空港に舞い降りた白い翼
2025年、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港。ターミナル5に隣接して佇む白い翼のような建築物は、今日も世界中からの旅行者たちを魅了し続けています。この建物こそ、フィンランド系アメリカ人建築家エーロ・サーリネンが設計し、1962年に完成したTWAフライトセンターです。現在は「TWAホテル」として、北米最高の空港ホテルという評価を受けながら、航空黄金時代の記憶を現代に伝える生きた建築遺産となっています。
かつてトランス・ワールド航空(TWA)のターミナルとして機能していたこの建物は、2001年に航空会社の破産により閉鎖された後、長い眠りの期間を経て、2019年5月15日にホテルとして劇的な復活を遂げました。512室の客室、レストラン、バー、会議施設、そして航空史博物館を擁するこの施設は、単なるホテルではなく、アメリカの航空史と建築史が交差する特別な場所として存在しています。

戦後アメリカの夢と野心
物語は1955年に始まります。第二次世界大戦が終結してから10年、アメリカは未曾有の経済成長を謳歌していました。ジェット旅客機の登場により、航空旅行は富裕層の特権から一般市民の手の届く交通手段へと変貌を遂げつつありました。そんな時代の中、アイドルワイルド空港(現JFK空港)では「ターミナルシティ」と呼ばれる野心的な計画が動き出していました。
各航空会社が独自のターミナルを建設するというこの計画において、TWAの社長ラルフ・S・デイモンは、単なる機能的な建物ではなく、航空会社のブランドを体現し、飛行への憧れを形にした建築を求めていました。白羽の矢が立ったのが、デトロイトを拠点に活動していたエーロ・サーリネンでした。
サーリネンは当時、すでに15の異なるプロジェクトを同時進行させていた多忙な建築家でしたが、このプロジェクトに強い興味を示しました。彼の妻アリーヌは後に、夫が他の空港ターミナルを「醜く、粗末で、不便」だと考えていたと回想しています。サーリネンにとって、このプロジェクトは航空建築の新たな可能性を示す絶好の機会でした。
模型と格闘した日々
1956年から始まった設計プロセスは、サーリネンにとって前例のない挑戦の連続でした。彼が目指したのは、建築そのものが飛行のドラマ、特別な性格、そして興奮を表現することでした。「動きと変化の場所」として、建物全体が流動的で有機的な形態を持つことを構想しました。
設計チームには、後に著名な建築家となるケビン・ローチェ、セザール・ペリ、ノーマン・ペトゥラ、エドワード・サードらが参加し、インテリアデザインはウォーレン・プラトナーが担当しました。構造設計には、アンマン&ホイットニー社のチャールズ・S・ホイットニーとボイド・G・アンダーソンが協力しました。
サーリネンは無数のスケールモデルを制作し、構造的な課題と空間のダイナミクス、採光、そして生物形態的要素の統合に取り組みました。彼の設計手法は、デジタルツールが存在しない時代において、物理的な模型を通じて複雑な曲面構造を検証するという、職人的かつ革新的なアプローチでした。
最終的なデザインは、4つのY字型の柱で支えられた翼のような薄殻コンクリート構造となりました。屋根の厚さは端部でわずか7インチ(約18センチ)、4つのシェルが収束する部分でも40インチ(約102センチ)という、当時としては驚異的な薄さでした。

悲劇と継承
1959年6月、ついに建設工事が始まりました。しかし、運命は残酷でした。1961年9月1日、プロジェクトの完成を見ることなく、サーリネンは脳腫瘍により51歳の若さでこの世を去りました。彼の生涯で最も野心的なプロジェクトは、まだ建設途中でした。
サーリネンの死後、ケビン・ローチェとジョン・ディンケルーが意志を引き継ぎ、プロジェクトを完成へと導きました。1960年8月には屋根の一体打設が行われ、年末までにY字型の柱が完全に屋根を支える構造が完成しました。
1962年5月28日、TWAフライトセンターは正式にオープンしました。批評家たちの反応は賛否両論でした。「形態は機能に従う」という当時のモダニズムの主流から逸脱した表現主義的なデザインに対して、実用性を疑問視する声もありました。しかし、多くの人々はこの建物を「ジェット時代の活気ある象徴」として称賛しました。
黄金時代から衰退へ
オープン当初のTWAフライトセンターは、まさに航空黄金時代の頂点を体現していました。赤いカーペットが敷かれた2本の搭乗通路、3つのレストラン(コンステレーション・クラブ、リスボン・ラウンジ、パリ・カフェ)、アンバサダー・クラブ、そして大きな窓から離着陸する飛行機を眺められる開放的な空間は、旅行者たちに特別な体験を提供しました。
しかし、時代の変化は容赦ありませんでした。1970年代に入ると、ジャンボジェットの登場により空港の要求は大きく変化しました。セキュリティ要件の厳格化、搭乗客数の増加、そしてより大きな待合スペースの必要性により、サーリネンの詩的な空間は次第に時代遅れとなっていきました。
2001年、TWAは3度目の破産申請を行い、アメリカン航空に買収されました。9月11日の同時多発テロ事件の直後という時期も重なり、TWAフライトセンターは閉鎖されることになりました。かつて未来への希望を象徴した建物は、使命を終えて静寂に包まれました。
保存への道のり
建物の閉鎖後、取り壊しの危機に直面しましたが、建築史における重要性を認識した人々の努力により、1994年にはニューヨーク市の歴史的建造物に指定され、2005年には国家歴史登録財に登録されました。しかし、保護されたとはいえ、どのように活用するかは大きな課題でした。
2008年、ジェットブルー航空がターミナル5の新しい建物を建設する際、サーリネンの建物を取り囲むような配置にすることで、物理的に保護しました。会議センター、航空博物館、レストランなど、様々な再利用案が検討されましたが、決定的な解決策は見つかりませんでした。
ホテルとしての再生
転機は2015年に訪れました。ウォールストリート・ジャーナルが、ジェットブルー航空とホテル開発業者MCRホテルズが、建物をホテルに転換する交渉を行っていると報じたのです。同年、ニューヨーク州知事アンドリュー・クオモがプロジェクトを正式に承認しました。
2015年から2019年にかけて行われた改修工事は、歴史的建造物の保存と現代的なホテル機能の融合という難しい課題に取り組みました。ベイヤー・ブリンダー・ベル建築事務所が修復を監督し、オリジナルのデザインを尊重しながら、必要な現代的設備を慎重に追加していきました。
486枚の様々な形状の窓ガラス、カスタムメイドのセラミックタイル、1962年から使用されているソラーリ・ディ・ウディネ製のスプリットフラップ式案内板など、多くのオリジナル要素が丁寧に修復されました。同時に、防音窓、遮光カーテン、現代的な空調システムなど、ホテルとして必要な機能も追加されました。
2019年5月15日、TWAホテルは正式にオープンしました。サーリネン・ウィングとヒューズ・ウィングと名付けられた2つの新しい建物が追加され、512室の客室、5万平方フィートのイベントスペース、屋上プール、展望デッキなどが整備されました。特に話題を呼んだのは、1958年製のロッキード・コンステレーション機を改装したカクテルバー「コニー」でした。

Q&A
- TWAフライトセンターの設計で最も革新的だった点は何ですか?
- 薄殻コンクリート構造による翼のような屋根が最も革新的でした。端部でわずか18センチという薄さの連続的な曲面シェルは、当時の構造工学の限界に挑戦したもので、内部に柱のない広大で流動的な空間を実現しました。また、空港建築として初めてジェットウェイを採用し、乗客が天候から保護された状態で飛行機まで移動できるようにした点も画期的でした。
- なぜエーロ・サーリネンは完成を見ることができなかったのですか?
- サーリネンは1961年9月1日、脳腫瘍により51歳の若さで急逝しました。建設工事は1959年に始まっており、彼は設計段階と建設初期には深く関わっていましたが、1962年の完成を見ることはできませんでした。その後、彼の同僚であったケビン・ローチェとジョン・ディンケルーがプロジェクトを引き継ぎ、完成させました。
- TWAホテルの宿泊料金はどのくらいですか?
- 2025年現在、スタンダードルームで一泊約250〜400ドル程度です。JFK空港の他のホテルと比較すると高めの価格設定ですが、歴史的建造物での宿泊体験、航空博物館へのアクセス、屋上プールなどの設備を考慮すると、多くの宿泊客から価値があると評価されています。
- 建物の形は何を表現しているのですか?
- サーリネン自身は、建物が具体的な何かを表現しているとは主張せず、「飛行そのものの抽象的な表現」だと述べていました。多くの人は鳥や飛行機の翼を連想しますが、一説にはグレープフルーツの皮を押しつぶした形から着想を得たという逸話もあります。重要なのは、形態が飛行への憧れと動きの感覚を呼び起こすことでした。
- 現在でも空港ターミナルとして使用されていますか?
- いいえ、2001年以降は空港ターミナルとしては使用されていません。現在はTWAホテルとして、またジェットブルー航空のターミナル5への通路として機能しています。建物は完全に保存・修復され、ホテルのロビー、レストラン、バー、イベントスペースとして活用されています。
参考文献
- TWA Flight Center – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/TWA_Flight_Center
- AD Classics: TWA Flight Center / Eero Saarinen | ArchDaily
- https://www.archdaily.com/788012/ad-classics-twa-flight-center-eero-saarinen
- The TWA Flight Center: Eero Saarinen’s Masterpiece at JFK Airport
- https://archeyes.com/the-twa-flight-center-eero-saarinens-masterpiece-at-jfk-airport/
- This Architect’s “Perfect Building” Takes Flight Once Again | National Trust for Historic Preservation
- https://savingplaces.org/stories/this-architects-perfect-building-takes-flight-once-again
- TWA Hotel – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/TWA_Hotel
- TWA Hotel Official Website
- https://www.twahotel.com/
基本データ
- 名称
- TWAフライトセンター(現TWAホテル)
- 設計者
- エーロ・サーリネン・アンド・アソシエイツ
- 所在地
- ジョン・F・ケネディ国際空港、ターミナル5、ニューヨーク州クイーンズ区
- 設計期間
- 1956年〜1959年
- 建設期間
- 1959年〜1962年
- 竣工
- 1962年5月28日
- ターミナル閉鎖
- 2001年
- ホテル開業
- 2019年5月15日
- 構造
- 鉄筋コンクリート薄殻構造
- 指定文化財
- ニューヨーク市歴史的建造物(1994年)、国家歴史登録財(2005年)
- 現在の用途
- ホテル(512室)、レストラン、バー、会議施設、航空博物館










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