「あの塔だけは見たくない」――モーパッサンの奇妙な日課
1890年代のパリ。ある作家が、毎日のように同じレストランに通い詰めていました。場所はエッフェル塔の1階。名前はギィ・ド・モーパッサン。フランス文学を代表する短編の巨匠です。なぜ、よりによってエッフェル塔のレストランなのか? 理由を聞かれた彼の答えは痛烈でした。「ここがパリの中で、あの忌々しい塔を見なくて済む唯一の場所だからだ」。
冗談のような話ですが、モーパッサンは本気でした。彼はエッフェル塔を心の底から嫌悪していたのです。しかも、嫌っていたのは彼だけではありません。1887年、塔の建設が始まったその年、作家、画家、彫刻家、建築家ら約300人が連名で、パリの新聞『ル・タン』紙に抗議声明を発表しています。「無用にして怪物的なエッフェル塔」の建設を即刻やめよ、と。いま世界中から愛されるパリのシンボルは、生まれる前から「パリの恥」と呼ばれていたのです。
なぜ人々はそこまで怒ったのでしょうか。答えは、当時の美意識にあります。そして、その怒りの先にこそ、現代のデザインと建築を一変させた「革命」が隠れています。

石の都パリと、鉄という「異物」
19世紀後半のパリは、まさに「石の芸術」が支配する都市でした。1860年代のナポレオン3世の時代、セーヌ県知事オスマンの大改造によって、パリは中世の面影を一掃し、壮麗な石造建築が立ち並ぶ近代都市へと生まれ変わっています。凱旋門、ルーブル宮殿、ノートルダム大聖堂――。それらはすべて、石や煉瓦で構造を形づくり、その表面を彫刻や装飾で覆い尽くした建築です。
当時の建築界を牽引していたのは、エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に代表されるアカデミズムの伝統でした。ボザールの教えにおいて、建築とは古典的な様式美を再現する「芸術」であり、構造はあくまで装飾のための下部構造にすぎません。柱があれば彫刻を施し、梁があれば植物や天使のモチーフで覆う。建物の骨格をむき出しにするなど、いわば「裸で街を歩くようなもの」だったのです。
鉄という素材は、産業革命以降じわじわと建築の世界に入り込んでいました。駅舎の屋根や市場のホール、温室の骨組みなどには鉄骨が使われていましたが、それらはあくまで「裏方」の存在。ロンドン万博のクリスタル・パレス(1851年)のように鉄とガラスで構成された建築もありましたが、主流の建築界からは「工学であって建築ではない」と冷ややかに見られていました。
そんな時代に、パリのど真ん中に高さ300メートルの鉄骨の塊が出現しようとしていたのです。しかも、装飾で構造を隠す気はまったくなく、1万8000もの錬鉄の部品と250万本のリベットを、すべてむき出しのまま空に向かって積み上げていく。それは、石の都パリにとって、まさに「異物」そのものでした。
「バベルの塔」――怒れる芸術家たちの抗議書
1887年2月14日、バレンタインデーのパリ。この日、『ル・タン』紙に掲載された抗議声明は、ラブレターとは正反対の激烈な文面でした。
声明の冒頭はこう始まります。「われら、作家、画家、彫刻家、建築家、これまで無傷であったパリの美の熱心なる愛好家たるわれらは、無視されているフランス的趣味の名において、脅威にさらされているフランスの芸術と歴史の名において、この無益にして醜怪なるエッフェル塔の建立に抗議する」。署名者には錚々たる名前が並んでいました。オペラ座を設計した建築家シャルル・ガルニエ、作曲家シャルル・グノー、画家エルネスト・メソニエやウィリアム・ブーグロー、作家アレクサンドル・デュマ・フィス。そしてもちろん、モーパッサンの名前もありました。
興味深いのは、署名者の多くがアカデミー派に属する保守的な芸術家だったことです。自然主義の旗手エミール・ゾラをはじめとする「革新派」の名前は見当たりません。つまり、この抗議は「新しいもの対古いもの」という単純な対立ではなく、「芸術とは何か」「パリとは何か」という根本的な問いをめぐるものだったのです。
彼らが塔に与えた蔑称もまた辛辣でした。「鉄の骸骨」「ボルト締めされた鉄製の醜悪な円柱」「鉄のバベルの塔」。どれも、構造がむき出しであることへの嫌悪感を如実に物語っています。彼らにとって、鉄骨をそのまま見せるということは、建築における「野蛮」そのものだったのです。
鉄の魔術師エッフェル――橋から塔へ
しかし、この「醜い塔」を生み出した人物は、決して芸術的感性を欠いたエンジニアではありませんでした。アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル。1832年、フランス・ディジョン生まれ。パリの名門エコール・サントラル(中央工芸学校)を卒業した土木技師です。
エッフェルのキャリアを語るうえで欠かせないのが、「橋」の存在です。1877年に完成したポルトガルのマリア・ピア橋は、ドウロ川を跨ぐ160メートルの単一アーチ橋で、当時、非吊り橋としては世界最長を誇りました。続く1884年のガラビ高架橋(フランス中南部)は、トリュイエール渓谷の上空122メートルの高さに鉄道を通すという壮大な構造物。いずれも、錬鉄のトラス構造(三角形を組み合わせた骨格)を大胆にむき出しにしたデザインです。
エッフェルの橋は「鉄骨の繊細さ」を武器にしていました。レースのような格子状の鉄骨が光を通し、風を逃がし、力を分散させる。重厚な石の橋とは真逆の発想です。そしてこの「風に逆らわず、風を通す」という思想こそが、エッフェル塔の設計原理そのものでした。
塔の原案を描いたのは、エッフェル社の技師モーリス・ケクランとエミール・ヌーギエ。1884年5月のことです。この案に建築部長のステファン・ソーヴェストルが修正を加え、アーチ装飾や展望台のデザインを洗練させて、現在の姿に近い計画案が完成しました。エッフェルはこの案を全面的に支持し、みずからの名と資金をかけてプロジェクトを推進したのです。

自由の女神の「骨」を持つ男
エッフェル塔の話をする前に、もうひとつ触れておかなければならない仕事があります。ニューヨークの自由の女神像(1886年完成)です。あの巨大な銅像の優美な外見の内側に、エッフェルが設計した鉄の骨格が隠されていることをご存知でしょうか。
自由の女神は、彫刻家フレデリク・オーギュスト・バルトルディがデザインした外観を、わずか2.4ミリメートルの銅板で形づくった巨大な「殻」です。風速や温度変化に耐えるために、この繊細な銅の皮膚を支える強靭な内部構造が必要でした。エッフェルが設計したのは、高さ約29メートルの中央鉄柱(パイロン)と、そこから放射状に伸びる約1,800本の錬鉄の骨組み。まさに「鉄の骨格」です。
ここに、エッフェル塔の物語を読み解く鍵があります。自由の女神では、エッフェルの鉄骨は銅の「衣装」の下に完全に隠れています。美しい外観、その裏側にある構造――これが19世紀の建築のスタンダードでした。ところがエッフェル塔では、同じ技師が今度は骨格をそのまま空に向けて立ち上げた。装飾という衣服を脱ぎ捨てて、構造そのものを「作品」にしたのです。自由の女神とエッフェル塔は、「隠された構造」と「見せる構造」という対照的な思想を、同じひとりのエンジニアが体現した、双子のような存在なのです。
2年2ヶ月5日――驚異の建設ドラマ
1887年1月28日、起工式。反対の声が渦巻く中、工事は始まりました。パリ万博の開幕は1889年5月。その間わずか約2年。300メートルの鉄塔を、当時の技術で建て切らなければなりません。
エッフェルが採用したのは、現代で言う「プレハブ工法」でした。5,300枚の設計図面を用意し、1万8,038個の錬鉄の部品をルヴァロワ=ペレの自社工場で精密に製造。現場での作業は「組み立て」に徹するというシステムです。部品の精度は0.1ミリメートル単位。常時150人から300人の作業員が現場で働き、蒸気動力のクレーンと仮設の足場を駆使して、日々、鉄の格子模様が空へと伸びていきました。
建設過程を記録した写真が数多く残っていますが、これらがまた驚くほど美しいのです。4本の脚がまだバラバラに立ち上がっている段階では、鉄の線が放射状に広がる抽象的な造形が見え、パリの空に巨大な幾何学模様が浮かぶかのようです。完成した姿よりもむしろ、建設途中の「未完の骨格」にこそ、鉄骨構造のグラフィカルな美しさが凝縮されているとも言えます。
エッフェルは安全管理にも細心の注意を払いました。当時の大型建設現場では死亡事故が避けられないとされていましたが、エッフェル塔の建設工事中の死者はわずか1名。300メートルの高所作業としては驚異的な数字です。1889年3月31日、竣工式。エッフェルは自らの手で塔の頂にフランス国旗を掲げ、こう語りました。「300メートルの旗竿に国旗を掲げる唯一の国だ」と。
罵倒から歓喜へ――万博の大逆転
1889年5月6日、パリ万博が開幕します。フランス革命100周年の記念にふさわしい華やかな祭典でしたが、開幕時にはまだエレベーターが完成しておらず、来場者は1,710段の階段を自力で登らなければなりませんでした。それでも、エレベーター運行開始までの9日間だけで約3万人が階段で展望台を目指したのです。
展望台から見下ろすパリの眺めは、人々を一瞬で虜にしました。それまで「見上げる」ものだった都市を、初めて「見下ろす」という体験。この視点の革命は、単なる観光以上のインパクトを持っていました。自分が暮らす街を、鳥のように俯瞰する――そこには、世界の見え方が変わる感覚があったのです。
万博期間中の来場者数は200万人近くにのぼり、エッフェル塔はパリ万博最大のアトラクションとなりました。批判の声は次第にトーンダウンしていきます。ただし、万博後には来場者は減少し、当初の契約では20年後の1909年にパリ市に権利が移った時点で解体される予定でした。塔を存続に導いたのは、意外にも「電波」でした。1904年、フランス軍がエッフェル塔を無線通信の送受信拠点として活用することを提案。「国防上重要な建築物」として解体が見送られたのです。こうして、「醜い鉄の骸骨」は、やがてパリのシンボルへと変貌を遂げていきます。

骨格を「見せる」建築の系譜――ポンピドゥー・センターまで
エッフェル塔が切り拓いた「構造をむき出しにする」という思想は、20世紀の建築に深い影響を残しました。
建築史家ジークフリート・ギーディオンは1928年の著作『フランスにおける建設』で、鉄骨構造の美的可能性を力強く論じました。「構造が表現となる」という彼のテーゼは、バウハウスやモダニズム建築の理論的支柱のひとつとなります。構造を隠す必要はない。構造そのものが美しいのだ――この考え方は、ミース・ファン・デル・ローエのガラスと鉄骨の高層建築へと受け継がれていきます。
そして、エッフェル塔の精神をもっとも直接的に受け継いだ建築が、同じパリに立っています。1977年に完成したポンピドゥー・センターです。レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースが設計したこの美術館は、鉄骨の骨格、配管、エスカレーターといった通常は壁の中に隠される要素を、すべて建物の外側に露出させました。緑はプラミング(配管)、青は空調、黄色は電気配線、赤は避難設備やエスカレーターという色分けで、建物のすべてのシステムが「丸見え」になっています。
驚くべきことに、ポンピドゥー・センターの鉄骨は、エッフェル塔を直接の参照元として設計されたことがわかっています。構造設計を担当したArupのチームは、10層分の展示空間を支える鋳鋼の梁がエッフェル塔からインスピレーションを得たものであると明言しています。完成直後の反応もエッフェル塔に酷似していました。ル・フィガロ紙は「パリにネス湖の怪物のような怪物ができた」と書き、市民は「石油精製所のようだ」と嘲りました。しかし数十年後、ポンピドゥーはパリを代表するランドマークのひとつとなります。一部の市民からは「横倒しのエッフェル塔」と呼ばれたこともあったそうです。
この系譜は「構造表現主義(ストラクチュラル・エクスプレッショニズム)」や「ハイテク建築」と呼ばれるスタイルとして、ノーマン・フォスター、サンティアゴ・カラトラバなどの建築家に引き継がれています。構造を見せることは「恥」ではなく「表現」なのだ——エッフェル塔が投げかけたその問いは、150年を経てもなお建築界の中心にあります。
現代の「鉄の貴婦人」――構造美がデザインを動かす
現代において、エッフェル塔の遺伝子はあらゆるところに息づいています。たとえば、スマートフォンの分解写真が「美しい」と話題になること。プロダクトデザインの世界で「内部構造を見せる」トレンドが生まれたこと。スケルトン時計が高級品の代名詞となったこと。これらはすべて、「骨格そのものが美しい」というエッフェル塔以来の価値観が根底にあります。
建築の分野では、隈研吾や伊東豊雄のように構造と装飾の境界を溶かす建築家が、新しい形で「見せる構造」を追求しています。日本の東京スカイツリーも、鉄骨のトラス構造をそのまま外観にしたという点でエッフェル塔の直系です。ちなみに、東京タワー(1958年)はエッフェル塔よりも33メートル高いにもかかわらず、使用した鋼材は約4,000トンとエッフェル塔の7,300トンの半分程度。70年の技術進歩で「骨格の軽量化」が実現したわけですが、基本思想は驚くほど変わっていません。
エッフェル塔はいまも年間約700万人が訪れる、入場料のある建造物として世界一の人気を誇ります。レースのような鉄骨の繊細さから「鉄の貴婦人(La Dame de Fer)」とも呼ばれるその姿は、かつて「鉄の骸骨」と罵られたのと同じ特徴を指しています。変わったのは塔ではなく、私たちの目のほうです。
モーパッサンがあの世でこのことを知ったら、何と言うでしょうか。おそらく、あの皮肉屋のことですから、肩をすくめてこう呟くに違いありません。「だから言ったじゃないか。あの塔の中にいれば、見なくて済むんだ」。彼が毎日通ったレストランは、いまや世界で最も予約の取りにくい席のひとつになっています。
Q&A
- Q. エッフェル塔の建設に反対した芸術家は本当に300人いたのですか?
- A. 1887年2月14日に新聞『ル・タン』に掲載された抗議声明には、約300人の署名が集まったとされています。ただし「約300人」という数字は当時の報道に基づくもので、正確な人数には諸説あります。署名者の多くはアカデミー派に属する保守的な画家や彫刻家でしたが、オペラ座の建築家シャルル・ガルニエや作曲家シャルル・グノーなど、分野を超えた著名人も含まれていました。
- Q. エッフェル塔は万博後に解体される予定だったのですか?
- A. はい、当初の計画ではそうでした。エッフェル社とパリ市の契約では、エッフェルに20年間の営業権が与えられ、期限後には塔を解体撤去して更地で返還する条件でした。しかし1904年にフランス軍が無線通信の拠点として活用する提案を行い、国防上の重要施設と位置づけられたことで解体を免れました。その後はラジオ放送、テレビ放送の電波塔としても機能し、現在に至っています。
- Q. エッフェル塔に使われている素材は鉄と鋼のどちらですか?
- A. エッフェル塔には「錬鉄(パドル鉄)」が使われています。現代の鋼鉄(スチール)とは異なり、炭素含有量が少なく、より柔軟性のある素材です。当時すでに鋼鉄は存在していましたが、エッフェルは品質管理がしやすく、加工技術が確立されていた錬鉄を選びました。総重量は約7,300トンで、部品数は1万8,038個、リベット(鉄鋲)は約250万本に及びます。
- Q. エッフェルは自由の女神の設計にどのように関わったのですか?
- A. 自由の女神の外観をデザインしたのは彫刻家バルトルディですが、内部の鉄骨フレームを設計したのがエッフェルです。エッフェルは高さ約29メートルの中央鉄柱(パイロン)と、銅板の外皮を支える約1,800本の錬鉄の骨組みを設計しました。この設計は橋梁建設の技術を応用したもので、「外殻は荷重を負担せず、内部の骨格が支える」というカーテンウォール構造の初期の例とされています。エッフェル塔の建設はこの約3年後に始まっています。
- Q. エッフェル塔の形はなぜあのような末広がりなのですか?
- A. エッフェル塔のシルエットは、風圧への抵抗を最小化するために数学的に計算されたものです。4本の脚が大きく広がっているのは、高所から受ける風の力(転倒モーメント)を地面に分散させるためです。また、鉄骨をトラス(三角形の骨組み)やラチス(格子状の構造)にして風を通過させることで、受ける風圧そのものも軽減しています。つまりあの優美なカーブは、装飾ではなく力学の結果なのです。
参考文献
- エッフェル塔 – Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%A1%94
- ギュスターヴ・エッフェル – Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB
- 「エッフェル塔に反対する芸術家たち」 ―モーパッサンを巡って
- https://maupassant.info/autres/autres/artistes.contre.la.tour.eiffel.html
- Statue of Liberty – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Statue_of_Liberty
- Centre Pompidou – Arup
- https://www.arup.com/en-us/projects/centre-pompidou/
- 鉄骨建築のヒミツ vol.02 鉄骨構造のタワーの歴史 | 積水ハウス
- https://www.sekisuihouse.co.jp/kodate/products/steel2/column02/
- Photo exhibit The Garabit Viaduct – The Eiffel Tower(公式サイト)
- https://www.toureiffel.paris/en/news/events/garabit-viaduct
基本データ
- 名称
- エッフェル塔(La tour Eiffel / Eiffel Tower)
- 所在地
- フランス・パリ7区、シャン・ド・マルス公園
- 設計
- ギュスターヴ・エッフェル(エッフェル社)、モーリス・ケクラン、エミール・ヌーギエ(構造設計)、ステファン・ソーヴェストル(建築意匠)
- 着工
- 1887年1月28日
- 竣工
- 1889年3月31日(工期2年2ヶ月5日)
- 高さ
- 建設時312.3m(現在はアンテナ含み約330m)
- 構造
- 錬鉄(パドル鉄)のトラス構造
- 総重量
- 約7,300トン
- 部品数
- 18,038個の錬鉄パーツ、約250万本のリベット
- 建設目的
- 1889年パリ万国博覧会(フランス革命100周年記念)のシンボル
- 世界遺産
- 「パリのセーヌ河岸」の一部として1991年に登録
- 年間来場者数
- 約700万人
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