1917年4月9日、ニューヨーク——便器が「芸術」になった日
その便器は、ニューヨーク五番街にあるJ.L.モット鉄工所のショールームで購入された、ごく普通の白い磁器製の男性用小便器でした。価格はおよそ6ドル。買ったのは、フランスからやってきた30歳の男、マルセル・デュシャン。彼はそれをアトリエに持ち帰り、90度回転させて台座に載せ、黒いペンキで「R.Mutt 1917」と署名しました。タイトルは《泉》(Fountain)。そしてこれを、「出品料さえ払えば誰の作品でも展示する」と宣言していたアンデパンダン展に送りつけたのです。

結果は、ご想像の通り。審査委員会は紛糾し、展示を拒否しました。デュシャン自身がその委員会のメンバーだったにもかかわらず——いや、だからこそ、これは仕掛けられた知的な爆弾だったのです。彼は抗議の意を示して辞任し、友人の写真家アルフレッド・スティーグリッツに便器を撮影させました。この一枚の写真が、20世紀美術の流れを根本から変えることになります。
デュシャンは生涯を通じて、驚くほど多彩な「手口」を使い分けた人物でした。便器を選んだレディメイド、モナ・リザにヒゲを描き足した落書き、歯医者に渡した手描きの偽小切手、自作を丸ごと縮小してスーツケースに詰めた携帯美術館、空気を封じ込めたガラス瓶、そしてキャンバスの代わりに透明なガラスを使った大作。ひとりのアーティストがこれほど異なる方法論を持っていたこと自体が、美術史における奇跡のような出来事です。本記事では、デュシャンの代表的な「手口」を分類しながら、彼が投げかけた「オリジナリティとは何か」という問いを追いかけてみましょう。

手口①「選ぶ」──レディメイドという革命
デュシャンの最初にして最大の発明は、「選ぶ」という行為そのものを創作と定義したことでした。1913年、彼は自転車の車輪を木製のスツールに逆さに取り付けた《自転車の車輪》を制作します。これが最初のレディメイド——既製品をそのまま芸術作品として提示するという手法——の原型とされています。1914年には鉄製の瓶乾燥器《ボトルラック》を、1915年には雪かきスコップに「折れた腕の前に」という題名をつけました。
ここで重要なのは、デュシャン自身は「美的な無関心」に基づいてこれらを選んだと主張していた点です。つまり、「美しいから」ではなく、「何の感情も起こさないから」選んだ、と。彼はこう語っています。「いつもアイデアが先に来て、視覚的な見本が後に来るのです」。これは当時の美術の大前提——作家の手仕事と美的感覚こそが芸術の本質である——を根底から覆す宣言でした。後にSFMOMA(サンフランシスコ近代美術館)のテキストが端的に述べた通り、デュシャンは「創造的行為を、驚くべき基本的なレベルにまで還元した」のです。アイデアひとつ、選択ひとつが、芸術になりうるのだと。
手口②「盗む」──モナ・リザに落書きした男
1919年、パリに戻ったデュシャンは、安い絵はがきのモナ・リザに鉛筆で口ヒゲとアゴヒゲを描き加え、「L.H.O.O.Q.」という5文字を書き添えました。このタイトルをフランス語で速く読むと、「Elle a chaud au cul」——上品に訳すのが難しい、かなりきわどいジョークになります(「彼女はお尻が熱い」、つまり性的に興奮しているという意味です)。
19.7×12.4センチという小さなこの作品が、なぜ衝撃的だったのでしょうか。1919年はレオナルド・ダ・ヴィンチの没後400年にあたり、パリの知識人たちの間では「ジョコンディスム」と呼ばれるモナ・リザ崇拝が最高潮に達していました。デュシャンはその崇拝の核心に、少年の落書きにも似た行為で切り込んだのです。さらに面白いのは、ヒゲを描き加えたことでモナ・リザが男性に見えてくるという効果です。デュシャン自身も後に「あのヒゲとアゴヒゲの不思議なところは、モナ・リザを見ると男になるということです」と語っています。女性の肖像を男性化するこのジェンダーの転倒は、彼自身が女性のオルターエゴ「ロース・セラヴィ」を名乗ったこととも重なります。
ここでの「手口」は、既存のアイコンを借用(アプロプリエーション)し、最小限の改変で意味を根本的にずらすことです。アートの世界で「盗む」とは、泥棒のようにオリジナルを奪うことではなく、既存のイメージに新しい文脈を上書きすること。この発想は、後のポップアートやアプロプリエーションアートに直結していきます。
手口③「模写する」──歯医者への偽小切手
1919年12月3日、デュシャンはパリの歯科医ダニエル・ツァンクに治療費115ドルを支払う必要がありました。しかし彼が差し出したのは、通常の小切手ではなく、すべてを手描きで精巧に模写した偽の小切手でした。振出銀行は架空の「The Teeth’s Loan & Trust Company, Consolidated」(歯の貸付信託会社)、住所は「ニューヨーク、ウォールストリート2番地」。小さな活字まで手書きで忠実に再現したとデュシャン自身が回想しています。
ツァンク医師は優れた美術コレクターでもあり、目の前のものがデュシャンの署名入りの「作品」であると見抜きました。そして偽小切手を治療費として受け取ったのです。さらに面白いことに、デュシャンは約20年後にこの作品を「額面よりもはるかに高い値段で」買い戻したとされています。偽の小切手が、本物のお金以上の価値を持つに至った——これはまるで、芸術と経済の関係を風刺する寓話です。小切手の中央には縦書きで「ORIGINAL」と記されていますが、この言葉は法的な「原本」と芸術的な「オリジナル」の二重の意味を持ち、デュシャンの言葉遊びの真骨頂が凝縮されています。

手口④「縮める」──スーツケースの中の美術館
1935年から1941年にかけて、デュシャンは自分の全作品を手のひらサイズに縮小して革製のスーツケースに詰め込む、という途方もないプロジェクトに取り組みました。《ボワット・アン・ヴァリーズ》(トランクの中の箱)と呼ばれるこの作品は、69点の複製品(ミニチュアのレディメイド、写真、リトグラフ、セルロイド上に再現された《大ガラス》など)を収めた「携帯美術館」です。
デュシャン自身がこう語っています。「何か新しいものを描く代わりに、私の好きな絵やオブジェを複製して、できるだけ小さなスペースに集めようと考えたのです。最初は本を思いついたが、気に入らなかった。それで箱になり、すべての作品を小さな美術館のように集めて展示できる、いわば携帯美術館になった」。1941年から1966年までに312箱が制作され、最初の20箱のデラックス版にはそれぞれ異なるオリジナル作品が蓋の裏に貼り付けられました。
皮肉なのは、レディメイドの複製品は手作りで、絵画の複製品は機械的に再現されたという逆転です。さらに、色の再現にはすでに時代遅れとなっていたポショワール(型紙を使って一色ずつ手塗りする技法)が使われており、すべての図版が厳密には「一点もの」でした。ヴァルター・ベンヤミンが『複製技術時代の芸術作品』で「アウラの喪失」を嘆いていた同時期に、デュシャンは複製そのものに新たなアウラを付与してみせたのです。ベンヤミン自身が1937年の日記に、デュシャンのポショワールによるミニチュアの《階段を降りる裸体》を見て「息を呑むほど美しい」と記しています。
手口⑤「透かす」──ガラスの上の花嫁
1915年から1923年にかけて、デュシャンはキャンバスではなくガラスの上に作品を制作しました。《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》、通称《大ガラス》(The Large Glass)です。高さ約2.7メートル、幅約1.8メートルの2枚のガラス板に、鉛箔、ヒューズ線、ワニス、そして埃(!)を使って描かれたこの作品は、従来の絵画のあらゆる前提を裏切っています。
まず、透明であること。観客はガラスの両面から作品を見ることができ、背景には常に展示室の空間が透けて見えます。これはキャンバスという「不透明な窓」に代わる、文字通りの「透明な窓」でした。デュシャンは従来の絵画を「網膜的」——つまり目を楽しませるだけのもの——と批判し、「知性に奉仕する芸術」を追求していました。《大ガラス》はその宣言の結晶です。
さらにドラマチックなのは、1926年にブルックリン美術館での展示後、輸送中に作品が粉々に割れたというエピソードです。デュシャンがその損傷を発見したのは数年後でしたが、彼はガラスの破損を修復するのではなく、ひびの入ったまま2枚の厚いガラス板の間に挟んで固定しました。そして「ひびのパターンは改良だ」と宣言したのです。偶然の破壊すら作品に取り込んでしまうこの態度こそ、デュシャンの真骨頂でしょう。
手口⑥「消す」──パリの空気を瓶に詰める
1919年、デュシャンはパリの薬局でガラスのアンプル(もともと血清が入っていた容器)を購入し、薬剤師に中身を空にしてパリの空気で満たし直してから密封してもらいました。題名は《パリの空気50cc》。これをニューヨークの友人であり支援者でもあるウォルター・アレンズバーグへの土産として持ち帰ったのです。
空気の入った瓶——これほど「中身がない」芸術作品があるでしょうか。フィラデルフィア美術館のテキストは、この作品を「想像しうる限り最も実体のない芸術作品」と表現しています。しかし分子レベルで見れば空気は「何もない」わけではありません。さらに1949年、アンプルは誤って割れてしまい、修復されました。すると「中の空気はまだパリの空気なのか?」という哲学的な問いが生まれます。タイトルの「50cc」も実際の容量(約125cc)とは異なっており、デュシャンは数字にも「嘘」を忍ばせていたのです。彫刻から物質性を完全に取り去り、概念だけを残す——これは「消す」という手口の極致です。

「オリジナリティ」をひっくり返す──現代のリミックス文化への遺産
デュシャンが仕掛けた問いは、21世紀の今もなお鋭い刃を持っています。彼の「手口」を現代の文化に重ね合わせてみましょう。「選ぶ」はDJのサンプリング、「盗む」はパロディ広告やミーム文化、「模写する」はAIによる画風の学習、「縮める」はSpotifyのプレイリストやInstagramの投稿という名の個人キュレーション、「透かす」はレイヤーを重ねるデジタルデザイン、「消す」はNFTのように物質なき価値の交換——どれもデュシャンが100年前に予告していたかのようです。
1980年代のアプロプリエーション(流用)アートの旗手、シェリー・レヴィーンはデュシャンの《泉》をブロンズで鋳造し直して《泉(ブッダ)》と名付けました。ウォーカー・エヴァンスの写真をそのまま再撮影した「アフター・ウォーカー・エヴァンス」シリーズでは、オリジナルとコピーの境界を溶解させました。アンディ・ウォーホルのキャンベル・スープ缶、バンクシーがフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」にピアスの耳飾りを加えたストリートアート——これらすべての源流に、デュシャンの仕掛けた問いがあります。
2004年、英国の美術専門家500人を対象にした調査で、《泉》は「20世紀で最も影響力のある芸術作品」に選ばれました。便器です。100年以上前に買われた、たった6ドルの便器。しかしオリジナルはとっくに失われ、現在美術館にあるのはすべて後年に制作されたレプリカです。そしてデュシャンにとっては、それでまったく構わなかったのです。なぜなら、作品の本質はモノではなくアイデアにあるのだから。
デュシャンは1968年、81歳で亡くなりました。ルーアン墓地の墓石にはこう刻まれています。「D’ailleurs, c’est toujours les autres qui meurent」——「そもそも、死ぬのはいつも他人だ」。最後のジョークまで仕掛けて、この稀代のトリックスターは退場したのです。彼が残した問いは終わっていません。AI時代の今、「誰が作ったのか」よりも「何を選び、どう再配置したのか」の方が切実な意味を持つようになりつつあるのですから。
Q&A
- Q. デュシャンの《泉》のオリジナルは現存しているのですか?
- A. 残念ながら、1917年に提出されたオリジナルの便器は展示直後に行方不明になり、現在は失われたとされています。スティーグリッツが撮影した写真が唯一のオリジナルの記録です。現在世界各地の美術館にあるのは、1950年代〜1960年代にデュシャンの監修のもとで制作されたレプリカで、全部で17点ほど存在します。デュシャン自身はオリジナルとコピーの区別にこだわらなかったため、このこと自体が作品のテーマを体現しているとも言えます。
- Q. 「レディメイド」と「ファウンドオブジェ(発見されたオブジェ)」は同じものですか?
- A. 厳密には異なります。レディメイドは工業的に大量生産された既製品をそのまま(あるいは最小限の改変で)芸術として提示するもので、デュシャンが名付けました。一方、ファウンドオブジェはより広い概念で、自然物や手作りの品も含みます。デュシャンのレディメイドの特徴は「美的無関心」に基づく選択であり、美しさや個性ではなく、アイデアの力で芸術を成立させた点にあります。
- Q. 《L.H.O.O.Q.》は最初にモナ・リザをパロディにした作品ですか?
- A. いいえ。1887年にウジェーヌ・バタイユ(通称サペック)がモナ・リザにパイプをくわえさせた作品を風刺雑誌『ル・リール』に発表しており、デュシャン以前にもモナ・リザの風刺は存在していました。ただし、デュシャンの作品は単なるジョークを超えて、「名作崇拝」そのものへの根本的な問いかけとなった点で、美術史上の意義ははるかに大きいとされています。
- Q. ツァンク・チェック(偽小切手)は本当に歯医者への支払いに使われたのですか?
- A. デュシャン自身がピエール・カバンヌとのインタビューで語ったところによれば、実際に115ドルの歯科治療費として手渡されました。ツァンク医師は著名な美術コレクターでもあったため、この「作品」の価値を理解して受け取ったとされています。デュシャンは後年、額面をはるかに超える金額でこの作品を買い戻しました。現在はイスラエル美術館への寄贈予定品となっています。
- Q. デュシャンは自分の作品がポップアートやコンセプチュアルアートに影響を与えたことをどう思っていたのですか?
- A. 複雑な感情を抱いていたようです。1961年のハンス・リヒターへの書簡とされるテキスト(ただし真偽には議論があります)では、「ネオ・ダダ(=ポップアート)は安易な逃げ道だ。私がレディメイドを発見したとき、美学を否定しようとしたのに、彼らはそこに美学的な美しさを見出してしまった」と述べています。一方で、晩年まで若いアーティストたちとの交流を続け、1968年にはジョン・ケージとチェスを打ちながら音楽パフォーマンスを行うなど、前衛芸術への関わりを持ち続けていました。
参考文献
- Fountain (Duchamp) – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Fountain_(Duchamp)
- L.H.O.O.Q. – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/L.H.O.O.Q.
- de ou par Marcel Duchamp ou Rrose Sélavy (La Boîte-en-valise) – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/De_ou_par_Marcel_Duchamp_ou_Rrose_S%C3%A9lavy_(La_Bo%C3%AEte-en-valise)
- Duchamp Once Paid His Dentist With a Forged Check, Now a Dada Masterpiece – Artnet News
- https://news.artnet.com/art-world/art-bites-marcel-duchamp-dentist-check-2617453
- Marcel Duchamp, 50 cc of Paris Air, 1919 – Philadelphia Museum of Art
- https://philamuseum.org/collection/object/51617
- The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/The_Bride_Stripped_Bare_by_Her_Bachelors,_Even
- Marcel Duchamp – Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Marcel_Duchamp
- Marcel Duchamp, Fountain, 1917/1964 – SFMOMA
- https://www.sfmoma.org/artwork/98.291/
基本データ
- 人物名
- マルセル・デュシャン(Henri-Robert-Marcel Duchamp)
- 生没年
- 1887年7月28日(フランス、ブランヴィル=クレヴォン) – 1968年10月2日(フランス、ヌイイ=シュル=セーヌ)
- 国籍
- フランス生まれ、1955年にアメリカ合衆国に帰化
- 主な活動領域
- ダダ、コンセプチュアルアート、レディメイド
- 代表作(本記事関連)
- 《泉》(Fountain, 1917)、《L.H.O.O.Q.》(1919)、《ツァンク・チェック》(Tzanck Check, 1919)、《パリの空気50cc》(50 cc of Paris Air, 1919)、《大ガラス》(The Large Glass, 1915–1923)、《ボワット・アン・ヴァリーズ》(La Boîte-en-valise, 1935–1941)
- 主な所蔵先
- フィラデルフィア美術館、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、テート・モダン、サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)
- 墓所
- ルーアン墓地(フランス)。墓碑銘:「D’ailleurs, c’est toujours les autres qui meurent」(そもそも、死ぬのはいつも他人だ)
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