80メートルの空に裸足で立った男
1858年10月のある朝、パリ郊外の小さな村プチ=ビセートル(現在のプチ=クラマール)に、一人の男がいました。ガスパール=フェリックス・トゥルナション――世間では「ナダール」の名で知られる写真家です。前夜から野ざらしにしていた気球は、冷気でガスが収縮し、しぼんでいました。空はどんよりとした灰色。冷たい霧雨が降り注いでいます。常識的に考えれば、撮影を断念すべき朝でした。
しかしナダールは常識的な男ではありません。ガスの逃げ道であるバルブを閉じ、ゴンドラから荷物を次々と放り出しました。暗室装置、現像用の薬品、そしてついには自分のブーツまで。裸足になった38歳の写真家は、カメラだけを抱えて約80メートルの上空へと浮かび上がります。シャッターを切り、近くの宿屋で現像したガラス板には、霞がかかりながらも確かに「上から見た地上の風景」が記録されていました。人類史上初の空撮写真の誕生です。
残念ながら、この記念すべき一枚は現存していません。しかし、この瞬間こそが、人類が「神の視点」を手に入れた日でした。画家が想像で描いていた鳥瞰図が、客観的な「記録」へと変わった日。そしてそれは、都市計画、軍事偵察、地図製作、さらにはGoogle Earthに至る「上から見る」文化の壮大な始まりでもあったのです。

風刺画家からカメラマンへ――ナダールという男
ナダールは1820年4月5日、パリで生まれました。本名はガスパール=フェリックス・トゥルナション。父ヴィクトールは印刷業と書籍商を営んでいましたが、1837年に事業が破綻し、若きフェリックスはリヨンでの医学の勉強を諦めざるを得なくなります。しかし、この挫折が彼を別の道へと導きました。新聞に記事を書き、風刺画を売り始めたのです。仲間たちが彼の姓「トゥルナション」に「ダール」をくっつけて「トゥルナダール」とからかい、やがてそれが「ナダール」という筆名になったとされています。もともとこのあだ名は「毒針のねじり」という意味で、彼の辛辣なウィットを表現したものでした。
1840年代のパリはボヘミアン文化の全盛期です。ナダールはジェラール・ド・ネルヴァル、シャルル・ボードレール、テオドール・ド・バンヴィルといった文学者たちと交流を持ち、風刺雑誌に次々とカリカチュア(風刺画)を発表していきます。1849年から1862年にかけて、彼は風刺画のいわば「工場」を運営していました。画家やアシスタントのチームを雇い、何百もの風刺画を新聞や小冊子に供給していたのです。
そして1854年、ナダールは一世一代の大作に挑みます。「パンテオン・ナダール」――当代の著名人270人の風刺的肖像を一枚の巨大なリトグラフ(約82×115センチ)にまとめた作品です。ユゴー、バルザック、デュマ、ジョルジュ・サンドといった文豪たちが行列をなすように描かれたこの作品は、大きな話題を呼びました。しかし肖像権に関するトラブルで販売差し止めとなり、商業的には失敗に終わります。皮肉にも、この失敗がナダールを新しい表現手段――写真の道へと向かわせたのです。
同年、写真スタジオを開いたナダールは、たちまち当代随一の肖像写真家となりました。サン=ラザール通りのスタジオの外壁は真っ赤に塗られ、約15メートルにわたって「NADAR」の巨大な文字が輝いていたといいます。ボードレール、ヴィクトル・ユゴー、サラ・ベルナールなど、19世紀フランスを代表する文化人たちが彼のカメラの前に座りました。無地の背景に拡散光を当て、被写体の「内面」を引き出すその手法は、現代のポートレート写真の原点ともいえるものです。
3年間の失敗と「黒いすすの謎」
写真と気球――ナダールがこの二つを組み合わせようと考えたのは、1855年頃のことです。その年、彼は空中写真を地図製作や測量に使用するというアイデアで特許を取得しています。地上を「上から」正確に記録できれば、当時のカッシーニ地図(フランス初の地形図)よりもはるかに精密な地図が作れるはずだ。気球を10カ所の観測点に係留して毎日撮影すれば、「年に100万フラン近い」収益が見込める――。ナダールの計算はじつに具体的でした。
しかし、1858年に成功するまでの約3年間、彼は「黒いすすの謎」に苦しめられます。撮影するたびに、ガラス板は真っ黒に曇り、画像の痕跡すら残りませんでした。当時の写真技術は「湿板コロジオン法」と呼ばれるもので、撮影者はガラス板にコロジオン(綿火薬を溶かした液体)を塗り、感光液に浸し、湿っているうちにカメラにセットして撮影し、すぐに現像しなければなりません。この一連の作業にかけられる時間はわずか10分ほど。揺れる気球のゴンドラの中に暗室一式を持ち込み、この繊細な作業をこなすこと自体が、そもそも無謀でした。
繰り返される失敗にナダールは頭を悩ませます。やがて彼は原因を突き止めました。気球から漏れ出す水素ガスに含まれる硫化水素が、感光剤のヨウ化銀と化学反応を起こしていたのです。彼はガスを通さない綿布のカバーを発明し、ゴンドラ全体を覆うことで、ようやくこの問題を克服しました。まさに「写真家」と「発明家」と「気球乗り」を一人でこなす離れ業でした。

「ナダール、写真を芸術の高みに引き上げる」
1858年の空撮成功は、パリの市民を熱狂させました。「空から地上を撮影した男」として、ナダールは一躍時代の寵児となります。しかし、すべてが称賛だったわけではありません。当時、写真はまだ誕生から20年ほどの新しいメディアであり、「写真は芸術か、それとも単なる機械的な複製か」という論争が激しく交わされていました。
この状況を最も鮮やかに風刺したのが、画家オノレ・ドーミエでした。1862年、彼は「ナダール、写真を芸術の高みに引き上げる(Nadar élevant la Photographie à la hauteur de l’Art)」と題するリトグラフを発表します。気球のゴンドラから身を乗り出し、シルクハットを吹き飛ばしながら必死にカメラを構えるナダールの姿。その足元には「Photographie」と書かれた看板を掲げる写真スタジオがパリの街並みをびっしり埋め尽くしています。タイトルの「高みに引き上げる」は文字通り「空高く上がる」と、比喩的に「芸術として高める」をかけた二重の意味を持つ、秀逸な風刺です。
ドーミエのこの作品は、写真スタジオの乱立への皮肉であると同時に、ナダールという人物の型破りなエネルギーへのオマージュでもありました。じつはナダール自身もドーミエを撮影しており、二人の間には互いの仕事を認め合う敬意があったのです。この風刺画は今日でも写真史のテキストに必ず登場し、ニューヨークのメトロポリタン美術館やシカゴ美術館など、世界各地の美術館に所蔵されています。
巨人(ル・ジェアン)と空飛ぶジュール・ヴェルヌ
空撮の成功に飽き足らないナダールは、さらなる野望を抱きます。彼は気球の限界を痛感していました。風任せの気球では方向を制御できない。未来の飛行は、「空気より軽い」気球ではなく、「空気より重い」機械――つまり飛行機にあるはずだ。その開発資金を集めるため、1863年、彼は世界最大の気球「ル・ジェアン(巨人)」の建造を依頼します。
高さ約60メートル、ガス容量6,000立方メートル。絹布には2万メートル以上の素材が使われました。ゴンドラはもはや「籠」ではなく、バルコニー、サロン、そして完備された暗室を備えた「空飛ぶ小部屋」でした。同年10月、パリのシャン=ド=マルスからの初飛行には50万人以上のパリ市民が詰めかけ、ナダールは12人の乗客を乗せて飛び立ちました。冷たいチキンとワインを振る舞いながらの空の旅――なんとも彼らしい演出です。
しかし2回目の飛行で、ル・ジェアンは着陸に失敗して大破。ナダールと妻エルネスティーヌは負傷を負いました。それでも彼はゴンドラと気嚢を修復し、飛行を続けます。この不屈の姿勢は、ある一人の作家を深く感動させました。ジュール・ヴェルヌです。ナダールのル・ジェアンは『気球に乗って五週間』の着想源となり、ヴェルヌの代表作『月世界旅行』に登場する冒険家ミシェル・アルダンは、ナダール(Nadar)のアナグラムであるとされています。1863年、二人は「空気より重い機械による空中移動促進協会」を共同で設立。ナダールが会長、ヴェルヌが事務局長を務めました。空撮写真家とSF作家が手を組んだ「飛行の未来」への夢は、後に本当に実現することになります。
空飛ぶ郵便局――パリ包囲戦の奇跡
1870年、普仏戦争が勃発します。プロイセン軍はフランス軍を圧倒し、9月19日にはパリを完全に包囲。電信線は切断され、道路は封鎖され、200万人以上のパリ市民は外の世界との通信手段を失いました。郵便配達人がプロイセン軍の包囲線を突破しようとしましたが、捕らえられて銃殺される者もいました。セーヌ川に亜鉛のボールに手紙を詰めて流す試みも、回収に失敗。五頭の牧羊犬を気球で脱出させ、手紙を持たせて戻らせようとしましたが、犬たちは二度と姿を現しませんでした。
包囲完了の2日前、9月17日、ナダールはパリ防衛評議会に一つの提案書を提出しました。「気球を使って郵便物を運ぶ」という大胆な計画です。提案は即座に承認され、9月23日、係留観測に使っていたナダールの気球「ネプチューン号」が第一便として飛び立ちました。操縦士ジュール・デュルオフが一人で乗り込み、125キログラムの郵便物と公式通信文を積んで、モンマルトルのサン=ピエール広場から離陸。3時間の飛行の後、パリから約83キロ離れたクラクヴィルに着陸しました。世界初のエアメールの誕生です。
この成功を受けて、定期的な気球郵便が運行されます。ナダールはエリゼ=モンマルトルのダンスホール(のちにガール・デュ・ノール駅に移転)で、著名な気球技師ウジェーヌ・ゴダールはガール・ドルレアン駅で、それぞれ気球の製造工場を設立しました。包囲が続いた約128日間に67機の気球が飛び立ち、そのうち56機が公式に郵便物を運搬。合計で1万1,000キログラム以上の郵便物がパリの外へ届けられました。気球には伝書鳩も積まれ、ダゲロン・マイクロフィルム技術を使った超小型の通信文が鳩の脚に括りつけられてパリに送り返されました。
最も劇的なエピソードは、1870年10月7日のレオン・ガンベッタ内務大臣の脱出でしょう。ガンベッタは気球「アルマン=バルベス号」に乗ってパリを脱出し、トゥールで臨時政府を指揮して抗戦を続けました。一方、ある気球はノルウェーまで1,246キロも飛ばされてしまい、別の気球はイギリス南方の海に沈み、またプロイセン軍に撃墜されたものもありました。しかし67機中、完全な失敗は数機にとどまり、この「空飛ぶ郵便局」は驚くべき成功を収めたのです。

印象派を生んだ赤い建物
ナダールの功績は空と地下にとどまりません(ちなみに彼はパリのカタコンブ=地下墓地を人工照明で撮影した、地下写真の開拓者でもあります)。1874年、写真史どころか美術史全体を揺るがす出来事が、ナダールのスタジオで起こりました。印象派の第一回展覧会です。
1874年4月15日午後8時、カプシーヌ大通り35番地。ナダールの旧スタジオの2階と3階で、約30人の画家が約165点の作品を展示しました。クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、ベルト・モリゾ、ポール・セザンヌ、カミーユ・ピサロ、エドガー・ドガ。後に「印象派」と呼ばれることになる画家たちです。ナダール自身はより伝統的な芸術を好んでいたとされますが、公式サロンに反旗を翻す彼らの反体制的な姿勢に共感し、スタジオを無料で貸し出しました。
展覧会は商業的には失敗に終わり、批評家ルイ・ルロワは「印象主義者たちの展覧会」と題する辛辣な記事で、モネの『印象・日の出』を「壁紙の下絵のほうがまだマシだ」と酷評しました。しかし皮肉にも、この批評が「印象派」という名称の由来となったのです。空撮写真の先駆者のスタジオが、近代美術の産声を上げる場となった――これほどドラマチックな偶然があるでしょうか。
「上から見る」という革命――都市計画から衛星まで
ナダールが1855年に特許を取得した「空中写真による地図製作と測量」というアイデアは、彼の生前には本格的に実現しませんでした。しかしその構想は、20世紀に入って爆発的に発展します。
第一次世界大戦は、偵察目的の航空写真を一気に発展させました。1909年にはウィルバー・ライトが飛行機からの初の写真撮影に携わり、大戦中には敵陣の配置や移動を記録する航空偵察が不可欠な軍事技術となります。1921年には、シャーマン・フェアチャイルドがマンハッタン島の航空地図を作成し、商業的な航空測量の先駆けとなりました。冷戦期のキューバ危機(1962年)では、U-2偵察機による航空写真がソ連のミサイル基地を発見し、世界の運命を変えました。
そしてデジタルの時代。現在、Google Earthはオルソ写真(正射写真)や衛星画像をデジタル地形モデルに重ねて3Dの風景を再現しています。Google Mapsは航空写真をタイル状に分割して配信し、誰もがナダールが夢見た「上からの視点」を自由に操作できるようになりました。ドローン技術の普及はさらにこの流れを加速させ、不動産、農業、災害対応、映像制作など、空撮はかつてないほど身近な存在になっています。
ナダールが気球のゴンドラで裸足になりながら撮影した一枚のガラス板から、160年余り。私たちはスマートフォン一つで自分の家の屋根を宇宙から眺めることができます。「上から見る」という行為は、もはや特別なことではなくなりました。しかし、その「当たり前」の原点に、寒空の下でブーツを脱ぎ捨てた一人の破天荒なフランス人がいたことは、忘れるべきではないでしょう。
89歳の冒険家が遺したもの
ナダールの後半生もまた、波乱に満ちたものでした。1895年、75歳でパリのスタジオを息子ポールに引き渡し、マルセイユに移って新たなスタジオを開きます。晩年には回想録『わたしが写真家だった頃(Quand j’étais photographe)』を執筆し、1900年に出版。この本は2015年にMITプレスから英訳が出版され、150年以上前のパリの空気を今日の読者に伝えています。
1910年3月21日、ナダールは89歳でパリに没し、ペール=ラシェーズ墓地に埋葬されました。風刺画家、写真家、発明家、気球乗り、航空郵便の創始者、印象派の恩人、SF作家の盟友――その肩書きのどれ一つをとっても、一つの人生を彩るに十分です。彼がすべてを一人でやったことが、ナダールという人物の途方もないスケールを物語っています。
友人ボードレールは彼をこう評しました。「ナダール、それは生命力の最も驚くべき表現だ」と。空を飛び、地下に潜り、カメラで時代の精神を捉え、戦時には市民の希望を空に託し、若い画家たちに場所を与えた男。彼の遺産は、私たちが毎日何気なく開くGoogle Mapsの画面の中に、Instagram上の空撮写真の中に、そしてドローンが描く新しい地図の中に、静かに、しかし確実に生き続けています。
Q&A
- Q. ナダールの1858年の空撮写真はなぜ現存していないのですか?
- A. 当時使用されていた湿板コロジオン法はガラス板に画像を定着させるもので、保存が非常に難しい技術でした。ナダールの最初期の空撮写真は散逸し、現在は確認されていません。なお、フランス国立図書館には「1858年、高度520メートルから撮影」というキャプション付きの写真がありますが、これは1868年の万博時に撮影されたものが誤ってラベリングされたものとされています。現存する最古の空撮写真は、1860年にジェームズ・ウォレス・ブラックがボストン上空から撮影した一枚です。
- Q. ナダール以前に空撮を試みた人はいなかったのですか?
- A. ナダール以前にも気球からの撮影を試みた人物はいましたが、成功した記録は残っていません。ナダール自身も1855年に特許を取得してから約3年間、失敗を繰り返しました。気球から漏れるガスと感光剤の化学反応という問題を解決したナダールが、最初の成功者として記録されています。
- Q. パリ包囲戦の気球郵便で、パリへの返信はどうやって届けたのですか?
- A. 気球は風任せのため、パリに戻すことは不可能でした。そこで活躍したのが伝書鳩です。気球に鳩を積んで脱出させ、鳩が着陸地から解放されるとパリの巣に戻る習性を利用しました。さらにルネ・ダグロンが開発したマイクロフィルム技術により、大量の通信文を極小のフィルムに縮小して鳩の脚に括りつけるという画期的な方法が用いられました。
- Q. ナダールのスタジオで開かれた印象派展は、彼自身が企画したものですか?
- A. いいえ。展覧会を企画したのはモネやピサロら画家たち自身で、「画家・彫刻家・版画家等の匿名協会」という団体を結成して開催しました。ナダールはスタジオを場所として提供した立場です。モネの証言によれば、ナダールは無料でスタジオを貸したとされています。ナダール自身はより伝統的な美術を好んでいましたが、サロンという権威に挑戦する彼らの姿勢に共感していたようです。
- Q. ベルギーの群衆整理用バリケードが「ナダール・バリア」と呼ばれているのは本当ですか?
- A. はい。1864年、ナダールがル・ジェアンでブリュッセルを訪れた際、群衆を安全な距離に保つために移動式の仕切りを設置しました。これがベルギーにおける群衆整理バリケードの原型となり、今日でもベルギーでは「ナダール・バリア(Nadar barriers)」と呼ばれています。
参考文献
- Nadar — Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Nadar
- Nadar | Biography, Balloon, Photography, Caricatures, & Facts — Britannica
- https://www.britannica.com/biography/Nadar
- First aerial photograph — Guinness World Records
- https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/450154-first-aerial-photograph
- Bird’s Eye Viewfinder: 160 Years of Aerial Photography — National Air and Space Museum
- https://airandspace.si.edu/stories/editorial/birds-eye-viewfinder-160-years-aerial-photography
- Siege of Paris Mail — National Postal Museum
- https://postalmuseum.si.edu/exhibition/international-philately-europe-western-europe-france/siege-of-paris-mail
- Honoré Daumier, Nadar Elevating Photography to the Height of an Art — Smarthistory
- https://smarthistory.org/daumier-nadar-elevating-photography/
- Nadar Paintings, Bio, Ideas — TheArtStory
- https://www.theartstory.org/artist/nadar/
- How an Eccentric French Balloonist Invented Aerial Photography — Mental Floss
- https://www.mentalfloss.com/article/68322/how-eccentric-french-balloonist-invented-aerial-photography
基本データ
- 人物名
- ナダール(Nadar)/ 本名:ガスパール=フェリックス・トゥルナション(Gaspard-Félix Tournachon)
- 生没年
- 1820年4月5日(パリ)〜 1910年3月21日(パリ)
- 国籍
- フランス
- 職業
- 写真家、風刺画家、ジャーナリスト、小説家、発明家、気球乗り
- 初の空撮写真
- 1858年、パリ郊外プチ=ビセートル(現プチ=クラマール)上空約80メートルから撮影(現存せず)
- 使用技術
- 湿板コロジオン法(ウェットプレート・コロジオン・プロセス)
- 空撮特許取得
- 1855年(空中写真の地図製作・測量への応用)
- 代表的な気球
- ル・ジェアン(Le Géant)——高さ約60m、ガス容量6,000m³、1863年初飛行
- パリ包囲戦の気球郵便
- 1870年9月23日〜1871年1月28日/67機が飛行、11,000kg以上の郵便物を搬送
- 印象派第一回展
- 1874年4月15日、カプシーヌ大通り35番地のナダール旧スタジオにて開催
- 主な著作
- 『わたしが写真家だった頃(Quand j’étais photographe)』(1900年)
- 埋葬地
- パリ、ペール=ラシェーズ墓地
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