナンセンス?子ども向けの? ああ、退屈、退屈、退屈」
一冊ごとに実験を重ねたことも、ゴーリーの重要な側面です。文字のない本、マッチ箱サイズの本、ポップアップブック、無生物だけが登場する本——。彼は自作にペンネームを多用しましたが、そのほとんどが自分の名前のアナグラムでした。Ogdred Weary、Dogear Wryde、Ms. Regera Dowdy、Eduard Blutig……こうした遊び心そのものが、ゴーリー芸術の一部だったのです。
バランシンの啓示 — 「ただステップを踏め」
ゴーリーの創作哲学を語るうえで、振付師ジョージ・バランシンの存在は欠かせません。ニューヨーク・シティ・バレエに通い始めたゴーリーは、バランシンの振付に深く心を奪われ、約30年間にわたってほぼ全公演に通い続けました。年間160公演という途方もない頻度で劇場に足を運び、毛皮のロングコートを纏ったゴーリーの姿は、リンカーン・センターの名物となっていました。
バランシンの有名な言葉「Just do the steps(ただステップを踏め)」について、ゴーリーは1993年のバレエ・レビュー誌にこう書いています。「この言葉を正しく考えれば、すべてを説明してくれる。芸術にも人生にも、思いつく限りのすべてに当てはまる」。ゴーリーにとってバランシンは「自分に最も大きな影響を与えた存在」であり、振付師が芸術について語ったことは「すべて真実だった」のです。
伝記作家マーク・ディリーは、二人の芸術家の共通点をこう分析しています。バランシンが19世紀バレエの装飾的な要素を削ぎ落とし、動きの本質を追求したように、ゴーリーもまた俳句のような凝縮された表現で、一本の余計な線もない世界を構築した——と。それは一見アンティークに見えて、実は極めてモダンな方法論でした。

『ギャシュリークラムのちびっ子たち』— 死のアルファベット
1963年に発表された『The Gashlycrumb Tinies(ギャシュリークラムのちびっ子たち)』は、ゴーリーの代表作として広く知られています。AからZまで26人の子どもたちが、一人ずつ異なる方法で命を落としていくという、アルファベット絵本の形式をとったブラックユーモアの極致です。「Mはモードのこと、海に流された。Nはネヴィルのこと、退屈で死んだ」——韻を踏んだ淡々とした語り口と、繊細で美しいペン画との落差が、読者の心に忘れがたい印象を刻みます。
この作品は「子どもの本」のカテゴリーに置かれることもありますが、そこには近代社会における子どもの脆弱性、運命の不条理、そして死という普遍的なテーマが凝縮されています。残酷さをユーモアで包むのではなく、ユーモアのなかに残酷さが自然に宿っている——それこそが「ゴーリーエスク」と呼ばれる独自の美学の核心なのです。
ブロードウェイの『ドラキュラ』— トニー賞の夜
1973年、ゴーリーはナンタケット島の小さな劇場で『ドラキュラ』の舞台美術と衣装を手がけます。この公演は大きな話題を呼び、1977年にはブロードウェイへ進出。フランク・ランジェラが伯爵を演じた『エドワード・ゴーリーのドラキュラ』は絶賛を浴び、約3年間のロングラン公演を達成します。
ゴーリーはこの作品で、トニー賞最優秀衣装デザイン賞を受賞し、最優秀舞台美術賞にもノミネートされました。しかし授賞式の夜、ゴーリーは会場にいませんでした。バレエの公演を観に行っていたのです。友人に代理でトロフィーを受け取ってもらったというエピソードは、彼の優先順位を雄弁に物語っています。
PBSミステリー!—お茶の間に届いたゴーリーの世界
1980年、ゴーリーのイラストがアニメーション化され、PBSの人気シリーズ『ミステリー!』のオープニング映像として採用されました。ワルツを踊るカップル、稲光、マントの男、気を失う女性——陰鬱でありながらどこかユーモラスなこの映像は、アメリカの何百万もの家庭にゴーリーの名を知らしめました。番組ホストのヴィンセント・プライスが「ゴーリー邸へようこそ」と視聴者を迎えるこのオープニングは、20年以上にわたって使用され、アメリカのテレビ史に残るアイコニックな映像となっています。
ケープコッドの隠者と6匹の猫
晩年のゴーリーは、マサチューセッツ州ケープコッドのヤーマスポートに居を構え、執筆と実験的な演劇活動に没頭しました。自作の張り子人形を使った「ル・テアトリキュル・ストワシアン」と名付けたアンサンブルで、地元のアマチュア俳優たちとともに夕べの公演を行い、地域住民を楽しませ(そして困惑させ)ました。
自宅には25,000冊を超える蔵書が積み上げられ、チーズおろし器からドアノブまであらゆるものをコレクション。テレビドラマ『ゴールデン・ガールズ』から19世紀日本映画まで、驚くべき雑食性の知識を持つ文化の多食家でした。
2000年4月15日、ゴーリーはケープコッド病院で75歳の生涯を閉じます。遺産の大部分は、猫や犬、さらにはコウモリや昆虫のための慈善信託に寄付されました。人間よりも動物を愛したと言われるゴーリーらしい最後の選択でした。彼の自宅は現在「エドワード・ゴーリー・ハウス・ミュージアム」として一般公開されています。

その後の世界 — 「ゴーリーエスク」が拡がる現在
エドワード・ゴーリーが2000年に世を去った後も、その影響は衰えるどころか、むしろ加速度的に広がっています。
最も顕著な影響を受けたクリエイターの一人が、映画監督ティム・バートンです。バートンの細い線によるイラストレーション、不気味でありながら愛おしいキャラクターたち、そしてゴシックな世界観は、ゴーリーの美学を映画という新たなメディアに翻訳したものと言えます。『シザーハンズ』『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』『コープスブライド』——これらの作品のDNAにはゴーリーの遺伝子が色濃く刻まれています。
ダニエル・ハンドラー(筆名:レモニー・スニケット)は、自身の代表作『世にも不幸なできごと』シリーズについて、ゴーリーからの影響を率直に認めています。2015年にはゴーリー的な作風の作家やアーティストを紹介するオンラインジャーナル『Goreyesque』が創刊され、漫画家のアリソン・ベクデル、ゲイリー・ラーソン、テリー・ギリアム、ニール・ゲイマンなど、幅広いジャンルのクリエイターがゴーリーからの影響を公言しています。
さらに、ゴスやスチームパンクといったサブカルチャーの視覚的美学にも、ゴーリーの影響は深く浸透しています。ナイン・インチ・ネイルズのミュージックビデオ「The Perfect Drug」がゴーリーの本を意識してデザインされたように、音楽、ファッション、グラフィックデザインの分野でもゴーリー的なエッセンスは生き続けています。
ゴーリーの革新性の本質は、「不穏さ」と「美しさ」が同居できることを証明した点にあります。暗いテーマは必ずしもグロテスクに描く必要はなく、繊細な線と洗練されたユーモアで表現できる——この発見は、現代のイラストレーション、絵本、映画、アニメーションに至るまで、多くのクリエイターに創作の自由を与え続けています。
Q&A
- エドワード・ゴーリーはイギリス人ですか?
- いいえ、アメリカ人です。シカゴで生まれ、ニューヨークやケープコッドで活動しました。ヴィクトリア朝風の作風から英国人と思われがちですが、生涯で唯一の海外旅行はスコットランドのヘブリディーズ諸島への一度きりでした。
- ゴーリーの作品は子ども向けですか?
- ゴーリー自身は「ほとんどの作品は子ども向けに書いた」と語っていますが、その内容はブラックユーモアやシュールレアリスムに満ちており、大人にも深い読みごたえがあります。書店では「ユーモア」や「漫画」のコーナーに置かれることもあれば、シュールレアリスム芸術として評価されることもある、ジャンルを超えた作品群です。
- ゴーリーが自身の創作に最も影響を受けたと語った人物は誰ですか?
- ニューヨーク・シティ・バレエの振付師ジョージ・バランシンです。ゴーリーは約30年間にわたりほぼ全公演に通い続け、「自分に最も大きな影響を与えた存在」と明言しています。バランシンの「余計なものを削ぎ落として本質に迫る」という手法が、ゴーリーのペン画にも通じる美学を形成しました。
- 「ゴーリーエスク(Goreyesque)」とはどういう意味ですか?
- エドワード・ゴーリーの名前に由来する形容詞で、「不気味だが上品」「陰鬱だがユーモラス」「ヴィクトリア朝風でシュールな」作風を指します。ゴーリーのスタイルがあまりにも独自で影響力が大きかったため、一つの美学的カテゴリーとして定着した言葉です。
- ゴーリーの作品を日本で読むことはできますか?
- はい。柴田元幸氏による翻訳で『うろんな客』『ギャシュリークラムのちびっ子たち』など多くの作品が河出書房新社から出版されています。原書のペン画の魅力はそのままに、日本語でゴーリーの世界を楽しむことができます。
基本データ
- 名前
- エドワード・セント・ジョン・ゴーリー(Edward St. John Gorey)
- 生年月日
- 1925年2月22日
- 没年月日
- 2000年4月15日(75歳)
- 出生地
- アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
- 最終活動地
- マサチューセッツ州ケープコッド ヤーマスポート
- 学歴
- シカゴ美術館附属美術大学(1学期)、ハーバード大学フランス文学専攻(1950年卒業)
- 職業
- イラストレーター、作家、舞台美術家、衣装デザイナー
- 代表作
- 『The Gashlycrumb Tinies』(1963年)、『The Doubtful Guest』(1957年)、『The Unstrung Harp』(1953年)
- 主な受賞歴
- トニー賞最優秀衣装デザイン賞(1978年、『ドラキュラ』)
- 記念施設
- エドワード・ゴーリー・ハウス・ミュージアム(マサチューセッツ州ヤーマスポート)
参考文献
- Edward Gorey – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Gorey
- Edward Gorey Biography — The Edward Gorey House
- https://edwardgoreyhouse.org/pages/edward-gorey-biography
- Edward Gorey | Britannica
- https://www.britannica.com/biography/Edward-Gorey
- Edward Gorey – Society of Illustrators
- https://societyillustrators.org/award-winners/edward-gorey/
- 12 Surprising Facts About Edward Gorey | PBS
- https://www.pbs.org/wgbh/masterpiece/specialfeatures/surprising-facts-about-author-illustrator-edward-gorey/
- Doing the Steps — The Edward Gorey House
- https://edwardgoreyhouse.org/doing-the-steps
- An Interview with Mark Dery, Edward Gorey’s Biographer | NYCB
- https://www.nycballet.com/discover/stories/an-interview-with-mark-dery-edward-goreys-biographer
- Edward Gorey – Lambiek Comiclopedia
- https://www.lambiek.net/artists/g/gorey_edward.htm
- The Gothic Illustrations of Edward Gorey – RetroFuturista
- https://retrofuturista.com/the-gothic-illustrations-of-edward-gorey/
- Something Else Entirely: The Illustration Art of Edward Gorey – Studio International
- https://www.studiointernational.com/index.php/something-else-entirely-the-illustration-art-of-edward-gorey-review-society-of-illustrators-new-york-city
- About Edward Gorey – The Edward Gorey Online Shop
- https://www.edwardgorey.org/pages/edwardgoreyabout
- Edward Gorey Influences — The Gothic Dispatch
- https://gothicdispatch.com/edward-gorey-influences/
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