ノーマン・フォスター|ハイテク建築の巨匠が描く未来都市への道

ガラスの向こうに見える未来

1999年、ベルリン。戦後分断の象徴だった帝国議会議事堂に、透明なガラスのドームが誕生しました。設計したのは、イギリスの建築家ノーマン・フォスター。このドームには螺旋状のスロープが設けられ、市民が自由に昇り、議場を上から見下ろすことができます。「民主主義の透明性」を建築で表現したこの作品は、ハイテク建築の新たな可能性を世界に示しました。

マンチェスターの労働者階級の家庭に生まれたフォスターは、16歳で学校を離れ、マンチェスター市役所で働き始めました。しかし建築への情熱は消えることなく、夜間学校で学び続け、やがてマンチェスター大学、そしてイェール大学へと進みます。そこで出会ったリチャード・ロジャースとともに、建築の新しい地平を切り開いていくことになります。

鉄とガラスが織りなす透明性の美学

フォスターの建築を語る上で欠かせないのが、1986年に完成した香港上海銀行本店ビルです。47階建てのこの超高層ビルは、従来の建築の常識を覆しました。構造体を外部に露出させ、巨大な鉄骨のトラスが建物を支える姿は、まるで建築の骨格をX線写真で見ているかのようです。

エレベーターやエスカレーター、配管設備までもがガラス越しに見える。この「見せる建築」の背景には、フォスターの明確な哲学がありました。「建築は正直であるべきだ。構造や機能を隠す必要はない。むしろそれらを美しく見せることで、建築に新たな表現力が生まれる」

この考え方は、1970年代のセインズベリー視覚芸術センターから一貫しています。イギリス、ノリッジに建てられたこの建物は、まるで宇宙船のような外観で、当時の建築界に衝撃を与えました。アルミニウムパネルに覆われた外壁、トラス構造による大空間、そして自然光を巧みに取り入れた内部空間。これらすべてが、ハイテク建築の先駆けとなりました。

環境との対話が生む革新

21世紀に入り、フォスターの建築は新たな局面を迎えます。環境への配慮とテクノロジーの融合です。ロンドンのシティ・ホールは、その象徴的な作品です。卵型の独特な形状は、単なる造形美ではありません。表面積を最小限に抑え、エネルギー消費を削減するための科学的な計算の結果でした。

「30セント・メアリー・アックス」、通称「ガーキン」と呼ばれるロンドンの超高層ビルも、環境配慮の結晶です。らせん状の換気システムにより、自然の風を利用して建物全体を冷却。エアコンの使用を最小限に抑えながら、快適な室内環境を実現しました。

フォスターは語ります。「建築家の責任は、美しい建物を作ることだけではない。地球環境と調和し、持続可能な未来を築くことも我々の使命だ」

建築界からの評価と議論

レンゾ・ピアノは、フォスターについてこう評しています。「ノーマンは、技術を詩に変える稀有な才能を持っている。彼の建築は冷たく見えるかもしれないが、その内側には人間への深い愛情が宿っている」

一方で、批判的な声もありました。建築評論家のチャールズ・ジェンクスは、初期のハイテク建築について「機械的で人間味に欠ける」と指摘しました。しかしフォスターは、そうした批判を真摯に受け止め、作品に温かみを加えていきました。

同じハイテク建築の旗手であるリチャード・ロジャースは、盟友フォスターについて語ります。「我々は異なるアプローチを取ることもあるが、建築の透明性と民主性を追求する点では完全に一致している。ノーマンの作品は、常に時代の一歩先を行っている」

未来へと続く遺産

2021年、フォスターは86歳を迎えてもなお、新たなプロジェクトに取り組んでいます。アップルパークの設計では、スティーブ・ジョブズとともに「世界で最も環境に優しい建物」を目指しました。円形の巨大なオフィスビルは、100%再生可能エネルギーで運営され、建物全体が呼吸するように自然換気を行います。

フォスターが築いたハイテク建築の系譜は、世界中の建築家たちに受け継がれています。トーマス・ヘザウィック、ビャルケ・インゲルスなど、新世代の建築家たちは、フォスターが示した「技術と美の融合」という道を、それぞれの方法で発展させています。

建築史家のケネス・フランプトンは述べます。「フォスターは、モダニズムとポストモダニズムの対立を超越し、第三の道を示した。それは技術を否定するのではなく、技術を人間化することで新たな建築言語を生み出すという道だった」

その後の世界

ノーマン・フォスターのハイテク建築は、21世紀の都市景観を根本的に変革しました。彼が確立した「環境配慮型ハイテク建築」は、世界中の超高層ビルの設計基準となり、LEED認証やBREEAM評価などの環境性能評価システムの発展にも大きく寄与しました。

特に、構造体を美的要素として露出させる手法は、建築の透明性と民主性を象徴する表現として定着し、公共建築のあり方に新たな視点をもたらしました。また、コンピューター解析を駆使した環境シミュレーションは、現代建築の標準的な設計プロセスとなり、サステナブル建築の発展に不可欠な要素となっています。

Q&A

ハイテク建築とは具体的にどのような特徴を持つ建築様式ですか?
ハイテク建築は、最新の技術や工業材料(鉄、ガラス、アルミニウムなど)を積極的に使用し、構造や設備を意図的に露出させることで建築の機能美を表現する様式です。1970年代にイギリスで生まれ、ノーマン・フォスターやリチャード・ロジャースらが牽引しました。
フォスターの代表作である香港上海銀行本店ビルの建設費が高額だった理由は?
当時世界一高額な建築物となった理由は、革新的な構造システムと最先端技術の採用にあります。プレハブ化された部品を世界各地で製造し香港で組み立てる方式、コンピューター制御の環境システム、そして地震や台風に耐える特殊な構造設計などが、コストを押し上げました。
フォスター建築事務所の現在の活動状況は?
Foster + Partnersとして、世界50カ国以上でプロジェクトを展開しています。約1,500名のスタッフを擁し、都市計画から家具デザインまで幅広い分野で活動しています。最近では、火星居住施設の設計やドローン空港など、未来志向のプロジェクトにも取り組んでいます。
日本にフォスターの作品はありますか?
残念ながら、フォスターの実現した建築作品は日本にはありません。しかし、東京の森ビルのプロジェクトなど、いくつかの計画案は提出されています。アジアでは香港、北京、シンガポールなどに多くの作品があります。

参考文献

ノーマン・フォスター – Foster + Partners公式サイト
https://www.fosterandpartners.com
The Pritzker Architecture Prize – Norman Foster 1999 Laureate
https://www.pritzkerprize.com/laureates/1999
Architizer – Norman Foster
https://architizer.com/firms/foster-partners/

基本データ

名称
ノーマン・ロバート・フォスター(Norman Robert Foster)
生年月日
1935年6月1日
出身地
イギリス、マンチェスター
称号
フォスター男爵(Baron Foster of Thames Bank)
主な受賞歴
プリツカー賞(1999年)、RIBAゴールドメダル(1983年)、高松宮殿下記念世界文化賞(2002年)
事務所
Foster + Partners(1967年設立)
代表作品
香港上海銀行本店ビル、ドイツ連邦議会議事堂、30セント・メアリー・アックス、北京首都国際空港第3ターミナル、アップルパーク

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